撮鉄娘! 2

「結構いい感じの雰囲気なのね」

 日没の頃の小田急片瀬江ノ島駅、二人の制服姿の女子高生が特徴的な形をした駅舎を撮っていた。竜宮城を模した駅舎は度々メディアなどで紹介されているため、世間でもそれなりに知られている存在だ。

 今日、カメラ女子ブームや鉄女ブームを経て、鉄道写真を撮影する女性の姿はあまり珍しい光景ではなくなっていた。

 学校でも鉄道研究部では女子部員が増え、鉄道研究部がない学校でも写真部などで撮り鉄活動をするものも少なくないと言われている。かつて男性ばかりとの印象の鉄道ファンだったが、学校やコミュニティによっては女性のほうが多くなり、男性が隅で小さくなっているという話もあった。

 そして、鉄道写真と言っても鉄道車両だけではなく、彼女らのように駅舎などの鉄道設備を撮る女性の姿も少なくない。

「そうなんです。夕方になるとライトアップするんです」

 背があまり高くないショートカットの女子高生が三脚を調整しながら答えた。

 日が沈み、西の空はまだ明るいが徐々に東側から暗くなってきている。

 竜宮城のような形をした特徴のある駅舎はライトアップされているので、日が傾いて暗くなりつつあっても目立っている。

「それにしてもバリアングル液晶って便利なのね」

 カメラから引き出した液晶画面を見ながら三脚を調整して構図を決めている様を見て、セミロングの後髪を束ねてポニーテールにしているもう一人の女子高生が呟いた。

「とても便利ですよ。ファインダーを覗きづらい角度の時はものすごく助かるんです」

 そう言いながらショートカットの女子高生は画面を見ながらカメラを動かす。

「私のカメラにはライブビューもバリアングル液晶もないから、こういう撮影の時は羨ましく思うわ」

 ポニーテールの女子高生はショートカットの女子高生が構図を調整する様を興味深そうに眺めている。

「うーん、これでいいのかなぁ」

 とりあえず構図が決まったらしく、ショートカットの女子高生は雲台から伸びているハンドルを回してカメラ位置を固定させた。

 絞りとシャッタースピードを調整し、露出を合わせてシャッターボタンを押しこむ。二秒ほど遅れてカシャッとシャッター音がなる。

 一五秒くらい経って、またカシャッと鳴った。

「シャッタースピードは遅くしているの?」

「はい、一五秒に設定しています。そうすれは通りかかった人が写り込まないんです」

 ショートカットの女子高生がそう言いながらカメラの再生ボタンを押した。

 一五秒の間に二人の目の前を何人もの通行人が通り過ぎたが、カメラのディスプレイに映しだされた画像には人影はなかった。

「不思議なものね」

「はい、長時間シャッターを開けているとちょっと通りかかったくらいでは人影が残らないんです。なので、このように無人のように写るんです」

 ポニーテールの女子高生は不思議そうな顔をしながらカメラのディスプレイを覗きこんだ。

 ショートカットの女子高生は拡大ボタンを押したり、表示範囲を移動させたりして撮れた写真のチェックをしている。その様子をポニーテールの女子高生も興味深げに覗いている。

「綺麗に撮れてるんじゃない?」

「そうですね。こんな感じであと何枚か撮ってみます」

 そう言いながらショートカットの女子高生はシャッターボタンを押した。


「腰越先輩。昨日の写真、現像してみましたよ」

 片瀬江ノ島駅で撮影をした翌日の放課後。花旗台学園女子高校の写真部部室でショートカットの女子高生、柳小路広海はカバンの中からタブレット端末を取り出しながら言った。

「広海ちゃん、見せてもらってもいい?」

 先に部室に来ていたポニーテールの女子高生、腰越結衣がショートカットの女子高生に言った。

「はい、ちょっと待ってください」

 そう言いながら広海はスマートフォンを取り出して操作を始めた。

「これが一番のお気に入りなんです」

 広海は画像を表示させてから結衣にスマートフォンを手渡した。

 結衣はスマートフォンを操作して拡大したり表示部分を動かしたりしながら広海の撮った写真を見ている。

「綺麗に撮れてるわね。グラデーションが効いた空の雰囲気が良いわね」

 竜宮城のような形の駅舎の特徴的な屋根の部分を大きく取り入れた構図となっていた。駅舎の奥に見える空は夕焼けのオレンジと夜の黒とが混ざり合ったグラデーションが結衣には印象的に映った。

