第51話

『大変! 大変! 大変ですっ! カーブを曲がりそこねた聖ローのグラッドディエイターが、戦闘馬車チャリオンとともに湖に転落してしまいましたっ! いま、救護班が向かっておりますが、このままでは……! ああっと!? ボーンデッドも、ボーンデッドも湖に向かっております!』



『くぅぅぅっ……! なんということでしょう……! グラッドディエイターは陸上戦用のメルカヴァ……! 這い上がろうとするところを蹴落とせば、労せず戦闘不能にすることができてしまいます……!』



『ええっ、ヴェトヴァさん!? ボーンデッドはトドメを刺しに向かっているんですか!? でも、そんなことをしたら、相手のパイロットは溺れてしまいます!』



 「トドメなんて刺すわけねぇだろ!」と俺はコクピットの中で声を大にして突っ込んでいた。

 命のやりあいをする戦争ならまだしも、こんな試合なんかで……!



『いえ、あのゴーレムならやるでしょう……! 救護班が来て、グラッドディエイターが救出された場合、試合続行となってしまいます……! その前に潰しておくのが最善手といえましょう……! 這い上がろうとするところを蹴落として、たとえ相手のパイロットが溺死したとしても……それはあくまで、試合の上での事故……! 法律的にも大会ルール的にも、なんら問題はありません……!』



 なにを言ってやがんだ、コイツはっ……!



『さらに申しますと、今大会は母大にとって、絶対に負けられない戦い……! 敗北すれば廃校になってしまうのですから……! やらない理由はどこにもありません……!』



 ……!


 冷えたナイフが、首筋にピタリと当てられたような悪寒が走った。


 一瞬、右足が浮きあがり、ペダルの踏み込みが緩んじまったが、すぐに我に返ってベタ踏みする。


 ……バカ野郎!

 あんな女の言うことを、なに真に受けようとしてんだ……!


 俺は元々、グラッドディエイターたちを合流させまいと、個別撃破するつもりで部員たちのいる戦線から離脱したんだ。


 どのみち潰すつもりではいたが……でも……こういうのは違うだろっ!


 俺は湖のほとりで滑り込むようにして止まると、淵に爪痕を残しながらも引きずり込まれていく銀色の篭手を、ガッと掴んだ。


 水面に出ているのはその片腕とフェイスのみ。

 他はどんどん水没しているようで、ボコボコと沸き立つ泡がやまない。



『ぷわっ!? あぷわっ! たっ、助け……! 助けるのですっ!』



 コクピットの浸水はかなり進んでおり、パイロットの幼女、ルルロットが暴れるたびにフェイスが激しく波打つ。

 小瓶のなかに閉じ込められた妖精が、水攻めにあっているかのような光景だった。


 俺は無言で腕を引っ張る。


 いまのボーンデッドは、CAT1兵器の使用許可すらねぇヒヨッコだが……メルカヴァ1機引き上げることくらい、なんてことは……!


 しかし、ペダルをめいっぱい踏み込み、操縦桿をこれでもかと引き絞ってみても、ぜんぜん揚がってくる気配がなかった。

 それどころか踏ん張った足が、ズズズズ……! と滑りはじめる始末。


 ……どういうことだ……!?

 むしろこっちが引きずり込まれてんじゃねぇか……!


 そして俺は気づいた。

 グラッドディエイターヤツの片手……俺が握っていないほうの手が、水面に出ていないことに……!


 まさかコイツ……戦闘馬車チャリオンを持ってやがるのか……!?


 俺は尻に火がついたウサギみてぇに、大急ぎでテキストチャットを投げかける。



『テヲ ハナセ』



 するとルルロットは、あっぷあっぷと息を吐きながらも、顔をイヤイヤと左右に振った。



『……はぷっ! はぁぁっ! いや……いやなのですっ! パンチョパンチョはルルロットの大事な大事なお友達なのですっ! 死なせるわけにはいかないのですっ!』



 ……なに言ってやがんだ、コイツ……!

 生きてる馬ならともかく、ゴーレムだろうが……!


 って、今は俺もゴーレムだけどよ……!


 なんにしても、メルカヴァ1機だけならともかく、あんなバカでかい馬と馬車まで引き上げるだなんて、できるわけがねぇ……!

 こうなったら、このお嬢様の腕をへし折ってでも……!


