3

 エリザベスが浴室に消えると、レオナードはくしゃりと前髪をかきあげた。


「まいったな……」


 結婚するつもりはない、婚約者じゃない――、そう言われるのは慣れていた。だが、まさか「なんでわたしと結婚したいの?」と訊かれるとは思っていなかった。


「なんで、か」


 その答えは簡単だ。彼女が――正確には彼女が生む未来の子供が――エーデルワイド伯爵家の継承権を持っているから。


 きっと彼女は、レオナードがそう答えたところで傷つきはしないだろう。初対面の時のレオナードの取り繕った顔を胡散臭そうな目で見ていた彼女には、どんな世辞や賛美も通用しないことを、なんとなくわかっている。


 だが、どうしてかレオナードは言葉に詰まってしまった。別に言ったところで、彼女の表情も態度も変わらないとわかっていたのに、なぜか今それは告げてはいけない気がした。


 レオナードの人生において、選ぶ伴侶は何も彼女である必要はない。


 次男で、家を継ぐことができないレオナードにとって、確かにエーデルワイド伯爵家の名前は魅力的だが、別に彼女以外にもいくらでも選択肢はあった。


 レオナードは自分が馬鹿でないことを知っていたし、自分の顔がどれほど女性の気を引くかも理解している。


 手を焼かせてくれるエリザベスよりも、にっこりと微笑むだけでころっと騙される女性の方が扱いやすいに決まっていた。


(でも、つまらないからな……)


 貴族令嬢はつまらない。外聞やプライドがすべてのような彼女たちとは、一夜限りの関係ならばまだしも、長年連れ添うことはどうしても考えられなかった。


 そうは言っても、適当ないい相手を見つけて将来のことを考えなければと思っていた矢先の夜会で、エーデルワイド伯爵家の継承権を持つ娘がいるという噂を聞いたのだ。その娘は庶民育ちで貴族のことを何も知らないという。


 これは面白そうだと興味を持ったのが、すべてのはじまりだった。


 求婚したからと言っても、気に入らなければ別れればいい。もともと貴族社会にいない娘に多少失礼があったからと言っても、レオナードの名前に傷はつかないだろう。


 そうして会った彼女は――、なんというか、レオナードの予想の斜め上を行っていた。


 少なくとも、自分に対してこんなにもずけずけと遠慮ない物言いをする女性を、レオナードは知らなかった。そして、誰もが頬を染めるレオナードの笑みに、胡乱そうな視線を返した女も知らなかった。


 これは本当に面白そうだ。そう思ったレオナードは、何としても彼女を手に入れようと思ったのだ。彼女となら、これからの人生も刺激的で面白いものになるかもしれないと、直感が告げたから。


 しかし、彼女は手ごわかった。


 優しくしてもダメ。ドレスや宝石を買い与えてもダメ。猫かぶりは逆効果のようなので素を見せたが、それでも信用されない。


 正直、レオナードの矜持は傷つきまくりだった。


 ここまで女に相手にされないのもはじめてだ。


 レオナードは浴室に消える前のエリザベスの顔を思い出した。


 不機嫌な顔の中に、何かに傷ついたような小さな表情が垣間見えた。


(俺はいったい、何をして傷つけた……?)


 それがわからないから、彼女は微笑まないのかもしれない。


 そう思うと、レオナードは微かな焦りを覚えるのだった。

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