第4話『第一のファントム』

『紫蓮起きて!敵が来る!』

 突然エルファローレの声が頭に鳴り響き、紫蓮はベッドから飛び起きる。

「敵って出てくるのはまだ先じゃなかったの?」

『緊急事態だ。僕の計算より事は深刻らしい、準備して。パジャマのまま外に出て行く訳にはいかないだろう?』

 紫蓮は急いで外用の着替えを済ませる。襟が白い黒のワンピースだ。髪を梳かしておいてよかった。

『紫蓮、準備は出来たかい? じゃぁ飛ぶよ! 窓を開けて!』

 ?と思ったが、言われる通り閉めてあったカーテンと窓の鍵、窓を開ける。

『今は急いでいるから、飛び方は飛んでいるうちに覚えて! いくよ!』

 エルファローレがそう言うと、紫蓮を中心に光が溢れる。体を中心に周囲1メートルくらいの範囲を光が覆った。そして、紫蓮の体は宙に浮いた。浮いてる! そこから紫蓮の体は夜の帳に飛び立った。ものすごい速さで空を飛んでいる。まるでジェットコースターに乗っているような速度で飛ぶものだから、紫蓮は思わず目を瞑ってしまった。しかし、不思議と体にかかるGと風は無い。みるみる間に高度が上がって気が付けば空の上にいた。

「エルファローレ! いくら緊急事態だからってこんなの聞いてない! 怖いわ、降ろしてちょうだい!」

『いいよ、敵の大体の位置は捕捉出来た。ここからは低空飛行で近づく』

「そうゆうことじゃなくて! キャーー!」

 今度は逆にぐんぐんと高度が落ちる。景色がどんどん後ろへ後ろへと飛んでいく。

「もう! そうじゃないわ! まずは落ち着いて、ゆっくり地面に降りるわけにはいかないの? 話を聞いてちょうだい」

 紫蓮が喚いてもエルファローレは耳を貸さなかった。

『敵を視認したら嫌でもそうするよ、それまでは我慢だ』

「そんな……それに飛んでいるところを誰かに見られたらどうするのよ」

 ビルの谷間を飛行して、窓の外を見ている人でもいたら。

『大丈夫、君の姿は人からは見えない結界を張っている。精々一陣の風を感じるくらいじゃないかな』

 そのまま高速で飛行を続けると、紫蓮は渋谷駅の上空に着いた。

『いた、ファントムだ』

 それはまるで絵に描いたような光景だった。空間が歪んで、どこも絵の具をぶちまけた様に、色彩がちぐはぐになっていた。その中心に巨大なピエロの怪物がいた。巨大というより、虚大といった方が適切な気がした。駅よりも大きな姿に紫蓮は圧倒された。ピエロは突如変貌した世界に混乱する人々を、奇妙な声であざけ笑うと、巨大な両の手ですくい上げ、その大きく裂けた口で、むしゃむしゃと食べていた。……食べていた。飛び交う叫び声のような悲鳴。腹の底から絞り出したその声は、凄惨さを加速度的に飛躍させた。あまりにもグロテスクな光景に、紫蓮はお腹の中のものを全部吐き出した。吐しゃ物が結界の下の方にへばり付いた。

「なによ、アレ……悪魔なの」

『紫蓮、落ち着いて』

 出す物がなくなって、酸っぱい胃液がこみあげてくる。喉は焼けるように熱く、視界は歪む。血の気が引いて、足はガクガクと震えが止まらない。戦う? まさかあんな化け物と戦うなんて思ってもみなかった。怖い。紫蓮はただただこの場から逃げ出したいと言う気持ちでいっぱいになった。鉛のように重い空気に喘ぐ。

『ファントムの放つ負の波動に当てられたんだね。深呼吸だ、紫蓮。大丈夫、君は大丈夫だ』

 心の平穏を保たせるようにエルファローレの落ち着いた声がささやく。そして温かな光が紫蓮を包む。その光はだんだんと指先から胸、爪先から腰にだんだんと形をあらわし、大きなリボンとフリルの沢山ついた可愛らしい黒衣のドレスとなった。

