第二篇 その他の世界

-01 裏側

 カイトのステータスの値は、ゼロからマイナスゼロへと移行した。

 オワリノミズウミの効果を全身に浴び、カイトのステータスは下がり、その絶対値はあり得ないほどに上昇していく。それは生きとし生けるものが自力では絶対に辿り着けない――辿り着いてはいけない世界。人の身で操作することを許されていない、ことわりの一部だった。

 カイトの体はオワリノミズウミを吸収し始め、その速度は目に見えて上がっていく。水は消え去り、底にあった白骨したモノから先程落とされたモノまで、様々な年代を感じさせる死体がその姿を現した。

 カイトがその上に横たわり水面がそれよりも下へ行った後も、地中からカイトの体へとオワリノミズウミが吸い付くように浮かび上がる。

 カイトが目を覚ましたのは、全てが体の中に入ってからだった。



「……?」



 不思議だった。目前に広がる死屍累々の景色を見て、何一つ思わなかった。死に対して抵抗の薄いカイトだが、何も思わないなんてことは無いはずだった。辺りに漂う腐乱臭が鼻をついても、嫌悪感さえ抱けなかった。まるで、それらの感情よりもよほど強い他のに覆い隠されているかのように――。

 やがて、カイトの耳に声が届く。



「おいっ! どうなってる!」


「わ、分かりませんっ! 突然巨大な渦が出来て、下の方に吸い込まれて……」


「んな訳あるか!」


「しかし――」



 近くの声だとは思わなかった。しかし、やけにはっきりと聞こえて来た。合間合間の息遣いまで、しっかりと。

 カイトが声の聞こえた方を見上げると、オワリノミズウミが余程深かったのか空が米粒サイズで見えていた。そして、その周りにいる人間が表情までくっきりと見える。

 いつもと違う状況に戸惑いながらも、カイトは逃げようと思った。辺りを見渡して、逃げ道が無いか探す。どこでも良かった。早くしなければ人間が追い付いてくるかもしれない。こんな状況で生きていると知られれば、何をされるか分からない。死ぬだけならまだしも、痛みを味わうような事は出来れば避けたかった。

 そう思っても、カイトの体は動かない。

 人間から目が離せなかった。人間のものでは無い本能が、カイトへと何かを訴えかけてくる。

 その欲求は、カイトが今まで経験した何よりも強かった。心臓は高鳴り、その音はすぐに聴覚を支配した。頭は次第に朦朧として、その欲求以外何も考えられなくなる。

 心臓が酷く冷たい気がした。そこから冷たいものが血管を通って、全身へ巡るような感覚に襲われる。息が荒くなっていく中、無意識に助けを求めるように月に伸ばした手は黒く染まっていた。





 カイトの最後になるはずだった言葉を聞いた兵士は心の底から驚き、恐怖していた。

 ここにいる兵士のステータスは平均二万はある。それがおよそ百名。余程劣悪な状況でもない限り、他種族の戦闘部隊だろうと容易に打開できるだろう。



 剣を振るった。



黒い肌に弾かれて剣が折れた。



 魔法を放った。



一切の傷を与えられなかった。



 殴られた。



上半身が吹き飛んだ。



 見たことも聞いたこともない魔法を放たれた。



直撃した者は骨すら残らなかった。



 そんなことがあるはずがない。

 そう思ってみても、現実は変わらない。仲間は死に、自分だけが残った。

 真っ黒な肌。白い髪。色が反転した瞳。

 人間ではないと思ったが、それが最後に話した人間だという事は分かった。

 相変わらずの無表情で、手には仲間の首がボロ雑巾のようにして持たれていた。握られた首はペンと変わらない細さになり、口からは何かが零れていて、体は引きずられていた。



「ま、待ってくれ! お、おお俺は命令されただけなんだ! 別にあんたを殺したかったわけじゃない!」



 カイトはそれを聞いても、真っ直ぐと最後の一人の兵士の方へと歩いていく。兵士は全身を震わせ、股のあたりからは黄色い液体が染み出していた。

 一切表情を変えることなく、黒い腕が振りかざされる。



「俺は悪くないんだっ! 俺には嫁も子供もいるんだ……。頼むっ、助けっ――」



 兵士の涙と鼻水で汚れた顔は、上半身ごと木っ端みじんになった。

 次の瞬間、カイトの心臓のあたりから白い光で出来た鎖が出現し、その体を縛り付けた。カイトは両手でそれを解こうとしたが、びくともせず、そのまま意識を失って倒れこんだ。

 鎖は触れた部分から侵食するようにカイトの体に溶けていき、少しの時間を掛けてカイトの体を元の状態に戻した。

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