-31 天元の鏡

 氷の壁の向こう側の全ての生き物が死に絶えた頃、カイトが発していた黒い液体は元来た道を逆方向へと進み始めた。それ程時間を掛けずに、湖を埋め尽くしていたオワリノミズウミはカイト中へと収束する。大量の浮かび上がった死体のせいで湖の様子は見えないが、湖は元の状態へと戻った。

 カイトはこの作戦を立案した男へ声を掛ける。



「向こう側の生き物は全て死んだ。後はお前が約束を果たせば終わりだ」


「あぁ、分かった。ここまでしてくれたんだ、任してくれ」



 男が氷を壊そうとしたところで、仲間がそれを止めた。仲間たちは心配そうな表情で、カイトと約束をした男へと声を掛ける。



「おい、本当に大丈夫なのか?」


「何がだ?」


「本当に向こう側は元の状態に戻っているのか、って話だ」



 要は、カイトを信用できないと言う話だった。男への信頼があったからこそ作戦には口を出さなかったものの、それはカイトを信用することとイコールではない。

 そんな仲間たちに、男は少し呆れた様子で言葉を返す。



「ここまでしてもらっておいて、信頼しないなんてないだろ? それに、あの人間がやろうと思えば俺たちは全員死んでいる」


「それはそうだが……。ここでお前に何かあれば、俺たちをまとめる者がいなくなってしまう」


「じゃあ、お前らが頭の持っていた鏡を持ってきてくれるのか?」


「それは……」


「人間が信頼出来ないから、行きたくないんだろう?」



 それからもいくつか同じような問答を繰り返した後、男がしびれを切らした。



「もういい、話がまとまらない。もし俺が死んだらお前がリーダをやれ。いいな?」



 そう言い残すと、氷の壁を壊すのではなく乗り越えて死体の下へと潜り込んでいった。時折水面を刎ねて向こう側を除く仲間たちに、カイトがそれとなく声を掛ける。



「なぁ、頭とやらが使っていた鏡を取って戻って来るのにどの位掛かるんだ?」


「二、三時間だ。……多分」



 想定以上に時間が掛かることを知ると、カイトは氷の壁に腰を下ろして向こう側に足を放り投げた。



(サモティが居れば話でもして時間を潰せるんだけどな……)



 カイトの周りで何度か言い争っていた者たちは、やがて氷の壁を少しだけ壊して向こう側へと潜っていった。まず間違いなく、鏡を探しに行った者の手助けに行ったのだろう。

 カイトにこれだけのことを頼んだ理由は一つ。それは弱者を切り捨てるルールの改変だ。末端として生活している彼らは、既に切り捨てられていると言っても過言ではない状態だ。切り捨てられる側が少数派であるため、状況をひっくりかえすのはそう簡単にはいかない。しかし、多数派が全て死に絶えるというのであれば話は変わってくる。生き残った者たちは、切り捨てられた弱者として、同じ過ちを繰り返さないように気を付けつつ、新しい集団を作っていくのだろう。そして、次の世代が同じ過ちを繰り返す。

 カイトはそんなことを考えながら、のんびりと地平線を眺める。時折聞こえてくる未来に希望を持つ者たちの会話は、カイトにとってとても眩しいものだった。





 空がオレンジ色に染まり始めた頃、カイトが待つ人物は戻って来た。



「これだろ? あんたが探してたのは」



 差し出してきた鏡をカイトは受け取った。他の者がどう感じるかは分からないが、カイトは確かに神の力の一端のようなものを感じた。鏡を覗き込んでみると、そこに移っているのはカイトの見たことのない人物だったが、見覚えのある人物だった。それは丁度、カイトとカイトの知る神の姿を足して二で割ったような顔だ。



「あぁ、間違いない。これで約束は――」



 次の瞬間、鏡は大きな音を立てて粉々に割れた。その欠片は一つ一つが光り輝いており、少しの間宙に浮いていた。やがて、それらは少しずつカイトの体へと吸い込まれていく。実際に見たことは無かったが、これまでの見聞きした話からこの現象をカイトはすぐに理解する。

 神器が自分の身に宿ったのだと。

 状況の良く分からない男は、不安そうな表情を浮かべてカイトへ問いかける。



「約束は守られた。……で、いいのか?」


「それでいい。お前が持ってきてくれたのは間違いなく僕らが探し求めていたもので、今起こったことは想定外だが理解の範疇だ」


「そうか、なら良かった。一応、元の場所まで見送らせてくれ。仲間の中にはあんたを信頼していない奴もいる」


「助かる。余計な問題が起こらなくて済みそうだ」



 カイトは氷の道を歩き、男はその隣で歩く速度に合わせて泳ぐ。その途中、男はカイトにこれからの展望を話した。カイトは時折相槌を打ちながら、その話を聞き続けた。男がそれを実現することと、どこかのタイミングでその歯車が狂うことをカイトは確信していた。しかし、それを口に出すことはなかった。

 やがて二人は陸地へと辿り着き、サモティと合流した。



「おかえり。……神器は無かったの?」



 カイトの全身を見つめた後、サモティはそう聞いた。



「理由は分からないけど、僕に宿った。サモティと同じだ」


「そうなんだ。じゃあ出発だね、ちょっと待って」



 サモティは手に持っている誰かの手を口にしようとしたが、それをカイトが止めた。



「いや、明日でいいよ。目的のモノは手に入ったし、行くべき場所は動いたりしない。そんなに急がなくても大丈夫だ」



 カイトは湖へと振り返り、恐怖と少しの怒りが入り混じった目をしている者たちへと語り掛ける。その視線の先にあるのは、サモティが食べている同族の死体だ。



「これで終わりだ。じゃあな」


「あぁ、また会う機会があれば歓迎させてもら――」



 そこまで言って、男は周囲からの目線を感じて口を閉ざした。カイトはサモティに一度視線を向けてから言葉を返す。



「気にしなくていい、これを見ればそんな反応になることは分かっている。今回はお互いに助け合っただけで、貸し借りは無しだ。その方がそっちにとっても都合が良いだろ? こんなところで争っている場合じゃないはずだ」



 男は少し申し訳なさそうな顔をしながら、カイトに答える。



「あぁ、そうだな。ここはあんたの言う通りにさせてもらう。俺たちの関係はこれきりだ。だが、お礼の言葉ぐらいは言わせてくれ。ありがとう、本当に助かった」



 そう言うと、男は仲間を引き連れて湖の中へと潜っていった。ふと湖で出来た地平線に目を移すと、水中に浮かんだ沢山の死体が少しずつ近づいてきていた。突如出現したオワリノミズウミに気が付いていたのか、表情のある生き物の大半が恐怖で引きつった表情のまま死んでいる。しかし、湖に住まう者たちにそんなことを気にする余裕などないだろう。

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