第6話

 遠巻きに、小さな人だかりができていた。

 小学校低学年くらいの幼い女の子たちが、ぽかんと口を開けたまま鍋を見つめていたんだ。


 澄んだ瞳を瞬くことすらせず、瞼を縫い付けられたかのようにただただひたすらに。

 花びらのようなちっちゃな唇の端からは、とめどなく光の筋があふれて雨だれのようにポタポタ垂れ落ちている。


 そして誰しもが無言だったが、腹の底からはグゥグゥとした唸りが止まらない。

 それはカエルの大合唱のようで、夕暮れ時の川のせせらぎと非常によく合っていた。


 おそらく……いや、きっと、カレーのニオイに誘われたんだろう。

 大人ですらこの香りには吸い寄せられてしまうから、こんな子供たちではひとたまりもないだろう。


 だが、これは俺の念願のカレーだ。悪いが……。


 そう思った瞬間、彼女たちの粗食が頭をよぎる。


 ……やれやれ、しょうがねぇなぁ。


 俺は、彼女たちのほうに胴体を向けた。



『モッテ コイ』



 浮かび上がる文字に、子犬のように顔を見合わせる幼女たち。かわいい。



『サラト スプーン』



 続いた文字に、子犬たちは期待と不安に満ちた表情で、ボーンデッドを見上げる。

 「いいの?」みたいなカンジを醸し出してるが、顔には「たべたい!」と書いてある。



『クワセテ ヤル』



 子供たちは素直だ。

 その文字を見た瞬間、ピクミンのように一斉に聖堂院に駆け戻ったかと思うと、真っ白い皿と銀色のスプーンを手に手に息を切らして戻ってきた。



『イチレツ ナラベ』



「はぁーいっ!!」



 元気な返事とともに、ピシッと整列する子供たち。マジで博士になった気分だ。


 聖堂院でちゃんとしつけられてるんだろう。

 幼い子が前で、お姉ちゃんは後ろ、という風にちゃんと年齢順になっている。


 俺はしゃもじを使ってカマドから炊きたてのゴハンをすくいあげると、先頭の子が差し出してくる皿の上よそう。


 こんもりしたメシの山に「こんなにたくさん!?」と目を見開いている。

 その驚きに追い打ちをかけるように、上からたっぷりとカレーをかけてやった。


 並んでいた子たちは待ちきれないのか、列を崩して覗き込み、「いいなー」を連発している。



「あ……ありがとう! ぼーんでっどさん!」



 ペコリ、と頭を下げる第一幼女。

 ちゃんとお礼も言えるなんて、えらい子だ。ナデナデしたい。


 そして配給係と化すボーンデッド。

 ジュニアアイドルみたいに可愛い子たちから、星のようにキラキラした瞳で皿を差し出されちゃ、そりゃ張り切るってもんよ。


 ちなみにゴハンをよそうしゃもじと、カレーをかけるおたまは特別製。


 最初は人間用のをそのまま使ってたんだが、ボーンデッドからするとおままごとの人形サイズなので、指先でつまんで使うことになる。


 それだとちょっと不便だったので、作りなおした。

 握るところは丸太なみに太いんだが、すくう部分は人間サイズになっている。


 まるで柄の太い耳かきみたいだが、これがまた扱いやすくて作業スピードが格段にアップ。

 配給の列も握手会のようなペースでどんどん消化できたんだが、そう簡単にはいかなかった。


 なにせ、噂が噂を呼んで、聖堂院の子たちがどんどん集まって、列に並びはじめたんだ……!


 とうとうララニーとルルニーもやって来る。



「わわわっ!? みなさん、どうしたんですか!? ボーンデッドさんにお呼ばれしてるんですかっ!? なんですかこの食べ物!? すっごくいいニオイです!? それにこんなにゴハンも大盛りで……! じゅるりっ!」