「私も今度撮ってみようかしら」

 そう言いながら結衣はスマートフォンを広海に返した。

 結衣の反応に広海は嬉しそうな顔をしている。

「色々と撮れるのでぜひ試してみてください。あと他にも写真がありますよ?」

 スマートフォンを手渡された広海は画面を操作し、他の画像を表示させては結衣に見せる。

 広海の指の動きに合わせて順々にスクロールされてく画像を見ながら、結衣は頷いたり「へぇ」と声を上げたりしている。

「こんにちはっすー」

 部室の扉が勢い良く開く音とともに元気な声が飛んで来た。

 結衣と広海を含め部室にいる部員全員が扉の方向を見る。部室の入り口にはロングヘアの生徒が立っていた。

「石上さん、もうちょっと静かに入って来られないのですか?」

 部長の藤沢がロングヘアの生徒、石上奈々に注意した。

「ああ、はい。すいませんー」

 軽く二度三度頭を下げながら奈々は扉を閉めた。他の部員が奈々に向ける視線を感じ、思わず苦笑いをしてしまう。

 奈々は自分の方向を見る他の部員たちに頭を下げながら結衣たちのところまで来た。

「奈々、あなたはいつもなんでそんなに元気なの? それにしても今日は遅かったわね」

 呆れたような顔をしながら結衣は言った。

「えへへー、今日も絶好調なのだー。それよりもねー、これを見て欲しいんだー」

 結衣の皮肉めいた言葉に悪びれる様子も見せずに、奈々はニヤニヤしながら持っていたカバンから雑誌を取り出した。

 表紙には月刊鉄道ムーブメントと書かれている。定期刊行されている鉄道雑誌の中では一番メジャーな雑誌だ。

「今月号の鉄道ムーブメントですね。そういえば発売日って昨日でしたっけ?」

 表紙を覗き込みながら広海が言う。表紙には今月の特集なのか「特集 国鉄末期デビューの車両たち」との文字が大きく書かれ、長野色の211系の写真が大きく飾られている。

「そうそう、昨日発売ー。それで、今月の撮影のテーマだけどもここはどうかなーって思ってー?」

 奈々はそう言いながらページをめくり、とある一ページを指さしながら結衣と広海に見せた。

 「箱根登山鉄道3000形アレグラ号 ローレル賞受賞」と見出しがつけられ、式典の様子を伝える写真と共に記事が掲載されている。昨年にデビューした車両が鉄道趣味団体からの賞を貰い、鉄道の日がある十月に授賞式を行ったと記事には書かれている。正式には3000形という形式だが、アレグラ号という愛称が付けられている。

「そういえば今年のローレル賞って箱根登山鉄道の新車っだわね。なかなか箱根登山鉄道に乗る用事、というか箱根に行くことがないから実際には見たことないのよね」

「私も箱根に行く機会はないです。箱根は紅葉とか新緑のシーズンはすごく良いみたいなので一度は行ってみたいと思っていますけども、今の時期はどうなんでしょうか?」

 結衣と広海は顔を見合わせながら喋った。女子高校生ならば家族旅行の機会でもなければ箱根に行く機会がないのだろう。

「そこでなんだけどさー、今月の活動は箱根登山鉄道にアレグラ号を撮りに行くってのはどーかなってー。今年いっぱいまで受賞記念のヘッドマークを付けてるってい言うしー」

 奈々がアレグラ号が掲載された写真を指差す。

 結衣と広海は指差された写真を見ると、小さいながらもプレートが付いているのが分かった。

「受賞記念だからもっと派手なものを想像したけども、結構こじんまりとしているのね」

 奈々が指差した先のプレートを見ながら結衣が言う。

 結衣がその感想を持つのも仕方なく、パッと見ですぐに目指できる大きさではなく、車両の前面に付けられた製造年とともに所属を示す「箱根登山鉄道」と書かれたプレートよりも少し大きいサイズに見えた。

「あたしもねー、なんでだろうと思ってヘッドマークが付けられる前の写真とか見てみたけども、大きなヘッドマークが付けられないような位置に取り付け場所があるのよねー。設計の人はあまり大きなヘッドマークを就けることを想定しなかったのかなー」

 奈々はそう言いながらスマートフォンを取り出すと、何やら操作し始めた。しばらく経つと二人に画面を見せた。

 奈々が見せた画面にはヘッドマークが付いていないアレグラ号が写っている。

「分かるー? ここが取り付けの金具ー。その上はヘッドライトがあるしー、ちょっと下には車号が書かれているしでこのくらいのヘッドマークしか付けられない設計だったっぽいよねー」

 雑誌のヘッドマークが付いたの写真と奈々のスマートフォンのヘッドマークが付いていない写真を見比べてる。

「ああ、なるほどね。確かにこのくらいのスペースしかないのね」

「そんな感じなんですね。前面の真ん中の部分には行き先表示のLEDがありますし、このようになってしまうんですね」

 結衣と広海は唸り、頷きながら二つの写真を見比べている。

「このヘッドマークって今年いっぱいなんだってー。だから早いうちに撮りに行きたいなーとか思ってー。今月の撮影テーマも決まってないしこれでいいよねー?」

 奈々が二人の顔を交互に覗き込みながら言う。

 結衣は広海の方を見ると目が合い、広海は結衣の答えを促すかのように首を傾げた。

「そうね、今月は特に考えていなかったし、ちょうどいいんじゃないかしら」

「やったー。撮影は今度の土曜日でいいよねー?」

 結衣の言葉に奈々は声を上げる。持っていた月刊鉄道ムーブメントをカバンにしまうと、一冊の別の本を取り出した。表紙には「小田急時刻表」と書かれている。

「奈々、あなたいつもその時刻表を持ち歩いてるの?」

 結衣が半ば呆れたような顔で聞くと奈々は大きく頷く。

「ああ……。ええ、そうなの……」

 結衣は呆れてしまい、それ以上言葉が出なくなった。

「えー、結衣っちなんなのー、その反応はー。だっていつどこで何があるかわからないじゃないー」

「うーん、どういう場面で時刻表が要るのかが分からないのよね……」

「だって、今必要になるんだよー? どうやって行くか時間を調べるんだからー」

 自信満々に言う奈々の言葉に結衣は言葉が出ず、小さく何度も頷いた。

「今度の土曜日ですよね。今のところ天気予報は晴れ時々曇りで大丈夫そうですね」

 広海は二人の会話に加わらずにスマートフォンで天気予報を調べていた。

 二人に見せた画面には広海が言った通りの天気予報が表示されている。

「金曜日も日曜日も雨の予報はないみたいだから大丈夫かしら」

 神奈川県西部の天気予報は晴れ時々曇り、降水確率は一〇%と書かれている。前後の日も同じような天気が表示されているので、天候がずれ込んだりして雨が降りそうな気配はあまり無いように見える。

「じゃあ、今度の土曜日で決まりかしらね」

 結衣がそう言うと二人は頷いた。

「時間だけどー、五一五四列車からの二〇〇七列車でいいー?」

「待って、小田急で行くの? 東海道線の方が早いんじゃない?」

 時刻表をペラペラとめくりながら言う奈々の言葉に結衣は間を入れずに言葉を返した。

「えっと……、五一五四列車って本鵠沼発は何時なんでしょうか」

 広海はスマートフォンを取り出して時刻表サイトを調べている。

「えー? だって、小田急の方がいいなーって思ってー。往復乗車券付きのお得なきっぷもあるし、そっちの方がいいかなーって」

 そう言いながら奈々は時刻表をめくってとあるページを結衣に見せた。

 そのページには小田急線の往復乗車券と箱根登山線の一部、箱根登山バスの一部区間が乗り降り自由のきっぷの案内が書かれている。

「向こう行って多少は乗り降りしたりするし、それと往復することを考えるとこっちの方がお得かなーって思ってー」

 奈々は手や指を動かし必死にアピールする。

 箱根と言えば周遊するためのフリーパスの印象が強く、奈々の言うきっぷの名を結衣は初めて聞いた。乗り降りのできるエリアを見てみるとフリーパスと比べて範囲が狭いので、あまりアピールされることもないのだろう。