『負の波動に対抗する防御フォームだ。どう? さっきより平気になったんじゃないかな?』

 確かに呼吸がしっかりできる。震えも治まってきた。

「でも怖いわ。たまらなく怖い」

 涙がせせりあがってくる。人々はなおも絶叫を絞り出し、拙く必死に逃げ惑っている。それを遠巻きに見て、紫蓮は地面に降り立った。

『君はファントムの所業を見てそう思うのは仕方ない。あんな姿、まともに相手に出来る方がどうかしている。でも、君は特別なんだ。僕を纏った正義の魔法少女なんだよ。負けないで紫蓮。あれと戦えるのは君しかいないんだ』

「無茶よ、私にいくら可能性が秘めているといっても、こんなの酷過ぎる。警察や自衛隊の人に任せるべきよ」

『通常兵器が効く相手に見えるかい? ファントムは現実とは異なる摂理にある。効果があるのは魔力ダメージだけだ』

「魔力ダメージってあの光の球をアイツにぶつければいいの?」

『そうだ。加減はいらない、今度は破壊のイメージを最大限にまで引き上げるんだ』

「それで倒せるのね?」

 おずおずとでも自分の中のわずかな可能性に賭けて、紫蓮は右手をかざすと力を溜めた。手に宿る光りは貯金箱を破壊したものの何倍ものの輝きをみせた。これならいけるかもしれない。

「えい!」

 弾かれるように放たれた光の弾は、放物線を描きピエロに頭に直撃した。

「やった?」

 衝撃を受けたものの、ピエロは平然と立っていた。攻撃はむしろこちらの存在を認めさせるものとなってしまった。

「全然ダメじゃない!」

『全く破壊のイメージが足りない、もっとファントムを消し飛ばすくらいにイメージしないと』

「だってそんなことしたらあそこにいる人だって物だって一緒に消えてしまうでしょう?」

『大丈夫、魔力ダメージは人間に作用しない』

「でも、あいつを消したら、あそこで捕まっている人たちは、地面に叩きつけられてしまうでしょう?」

 それは想像するに絶えなかった。

『それでもやるしかないんだ』

 エルファローレの声は非情だ。

「そんな……」

『話している暇はない、来るよ!』

 ピエロは体をこちらに向きかえると、ポケットにしまってあったジャグリングに使うであろう玉を取り出した。それを前方に転がすと、見る見るうちに玉は、巨大なピエロを隠すほどに、大きく膨れ上がった。ピエロはそれに乗っかると、器用に操るように玉乗りをした。そして、紫蓮との間にある障害物である信号やビルをなぎ倒しながら、ぐんぐんと近づいてくる。手には四つの球をジャグリングしている。進路上の物や人は簡単にペシャンコに押し潰される。

「エルファローレ! 飛んで!」

 地面を強く蹴り、再び夜空へと飛び上がる紫蓮。なんとかピエロとの衝突は回避できた。

『僕を使いこなして』

 悲しく静かに囁くエルファローレの声に、紫蓮は覚悟を決めた。ピエロは目標を見失ってかそこら中を玉で駆ける。被害はますます広がっていく。

「エルファローレ、力を頂戴。アイツを倒せる力を」

『元よりそのつもりさ、いくよ紫蓮!』

 紫蓮は両手を前に、込めうる最大限の力を集約した。

「ラオ!」

紫蓮の掛け声と共に、光の球はピエロへと飛んでいく。さっきよりも巨大で強く、激しい力を込めた。気配を感じ取ったピエロは、紫蓮の方を向いたが、もう遅かった。光の球はピエロにぶつかると、輝きを増した。光の球がピエロの全身を包む頃には、ピエロは消滅し、あたりは隕石がぶつかった後のように、綺麗にクレーターができた。

「お疲れ様、紫蓮。もう大丈夫、終わったよ」

 紫蓮は全身の力が抜けるように、身に纏っていた緊張を解いた。そして大仕事を終えた体は意識を失った。

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