 食べたい気持ちをまるで隠そうともしないララニー。

 犬みたいにそこらじゅうを駆け回ってカレー皿を覗き込む姿は、ここにいる誰よりも子供っぽい。



「あの、ボーンデッドさん。ご迷惑ではないですか? ボーンデッドさんがお召し上がりになるはずのお食事だったのでは……?」



 俺の足元にやってきて、しきりにすまなさそうにしているルルニー。

 ここにいる誰よりもお姉さんだ。


 『ベツニ カマワン』と打ち返す。

 本当は『キニ スンナ』と打ちたかったんだが、また『キス シナ』になったら嫌だからな。



『オマエモ クエ』



 するとルルニーは、とんでもない、とばかりに首をふるふるした。

 しかし間髪入れず、皿が手渡される。



「ルルニーさん、はいお皿! せっかくですから、あたしたちもチャッカリお呼ばれしましょう!」



「もう、ララニーさんったら。いつの間にお皿を……。わたしたちは、遠慮しなくては……」



 そうたしなめるルルニーの皿に、俺は手早くゴハンとカレーをよそう。もちろん大盛りで。

 目の当たりにした瞬間、押し黙るルルニー。


 言葉を飲み込むように、白い喉がこくりと上下する。

 聖職者としての理性と、食欲が戦っているような真剣な表情だ。


 いくらがんばってみたところで、カレーの魔力の前では無駄だろうな。

 空腹ならなおさらのことだ。


 このスパイスの香りとビジュアルの前には、神様だって空から落ちてくるだろう。


 隣で覗き込んでいたララニーは、ルルニーの気持ちを代弁するかのように叫んだ。



「うわうわうわうわっ、うっわぁぁぁ~!! メチャクチャ美味しそぉ~っ!! ボーンデッドさん! これは何ていう食べ物なんですかっ!? 『激ウマ泥』とかですかっ!?」



 いくら激ウマでも、泥は食いたくねぇなぁ。



『カレー ダ』



「カレー!? うわあ、たしかに華麗ってカンジですっ! 『華麗なる泥』ってカンジ!」



 どうしても泥ってことにしたいんだな。


 ルルニーは俺たちのやりとりには加わろうとせず、ショーウインドウのトランペットに憧れる少女のような眼差しでいる。

 その瞳にはカレーしか映っていない。



「こ……これは、『カレー』というものなんですね……。ニンジン、ジャガイモ、タマネギがいっぱい……! そ、それにお肉まで……! こ、こんなごちそう、初めて見ました……!」



 とうとう震えだす始末。

 おいおい、カレーがごちそうだなんて、普段どんなモン食ってんだよ。


 俺はララニーの皿にも同じように、大盛りカレーをよそってやった。



「お肉なんて、本当にひさしぶりですねぇ! エターナルぅー! さぁさぁルルニーさん、食べましょ食べましょ!」



「で、でも……こんな贅沢なものを、わたしたちが頂くわけには……子供たちに、食べさせてあげないと……」



「ほらほら、子供たちにもチャッカリ同じものがありますから! それよりもルルニーさんがいないと『いただきます』できませんから! 早く早く!」



 よく見ると子供たちはカレーに手をつけていない。

 おあずけをくらった犬みたいに待っている。


 ルルニーは子供たちからの「食べてもいい?」という上目遣いを一身に浴び、ようやく折れた。



「わ……わかりました。では、みなさん、ボーンデッドさんのまわりに輪なりましょう。そしてボーンデッドさんにお礼を言ってから頂きましょう」



「はぁーいっ!!」



 河原に黄色い声が弾ける。


 聖堂院の女の子たちは俺のまわりに集まると、キッチリした正円の陣形を描いた。

 そして揃った動きで、しゅたっと正座すると、



「ボーンデッドさん、カレー、ありがとうございます!!」



 大昔の新妻のように三つ指をついて、深々と頭を下げた。


 360度、どこを見てもひれ伏す少女たち。

 俺からカレーを授かり、全身で感謝の気持ちを表している。


 なんだかカレーの王様にでもなったような気分だ。


 最後の許しを求めるように見上げられたので、『サア クエ』と打ってやる。



「いただきまぁーすっ!!!」



 今日一番の歓声と笑顔が、俺を包んだ。


 銀色のスプーンに乗せられたミニカレーが、一斉に口へと運ばれる。

 小さな口をめいっぱい、あーんと大きく開いて。


 しかし、ぱくりっと咥えた瞬間、無邪気そのものだった少女たちの顔が、女へと変わった。



「んむぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」



 昇天したかのような嬌声とともにのけぞり倒れ……恍惚とした表情で、ビクンビクンと痙攣をはじめたんだ……!


 高校生から中学生、しかも小学生まで……なにかに目覚めてしまったかのように……!

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