「そうね、こういうきっぷがあるなら良いんじゃない?」

 きっぷの案内に小田原からの料金も記載されていたので東海道線で小田原まで行って、このきっぷを買えば良いのではと結衣は気づいてしまったが、奈々を説得するのが面倒になって奈々の案を承諾した。

「えっと……、私は本鵠沼を九時四〇分の各停ですね」

 奈々はページをめくって該当の列車の時刻を確認する。指でなぞって広海の乗車駅の時刻を確認し、大きく頷いた。

「うん、そうそうー。一番後ろ乗ってねー。結衣っちは一番前だよー? 時間とか大丈夫ー?」

「えっと、列車番号で言われてもすぐには分からないわよ」

 「えー?」と言いながら奈々は指で追いながら結衣の乗車駅を探す。一般的に考えて列車番号から自分の最寄り駅からの時刻が瞬時に把握できる人はほとんどいないだろう。

「結衣ッっちは九時五七分だってさー」

「九時五七分ね、分かったわ」

 結衣はスマートフォンを操作して、奈々に言われた時刻をメモした。

「きっぷはそのお得なきっぷを買えばいいんですね。ちょっとメモします」

 広海はそう言いながらスマートフォンを操作してカメラアプリを起動する。奈々はきっぷのページを広海にめくってみせて、そのページを写真に撮って保存した。

「このきっぷって券売機で買えばいいんですよね?」

「んー、多分。分かんなかったら駅の人に聞けば大丈夫だと思うよー?」

 奈々は自信無さそうに言う。きっぷの案内の内容を改めて見てみるが、特に発売場所は指定されていないので大丈夫と判断したのだろう。他ページをめくってみて、箱根や江の島のフリーパスの発売についても特に書かれていない。

「じゃあー、そんな感じでー」

 そう言いながら奈々は時刻表とパタンと閉じた。


 次の土曜日の朝、指定された列車に間に合う時間に結衣は湘南台駅の上りホームにいた。

「あ、来た」

 列車の接近を告げる駅のアナウンスが流れると、見慣れた小田急の列車がホームに入ってきた。

 扉が開くと見慣れた姿が二人、乗務員室の後ろに立っていた。一番前と指定された時点で分かりきったことだったが、奈々は運転士の後ろでがっつりと「かぶりつき」としている。

「腰越先輩、おはようございます」

 奈々のすぐ横に立っていた広海が結衣の姿に気づき、軽く頭を下げながら頭を下げた。

「広海ちゃん、おはよう」

 結衣は挨拶を返しながら車両に乗り込んだ。奈々のすぐ後ろに立つ。

「結衣っち、おはよー」

 奈々も挨拶の言葉を飛ばすが、前を見つめたまま結衣の方を見ようとしない。

「そう言えば奈々が言っていたきっぷ、券売機では売っていなかったわね」

 手に持っていた箱根方面のフリーきっぷを見せながら結衣が言う。奈々は一瞬、結衣の持つきっぷに目を向けると、また前方を見つめた。

「だったねー。あたしも焦ったわー。駅に着いたのが結構ギリギリだったからー」 

「なにか面白いものはあった?」

 いつもの事と慣れきってしまった結衣は奈々の行動を気にせずに聞いた。

「あー、今日は8000形が多いかもよー」

「そう、それはいいことね。ただ、今日は小田急ではなくて、箱根登山鉄道を撮るからあまり関係はないわね」

 そう言いながら結衣も奈々の後方で運転席越しに進行方向を見つめた。

 結衣の中では嫌なジンクスを持っている。撮影しない時はよくお気に入りの小田急8000形をよく見かけるのだが、撮影地でカメラを構えた途端に来なくなる。そして、撤収しようとカメラをしまった途端、小田急8000形がやってくるのだから嫌な印象しか残っていない。

 言葉を交わしているうちに扉が閉まり、列車は動き出した。

 長後、高座渋谷、桜ヶ丘、大和と停車していく。結衣たちが乗っている列車のすぐ前に急行列車が走っていたため湘南台の時点ではあまり混んでいなかったが、駅に停車するごとに徐々に乗客が増えていき乗車率が上がっていく。

 そして相鉄線の乗換駅である大和駅で多くの人が降りたが、ホームで待っていた人が一斉に乗り込み、あまり変わらないまま列車は相模大野方面へと走っていく。

「各駅停車で相模大野の方に行くのって久々のような気がします」

 各駅に止まる列車からの風景を見つつ広海が言う。

「ああ、広海ちゃんは本鵠沼だから、藤沢から急行とかに乗っちゃうのね」

 広海が住む本鵠沼からは新宿まで直通の列車が止まらないため、藤沢での乗り換えが必要になる。大体の場合は藤沢からの急行や快速急行の時間に合わせて移動をしているので、通学以外で各駅停車に乗る機会がほとんどなかったようだ。

 結衣たちの乗った列車は鶴間、南林間、中央林間、東林間と停車していく。

 東林間を発車し、しばらくすると左手には車両基地が見えてきた。小田原線の線路を上から越えて跨ぐため、江ノ島線上りの線路は高いところを通るので一瞬だが車両基地の奥の方まで見通せる。