 そう決意しかけた俺に、駄々っ子のような黄色い悲鳴と、青く潤んだ瞳がすがりついてくる。



『お……お願い……! お願いなのです、ボーンデッド……! パンチョパンチョを……! ルルロットのお友達だけでも、助けてほしいのです……! そのためなら、ルルロットはどうなってもいい……! アップアップしたってかまわないのです……!』



 金髪を哀れなほどに振り乱しながら、声をかぎりにするルルロット。

 聖堂院に残してきた、幼い子どもたちの泣き顔とだぶる。


 く……くそっ!

 そんなツラすんじゃねぇっ……!


 それに、ムチャ言うなよ……!

 いまのボーンデッドのスキルじゃ、どうしようも……!


 なにか、なにか……なにか手はねえのかっ!?

 このクソ重いお嬢様を、地獄の淵から引きずり戻す方法はよっ……!?


 張り詰めた腕と、踏みしめる脚。

 全身がこむら返りを起こしそうなまでに強張らせたまま、ついには脳まで引きつらせるハメになっちまった。


 全身全霊の行為に、青筋を伝った汗が垂れ落ち、目に染みやがる。

 しかし、今の俺には拭うことも許されねぇ。


 すこしでも手を、脚を、そして思考を緩めたら、終わる……!

 がんじがらめになったワイヤーで、素肌を締め付けられているかのような感覚……!


 このままじゃ、引き裂かれる……!

 俺も、この子も……そして、心さえも……!


 空調すらまるで役に立たねぇほどに、焦燥で身体が燃えあがりそうだった。



 ……ピンピロリン!



 不意にシステムからの通知音が、頭が空っぽな神様がくれた天啓のように響いた。


 切り替わったモニターに滲む目をやると、そこには、



『サテライトシェルの判断により、あなたへのリソースが増大しました。これにより、スーパーバイザーの一部が使用可能となります』



 ……ボーンデッドが存在する惑星ほしは『サテライトシェル』という、惑星全体をすっぽりと覆う「衛生殻」によって守られている。


 惑星が卵の黄身だとすると、大気圏が卵の白身、サテライトシェルが卵の殻というわけだ。


 サテライトシェルは、隕石などの外的要員から惑星を守るほかに、惑星上に存在するボーンデッドたちの生産、そして管理を行っている。

 いわば、ボーンデッドたちの母親……マザーコンピューターってわけだ。


 子供たちボーンデッドの能力は、すべて母親から与えられる。

 子供たちがスキルポイントを使って新たなる機能を獲得すると、子供の体内で眠っていたその機能を、母親が呼びさまし、使えるようにしてくれるんだ。


 ボーンデッドの機体にはさまざまな機能が内蔵されているが、スキルポイントを使って母親からの許可をもらわないと使えない。

 ママのお許しがなけりゃ、オギャアと泣くことすらできない赤ちゃんってわけだ。


 機能が内蔵されてるなら、最初から全部使わせてくれればいいのに、と思うだろう。

 しかしそれは、ママのキャパシティの都合から、無理なんだ。


 マザーコンピューターの処理速度にも限界がある。

 優等生も劣等生も、みんな蝶よ花よと育てたら破産しちまうのと同じようにな。


 だからスキルポイントという概念で、ひとりの子供が使えるリソースに制限をかけているんだ。


 より多くの敵をブッ殺すと、スキルポイントが多くもらえる。

 これは、テストでいい点を取るのと同じ意味がある。


 ママに優等生だと認められ、愛情リソースを多く割いてもらえるようになるんだ。


 逆に劣等生は見放される。

 役立たずに割く愛情リソースがあったら、より良いヤツに与えたほうがマシ……というわけだ。


 ……以前、俺が言った言葉を覚えているだろうか。



『生き死にの戦いをしてる兵器なんだったら最初っから全機能使えるようにしとけよ、とツッコミたくなるだろうが、スキルポイントがないと使えないのにはちゃんとした理由があるんだ。それについては説明すると長くなるから、またいずれ。』



 ……かつての俺が言ったとおり、ちょっとばかし長かっただろ?

 でもこれが、『ボーンデッド』のスキルシステムの秘密ってわけだ。


 では、先程解放された『スーパーバイザー』というのは何なのか……?


 これは、ママの愛情を独り占めにする、とんでもないスキル……!


 トップクラス……いや、稀代の活躍を見込まれたパイロットにのみ与えられる、禁断のスキルママからのキスなんだ……!

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