「いい眺めだよねー」

 奈々はウキウキしたような顔で言う。

 まだ、朝の時間なのでそんなに多くの車両は止まっていないが、休日ダイヤだからか列車が何編成か止まっているのが見える。

「車庫っていいよねー。一日くらいゆっくりと見学してみたいよねー」

「そうね。こういうところに入れたら面白そうなんだけど、なかなか一般の人が入れる機会はないのよね」

 奈々は想像だけでも楽しいのか、希望に溢れたような顔で言うが、結衣は寂しそうな顔をして言った。

 小田急を含め、多くの鉄道会社でファン向けのイベントを車両基地で開催するが、あくまでイベントという雰囲気で普段の車両基地を見学するというのとでは雰囲気はだいぶ異なってしまう。

「奈々先輩、鉄道好きなんですから鉄道会社に就職しちゃうのはどうですか?」

「あー、ひろみんー、そういうにも考えてるよー。なにか仕事をしなくちゃいけないんだったら少しでも好きなものを仕事にしたいよねー。結衣っちもそうでしょー?」

 奈々に話を振られ、結衣は首を傾げた。

「そういう仕事もやってみたいと思うけども、正直分からないって思ってる。まだまだ男性が強いところで私達のような女子高から一般職で就職できるのか分からないし、かといって総合職で就職するのはちょっと違うかなと思うの」

「あー、分かるー。鉄道会社に入るなら駅とか運転士とか現場で仕事したいなーって思ってるー。鉄道会社でもデスクワークばかりじゃああまり意味がないかなーっていうかー」

 結衣と奈々は「わかるわかる」頷いている。二人とも家族に言われていることもあって大学進学を考えているが、まだ漠然としか考えておらず、どういう大学て何を専攻にするかなど具体的なことはまだあまり考えていなかった。

 列車は相模大野駅の四番ホームに入ると扉が開き、乗車していた人は皆ホームに降りた。結衣たちも降りる人たちに続いてホームに降りた。

「小田原方面の急行に乗り換えるよー」

 そう言いながら奈々はコンコースへ上がる階段を目指した。

 多くの人は続行でやってくる新宿方面の急行を待っているが、結衣たち三人は階段を上がって小田原方面のホームを目指した。

「あれ? 次の小田原行きの急行、始発だけど6両なのね?」

 駅構内を移動中、結衣が発車案内の表示に気づき、奈々に聞いた。

 相模大野から発車する6両の急行は新松田から小田原までの駅も止まる急行がほとんどだ。結衣が感じている奈々の傾向としてはそれらの駅を通過するような速い列車に乗れるように調整をするのではと感じていた。

「うん。調べたらこの時間がちょうど良さそうだったのよー」

 奈々はそう言いながら階段を降り、6両の列車の停車位置を確認して先頭になる場所に並んだ。

「あ、ええ……、そうなのね」

 何かを考えているんだろうかと不安になりながら結衣は奈々と一緒に小田原方面の急行に乗るため並んだ。

 あまり待たずに3000形の急行小田原行きがホームにやってきた。並んでいる人は少なく座席に座れる程度の混雑だったが、当たり前のように奈々は運転士のすぐ後ろを陣取った。

「ここからもかぶりつきで行くんですね」

「やっぱりねー。3000形だから見やすくて良いよねー」

 3000形の乗務員室の扉は中央よりもやや左側に取られている。そのため、運転士の背後のガラスは大きく取られており、結衣たち三人が並んでも十分に前を見ることができる。

 扉が閉まり、列車が動き出した。

 先ほど見えた車両基地を左手に列車は速度を上げていく。

「ずっと真っ直ぐなんですね」

 広海が遠くを見ながら言う。かぶりつきながら見える範囲でずっと真っ直ぐな線路が続いている。

「多分、小田急の中で一番争いできるくらいの長い直線なんじゃないかなー。」

 相模大野を発車してから小田急相模原、相武台前と通過しているが、それまでに一度もカーブはなくずっと直線が続いている。

 相武台前駅を過ぎて少し経ったところでようやく前方に左方向へのカーブが見えてきた。

 奈々はカーブの手前左側の木々を指さした。

「お、座間の桜の名所」

「前に来たときは青々としていたけども、さすがにこの季節だと葉っぱは全くなくなってるのね」

 春先になると数十メートルに渡って何十本も植えられた桜並木が立派な花を咲かせる場所だが、十二月も中旬にもなると葉っぱは全く残っておらず、伸びた枝が見えるだけだった。

 数十メートル続く桜の木の並木の横を列車は過ぎていく。

 座間を過ぎて海老名に停車。厚木を過ぎると正面には大山が見え、相模川を渡ると本厚木駅が見えてきた。

「ここからは各駅に止まるのね」

 車内のアナウンスを聞いた結衣が呟いた。結衣たちが乗っている急行は新松田から小田原までの間の駅も止まるタイプの急行だ。本厚木から新松田まで間の駅の全てにも止まるため、本厚木から終点の小田原までの各駅に止まるという事になる。

「奈々先輩がそういう列車を選ぶのってなんか珍しい気がします。普段なら「優等列車は速くあるべき」みたいなこと言ってませんでしたっけ?」

 首を傾げながら広海も不思議そうな顔をして言う。

「まー、この後見ててよー」

 意味有りげな笑みを浮かべながら、不思議そうな顔をしている二人に奈々は返した。

 三人がやり取りをしているうちに列車は本厚木を出発し、愛甲石田、伊勢原に停車。さらに西方向へと進んでいく。

 伊勢原を出て坂を下ると、両側に田んぼが広がる地帯を列車は走る。

「伊勢原の手前にも似たような雰囲気の場所があったけど、こういう場所にも一度は来てみたいわね」

 結衣が右左と見ながら言う。

 田んぼは既に稲は刈り取られているが、所々に束ねられた積み重ねられたワラが見える。

「ワラがいい雰囲気ですよね。こういうのを入れながら撮ったらいい画になるような気がします」

 広海も窓の外の田園風景を見つめながら言う。もともと広海は鉄道車両を大きく入れるよりも風景の中の鉄道というコンセプトの写真が多いので、こういう風景にはとても興味を持っているようだ。

「このあたりも来てみたいけど、どうやって来るのかしら。伊勢原駅からも鶴巻温泉駅からも離れていそうだし」

「どうでしょうか。近くを通るバスがあるか今度調べてみます」

 広海はそう言うとまた前方を向いた。

 列車は鶴巻温泉、東海大学前に止まり、秦野盆地へと入っていく。

 トンネルを抜けて堤の大きなカーブを曲がり、しばらくすると秦野駅に着いた。

「あれ、特急に抜かれるのね?」

 列車は大きく揺れながらポイントで左側に曲がっていった。列車が一番ホームに停車し扉が開くと「特急列車の通過待ちのため少々停車いたします」と車内アナウンスがあった。

「何が来るのかしら?」

 開いたドアの方向を見ながら結衣がつぶやく。

「ロマンスカー、なんでしょうね?」

 特急列車という言葉でロマンスカーに追い抜かれることは分かっているが、どんなロマンスカーがやってくるかまでは広海には想像が想像がついていなかった。

 ホームからは列車の通過を告げるアナウンスが鳴り響く。

「ちょっとホームで見てみるー?」

 奈々がワクワクしたような顔で言う。どのロマンスカーが興味がある結衣と広海は頷いた。

「あ、VSE!」

 ホームに降りた瞬間に遠くに白い車体が見え、結衣は声を上げた。

「白いロマンスカーですね!」

 広海も通過するロマンスカーの車体を見て声を上げた。

 白い車体のロマンスカーVSEはデビューから十年近く経つ車両だが、今でも箱根観光の主役として小田急ロマンスカーのフラグシップの座に着いている。

「ほー、いいよねー」

 奈々も興奮を隠せない様子で声を上げる。

 タタン、タタン、タタンとロマンスカーの多くで採用されている連接車特有のジョイント音を響かせながらロマンスカーが近づいてくる。

 三人の前まで近づいた時、ロマンスカーは挨拶をするかのように短く電子警笛をファンと鳴らした。ホームなどで小さな子供が列車を見ていると運転士が子供に答えるかのように軽く警笛を鳴らす場面を何度か見たことあるが、三人とも危険な位置でロマンスカーを見ていたわけではないのでそれと同じ様なものなのだろう。

 ロマンスカーは三人の横をあっという間に通りすぎていく。

 すぐさま振り返り、三人は遠く見えなくなるまでロマンスカーの姿を見送った。

「奈々、狙ってたわね? それで今日の各駅停車からのこの急行だったのね」

「まあねー。折角小田原線の方に来るなら江ノ島線で見られない車両とか見たいなーって」

 興奮を隠し切れない結衣の言葉に奈々はニコリと笑顔で返す。してやったりと言いたそうな顔だけども、内心自分も楽しかったのだろう。

「私も白いロマンスカーは久々に見ました」

 広海も嬉しそうに言う。

 余韻を楽しむ間もなく、結衣たちが乗ってきた急行列車の発車を告げるアナウンスがホームに響いた。三人は慌てて列車に戻った。

 列車は秦野駅を出ると渋沢に停車し、四十八瀬川、川音川に沿って小田原方面へと下っていく。

 そして、新松田から足柄平野の駅に停車していき、結衣たちの乗った列車は小田原駅に到着した。

「小田原に着いたわね。このあとはどうするのかしら?」

 ホームに降り、結衣は奈々に聞いた。

「箱根湯本までは赤いので行くよー。向こうのホームから出るからそっちへ行こう」

 奈々が指差す先には「箱根登山電車のりば」と書かれた看板が吊り下がっている。その先には11番ホームとの表示がある。

 三人は人の流れに乗って11番ホームを目指した。

 ホームに着くとタイミング良く折り返しの列車がやっていた。やってきた列車は小田急の1000形だが、ロイヤルブルーの帯をまとった一般的な小田急カラーではなく全体的に赤いカラーを車体にまとっている。

 箱根登山鉄道と姉妹鉄道協定を結んでいるスイスのレーテッシュ鉄道の塗装を模したもので、小田原から箱根湯本間の運用に専属して就くために何編成か変更されたものだ。

「小田原と箱根湯本間を行き来する用にカラーリングが変更された1000形だったかしらね」

 インターネット上や雑誌などの写真では見たことがあったが、初めて見るその車体に結衣は衝撃を受けていた。

「普段の小田急1000形の印象が強いと、このカラーリングはインパクトあるよねー」

 奈々もあまり見慣れていない様子で「へー」と声を上げながらあちこちを見ている。

 ただ、広海はこの赤い1000形の事情についてあまり知らないようで、二人が珍しそうに見ている姿を訳も分からず後から眺めていた。

「よく分からないけど、赤くて可愛らしい電車ですよね」

 そう言いながら広海はカバンからカメラを取り出すと、一番前まで行って写真を撮り始めた。

「おー、ひろみんが写真撮り始めたー。あたしも撮ろーっと」

 広海の姿を見て、結衣と奈々もカメラを取り出して一緒に写真を撮り始める。

 構図を変えながら何枚か撮ったところで三人は列車に乗り込んだ。もちろん先頭車両でかぶりつきのスペースを陣取る。

 かつて小田急1000形の内一部の編成は千代田線に乗り入れていた。乗り入れるために千代田線の信号に対応した危機を設置するスペースが設けられていたので、運転席の背後の窓はない。三人は運転士席の反対側の仕切り窓と乗務員室の出入り扉の前に立った。

「1000形ってかぶりつくのにはちょっと向かないよねー」

 乗務員室の出入り扉の窓から前面を見つめながら奈々が言う。先ほどまで乗っていた3000形が比較的快適だったので落差のようなものを結衣と広海も感じていた。

 扉が閉まると、列車は動き出す。

「あそこにあるのって小田原城でしょうか? 左のほうです」

 列車が動き出してすぐに広海は声を上げた。

「多分そうね。工事してるのかしら?」

 結衣も小田原城の姿を確認し、頷きながら言った。

 作業用に足場を組んでいるのかほとんど姿は見えなかったが、最上部の屋根だけは足場に隠れていなかったのでその姿を確認することができた。

 列車は目の前に見えてきたトンネルに入っていく。あまり長くないそのトンネルを抜けると左手に海が見える。右方向への大きなカーブに差し掛かると「間もなく箱根板橋」とアナウンスが流れた。

「大体の駅ですれ違いをするはずだよー」

 奈々はそう言うが、箱根板橋駅の反対方向のホームには列車はいなかった。停車して扉が開くと「反対側からの列車を待ちます」とアナウンスがあったので、反対方向からの列車をここで待つようだ。

 ちょっとすると結衣たちが乗っている列車と同じ赤いカラーリングの列車がやってきて、反対方向のホームに停車した。反対方向の列車が停止したくらいのタイミングで結衣たちが乗った列車の扉が閉まって動き始めた。

「単線ってあまり馴染みがないから、こういうすれ違いがあるのって新線な感じがするわね」

 振り返り気味に反対方向の列車を見ながら結衣は言った。

「まー、そうだよねー。あまり単線の路線って近所にないしー。ここ以外だと江ノ電かJR相模線があるくらいかなー」

 奈々があげた二つの路線はどちらも観光とか沿線に用事があるなど明確な目的がないと結衣には馴染みのない路線だった。

 列車はガタガタと勾配の上がったり下がったり、カーブを曲がって風祭駅にやってきた。この駅でも交換があるようで、その旨のアナウンスが流れた。

「この駅ってねー、昔は一両分しかホームがなかったんだってー」

「そうね、そういう話は聞いたことがあるわ」

「ええっ、そうなんですか? どうやって扉を開けたりしたんですか?」

 奈々のうんちくに結衣と広海、それぞれ違う反応が返ってくる。知らなそうな広海の予想通りの反応に奈々はニヤリとする。

「箱根湯本方の一両だけ開けていたんだよー。座席のところに非常用のコックがあるでしょー? 鉄道会社の人が乗り込んで、それを使って手で扉を開けていたんだってー」

 今でこそ上り列車、下り列車共に四両編成の各駅停車が停車しても問題ない駅だが、かつては奈々の言うとおり一両分のホームしかない駅だった。

「あ、VSEだ。先ほど秦野で見た列車でしょうか?」

 前方より白い車体のロマンスカーVSEがカーブの先からやってきた。

「んー、時間的にそうだろうねー」

 ロマンスカーは連接車特有のジョイント音を響かせながら停止することなく、風祭駅を通過していった。

 ロマンスカーが通過してすぐに結衣たちが乗っていた列車も動き出す。

 次の入生田駅でも赤いカラーリングの列車とすれ違い、そして結衣たちの乗った列車は箱根湯本のホームに滑り込んだ。

「箱根湯本ね。今日買ったきっぷは小涌谷までは登山電車に乗れるみたいだけどどこまで乗る?」

 強羅方面のホームで発車案内板を見ながら結衣は言った。まだ次の強羅方面の列車はホームには入っておらず、発車案内に示された発車時刻まではまだ十分ほどある。

「んー、このまま国道一号線沿いに歩いてみようかー。たしか箱根登山線と沿ってるはずだから、どこかに撮影地があるかもだよー?」

 奈々の言葉に二人は首を横に大きく振った。

「あのね、さすがに歩いて登るのは無理があるでしょ。それだったらまずは列車の中から見てもいいんじゃないかしら?」

「そうですよ。ここってお正月の駅伝でも走る場所ですよね? なんか凄い坂でしたよ?」

 結衣も広海も必死に奈々の提案を否定する。

「えー、ダメかなー? 歩けば新しい発見がありそうだよ?」

「あのね、奈々。私も自信ないけども、広海ちゃんは間違いなく次の駅まで行けないと思うわ?」

 結衣は広海が普段から体育の授業が苦手と話していたのを覚えていた。横で広海は「無理ですぅ……」と悲しげな表情でつぶやくような声量で言う。

「んー、分かったよー。じゃあ、まずはよさげな場所を車内から探しつつ小涌谷まで行って、戻ってくるって感じでいいー?」

「そうね、そうしましょ」

 奈々は残念そうに言う。結衣は大きくうなずき、広海は安心したように大きく息を吐いた。

 三人は乗車位置に並んで列車がやってくるのを待った。

「そういえばー、さっき入生田を通過するときに車庫を見てみたけどもー、アレグラ号の姿はなかったねー。ぱっと見て旧型の電車が二本見えたかなー?」

「奈々、ちゃんとそういうところも見てるのね」

 奈々の言葉に結衣は関心と呆れが混じったような声で返した。

 しかし、二本在籍しているアレグラ号が両方ともに運用に就いている可能性もあって、結衣もワクワクとしてくる。 

「あー、LSEが来たー」

 強羅方面の列車を待っていると、ロマンスカー用の一番ホームにロマンスカーLSEが到着した。扉が開くと降りてきた乗客が強羅方面の列車を待つ列に並び始める。

 ロマンスカーLSEはデビューから三十年以上経つ、ロマンスカーだけではなく小田急の現役の車両の中でも最古参の車両だ。ロマンスカーのシンボルとも言える展望席を備えている。

「ロマンスカーもなかなか乗る機会がないけども、展望席の一番前には乗ってみたいわね」

 ロマンスカーは観光客には人気らしく、車両をバックに写真を撮っている人が何組もいた。

 記念撮影をする観光客や乗車列に並ぶ様子を眺めているとホームには強羅方面に列車の到着を告げるアナウンスが流れた。

「おー、来るねー」

 カーブを曲がりながら三両編成の列車がホームにやってきて三人の前で止まった。

「残念ー。2000形の三両編成だったねー」

 ホームにやってきた列車は箱根登山鉄道2000形の三両編成。アレグラ号は2000形の二両編成との連結か、アレグラ号同士の連結で二両編成を組んで運用されている。

 扉が開いて車内に乗っていた乗客が降りると、ホームで列車を待っていた旅客は一斉に車内に乗り込んだ。三人も前に並んでいた人に続いて車内に乗り込む。

 運良く三人はボックスシートの一つに座ることができた。

「では、車窓を見ながらって感じかしらね」

 列車の扉が閉まるとゆっくりと動き始めた。

 箱根湯本駅を出てすぐにキツめの勾配を登り始める。

「一気に登って行くんですね」

 窓の外の風景を見ながら広海が言う。箱根湯本までの箱根登山鉄道線も一般的な鉄道としてみれば急勾配の部類ではあるが、それよりも更にキツイ勾配だという事は目に見えて分かった。

 列車はカーブを曲がり、トンネルを潜って抜けると最初の停車駅の塔ノ沢駅に止まった。ほぼ同時に反対側の列車も塔ノ沢駅に停車した。

「あれ? 向こうも2000形だよねー? 後になにか付いてるー?」

 奈々は目を凝らしながら反対のホームに停車している列車の様子を見る。

 扉が閉まり列車は動き出す。反対側の列車も同じタイミングで動き出した。

「あ、アレグラ号だー」

 共に動き出していたので一瞬しか見えなかったが、二両編成の2000形の後に一両の列車が連結されているのが見えた。大きな窓ガラスの車両だという事だけは分かったので、連結していたのはアレグラ号で間違いないだろう。

「早速、一本見つけたわね」

「だねー。メモっておこー」

 そう言いながら奈々はカバンから小冊子とボールペンを取り出した。小冊子は青色の表紙をしており、白い文字で「箱根の交通時刻表」と書かれていた。

 奈々はペラペラとページをめくり、箱根登山電車の時刻表のページを開いた。

「奈々、何をしているの?」

「あー、これー? さっき、箱根の時刻表を手に入れてきたから編成をメモっておくのー」

 奈々はそう言って時刻表のすれ違った列車の箇所にアレグラ号と分かるように記号を書き入れた。その前の列車にも記号を書き入れている。

 そして指で時刻を追っていき少し先の時刻の列車にも記号を書き入れていく。

「多分、六運用でひとつのサイクルになってると思うなー。すれ違った列車を記入していけば、車両の流れが分かると思うよー」

 その後も大平台駅で1000形と、宮ノ下駅でもう一本の2000形とアレグラ号とすれ違う。

 「アレグラ号同士が並ぶところが見られたのにー」と奈々は悔しがるが、二本のアレグラ号はそれぞれ反対の方向に走りだした。

 半径が小さくキツいカーブをレールと車輪がこすれる金属音を立てながら列車は更に山の上の方を目指して登っていく。

 右へ左へ車体を揺らしながら列車は小涌谷駅に到着した。

 三人は列車から降り、ホームに立っていた駅係員にフリーきっぷを見せる。

「奈々、どんな感じ?」

 ホームに降り立ち、先端の方を見つめた。奈々は目を細めながら箱根湯本方向を見る。反対側を向き、強羅方向も見るがしっくりこないようで首を傾げる。

 結衣たちが乗ってきた列車が強羅方向へと走りだした。反対側のホームには箱根登山鉄道のイメージという感じの旧型の列車が止まっていたが、すぐに箱根湯本方向へと走りだした。

「んー、難しいなー。反対側行ってみるかなー」

 そう言いながら構内踏切を渡って箱根湯本方面のホームにやっていた。

 先ほどと同じようにホームの両端を見つめるがやっぱりしっくりこないようで首を傾げる。

「そうだねー。ここよりも宮ノ下駅の方がいいかもー」

 そう言いながら奈々はカバンから時刻表の小冊子を取り出した。「さっきのはー、旧型車両っとー」と言いながら時刻表に印を書き入れる。

「次の列車はーっと、あと十分ちょっとで来るみたいねー」

 時刻を確認すると奈々はカバンに時刻表をしまった。

「それにしてもなんか山の奥まで来たって感じがしますね」

 広海は周りをキョロキョロと見ながら言った。周りを見ると所々に建物はあるが、それでも基本的には山の中と言った感じの風景だ。

 ホームで待っている人を見てもいかにも観光に来ましたという雰囲気で大きめの荷物を持っている。温泉宿などに宿泊をしながらの旅行なのだろう。

「そうね、さっきの列車に三十分以上乗っていたんですもの。そんなに速くはない速度とは言え、あれだけの勾配を登ってきてるんだからそれなりに山の中まで来ているのかもしれないわね」

「そうですよね。箱根湯本にいた頃と比べて寒くなったような気がします。風もありますし」

 体を縮こませて広海は言う。手の甲をさすりながら少しでも暖めようとしている。

「そうね。風邪を引かないように気をつけなくちゃね」

 結衣も奈々の仕草を真似て手の甲をさすって手が冷えないよう暖めた。

 構内踏切の警報音が鳴り、遮断機が降りると強羅方面から列車がやってきた。先ほど箱根湯本駅から乗ってきた2000形の三両編成だ。

「んー、もしかしてー、これってー?」

 車内はそこそこに混雑しており、座席は強羅の方から来た乗客で全て埋まっている。ドア近くの手すりやつり革に掴まった。

「奈々、どうしたの? なにか気付いたの?」

 奈々は難しそうな顔をしながら小冊子をペラペラとめくり、眉間にシワを寄せている。

「んー、この次ってアレグラ号だと思うんだよねー」

「そうなの? 宮ノ下駅で撮れるかしら?」

「そうだねー、さっき見た感じではここよりはいいんじゃないかなーって」

 反対側のホームには2000形とアレグラ号の三両編成が止まっている。読みが当たり、奈々は小さく何度か頷いた。

 列車は小涌谷駅を出ると、車体を揺らしながら半径の小さいカーブを右へ左へと曲がっていく。下り坂だからか山を登っていた列車と比べて速度が早い印象を受ける。

 宮ノ下駅に着き、三人はホームに降りた。

 箱根湯本方にある改札とは反対方向のホームの先端を目指す。不思議そうな顔をしている車掌と途中ですれ違い、フリーパスを見せて更にホームの先端を目指した。

「結衣っちー、ここならどうかなー?」

 奈々が指差す先には上りの勾配と左カーブが見える。

 あまり広くはないが、それぞれの身長差などを考慮しながら立ち位置を決めれば、三人とも同じ構図で写真が撮れそうだ。

「そうね、ここなら正面を撮れるんじゃないかしら」

 そう言いながら結衣はカバンからカメラとレンズを取り出した。ボディキャップとレンズキャップを外してボディにレンズを装着し、カメラを構えてファインダーを覗いた。

「大丈夫ね。広海ちゃんは私の前に入って。奈々は私の後からでも撮れるよね?」

 奈々は結衣に言われた通りホームの一番先頭に立ち、カメラを取り出して構図を確認している。

「結衣っちー、あたしは大丈夫だよー」

 背後から奈々の声がする。

「はい、私もここからで大丈夫です」

 構図や露出設定の確認を終えた頃には結衣たちが小涌谷から乗ってきた列車は既に発車していた。

「いつくらいに来るのかしら?」

「もう小涌谷駅は出てるっぽいから、そろそろ来ると思うよー」

 腕時計をチラチラと確認しつつ結衣が言った。奈々も時刻表と時計を交互に見ながら列車の時刻を確認している。

「遠くでなにか音がしませんか?」

 広海の声に二人は耳を澄ました。確かに遠くで金属が擦れるような音が聞こえるような気がする。

 三人はカメラを構えてファインダー越しに列車を待つ。

「来た?」

 改札口の方から構内踏切の警告音が鳴った瞬間にカーブの先から列車の姿が見えた。思わず結衣は言葉を漏らした。

 ファインダー越しに前面の大きなガラスの車両だと分かる。アレグラ号が先頭の列車がまっすぐに向かってくる。

 置きピンでピントを合わせたポイントに列車が重なった瞬間に結衣はシャッターボタンを押し込んだ。

 カシャカシャとシャッターが連続して切られていく。

 真横から風圧を感じ、結衣はファインダーから目を離した。ファインダーの中で見えていた車両はすぐ真横を通り過ぎていた。

 結衣はすぐにカボディのボタンを操作して、撮影した写真を表示させた。

 液晶画面にはカーブを曲がって正面を向いたアレグラ号が狙った構図の通り映しだされていた。拡大ボタンを何度か押して画像を大きくし、操作ボタンで画面を動かして車体の描写を確認する。

 車両の輪郭、前面の塗装のラインや車号の表示、そして車号のすぐ上に取り付けられたヘッドマークもボヤけることなく撮影されていた。

「うん、おっけ!」

 結衣は呟きながら大きく頷いた。

「おー、結衣っち。上手く撮れたのー?」

 奈々がそう言いながら結衣のカメラの液晶画面を覗く。結衣は全体が表示されるよう縮小ボタンを何度か押した。

「いいんじゃないかなー。あたしもこんな感じで撮れたよー」

 そう言いながら奈々は自分のカメラの液晶画面を結衣に見せた。

 結衣の同じような構図だがバランスよく車両が写真に収まっている。

「私もこんな感じに撮れました」

 広海も液晶画面に撮った写真を表示させた。やっぱり結衣や奈々と同じような構図の写真が映しだされていた。

「なんか三人とも同じような写真だよねー」

 それぞれの写真を見ながら奈々が言う。

「まぁ、そうね。同じような場所に立って、同じような構図を狙っていればそうなるわね」

 結衣の言葉に三人は顔を見合わせると笑顔がこぼれた。

 宮ノ下駅で再びアレグラ号がやってくるのを待って、停車中にローレル賞受賞記念のヘッドマークを撮影。

 その後は大平台駅に移動して、大向踏切付近で撮影。しかし、冬の陽は傾くのが早く、結衣たちが撮影ポイントに来た時点では車両には日が回らなくなっていた。

 それでもヘッドマークを付けたアレグラ号の写真が撮れ、三人は満足そうな笑みを浮かべた。


「というわけで今月の鉄道班の活動報告でーす。箱根登山鉄道に行って、新車のアレグラ号を撮って来ました。ローレル賞の受賞記念ヘッドマーク付きですよー?」

 そう言いながら奈々は三人が撮った写真を一枚一枚黒板に磁石で貼り付けていく。

 奈々は写真部の鉄道班の班長なので、月一度の活動発表の際には三人分の作品の発表を行なっていた。すぐ横に結衣と広海も一緒に立っている。

 部長の藤沢と副部長の鎌倉は鋭い眼差しで三人の作品を様々な視点で見てくれるが、他の部員は鉄道にはあまり興味がないらしくなんとなく見ていたりスマホを操作していたりと様々だ。

「まぁ、いいんじゃないかしら? 記録も兼ねているんでしょうけども、カーブを曲がりながら坂を下って来る雰囲気は悪くないんじゃないかしら?」

 藤沢はそれぞれの写真を指さしながら言った。

「ただ、三人で撮ったのよね? 撮影地の関係もあるのかもしれないけども、皆同じような構図、同じような写真なのが残念ですわね。もっとそれぞれの個性があっても良いと思いますよ?」

「えー、あー、そうですよねー」

 藤沢の言葉に返す言葉もなく奈々は慌てふためく。

「まぁ、でもいいんじゃないか。それぞれがセオリーを押さえて基本的な構図で撮影ができた。それも一つの練習であり成果じゃないか?」

 藤沢の横に座っていた鎌倉が言った。

「そうですわね、鎌倉さん。わざわざ遠くまで行って撮影して来たんですものね。次回はもっとあなた達の個性が出た作品を見てみたいですわね」

 藤沢の言葉に奈々は「はいっ!」と返事しながら大きく頷いた。

「では、今月の鉄道班の発表は終わりますー」

 奈々が鉄道班の発表の終了を宣言すると、三人は一斉に頭を下げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

撮鉄娘! 十六夜涼聖 @izayoi_ryosei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