闇の歌姫──白い彼女への嫉妬に隠れた愛は歪んでる──

杏堂 水螺乃

第1話 歪む笑み(前編)


宵闇よいやみ先輩、御機嫌ごきげんよう」

「御機嫌よう、皆さん」

「昨日の大会、観にいきました! 本当に素晴らしかったです!!」

「あ、私も! とてもレベルの高い技術力と、それによって構築こうちくされた世界には、感動で胸が震えました!」

「やっぱり宵闇様が一番です!」

「……ありがとう、皆さん」

 彼女たちの興奮した賞賛しょうさんの声に、落ち着いた微笑みで頷く。

 宵闇よいやみ夜子やこは、心の中で心の中でほくそ笑んでいた。



 ────当たり前でしょう。



(この宵闇夜子様よ? 一番なのは当然よ。そうではなくって?)


 表面上は穏やかに頷きながら、心は傲慢ごうまんな言葉で溢れていた。

「それじゃあ、皆さん。わたくし、先生に呼ばれているので、これで失礼するわね」

「はい、お話してくださってありがとうございます」

 人当たりの良い笑みを浮かべたまま、彼女たちの前から去っていく。


「でもさー、宵闇先輩も低音部では一番だけど、やっぱり高音部の一番っていえば『光の歌姫』よね〜」

「分かるわ、私もそう思う。昨日の大会でも真白ましろ先輩は輝いていたわよね! 高音部の一番は真白様よ!」

 そう言って笑い合う後輩たちの声が角へ曲がった夜子のもとへ届いた瞬間。



 ──今まで穏やかだった笑顔は消え去った。



 代わりに浮かんだ表情は、無だった。

 その後で、恐ろしいまでの完璧な、にっこりとした笑顔を作る。


「ふふっ、目障りな声が聞こえるわ。ああ、鬱陶うっとうしい」


 そう呟いて、ゆっくりと階段に足をかける。




 ◇ ◇ ◇




 闇の歌姫。


 ──それが、弱冠じゃっかん中学生ながらも低音部のトップとしての彼女の全てを表している。

 幼い頃から低音部の天才と呼ばれてきた彼女には、自分が世界の中心だった。


 ……あの日までは。


 初等部に入って五年後のことだった。

 その日、低音部と高音部二つがあり、もちろん優勝するつもりで参加した夜子だったが、予想もしなかった事が起こった。



 ────負けたのだ。



 低音部では一番。

 それと同じで、高音部にも一番がいた。

 しかも、自分と一緒で小さな頃から天才と呼ばれる歌姫が。



 ──光の歌姫とささやかれる彼女がいた。



 個々の大会だったら優勝していただろう。

 しかし、その日は合同の大会。

 低音部も高音部も関係なく競う大会の日だった。

 あの日、会場で響いた少女の声を。

 透明で何処までも伸びてゆく高音を。

 夜子は今でも耳の奥で聴いている。



 ──消えないのだ。



 純粋な、彼女の歌声が。


 そして、悪夢はまたやって来る。

 昨日開かれた大会に、彼女も参加していた。

 個々の大会だから競い合うことはない。

 それでも、少女の姿が目に入る度、歌声が反響する程に心の中は汚れていった。



 ───くだらない嫉妬だ。



 分かってはいる。

 それでも抑えることの出来ないほどに膨らむ気持ちは、どうしようもなかった。

真白ましろ凛花りんか……」

 名前を呟く度に、頬は赤くなり瞳は潤んでいく。

『やっぱり宵闇よりも真白だな』

 これまで自分を評価していた審査員の言葉が頭の中で再生される。


 ……あんな屈辱は初めてだった。



 ──出来れば一生会いたくないと思っていた真白凛花に鉢合はちあわせてしまったのはその後。


 狭い通路。

 向こうから来る凛花に気付いたときは遅かった。

 引き返すことも出来なくて、仕方なくお辞儀だけして通り過ぎた。


 ──はずだった。


「あの……」


 躊躇っているような、微かな声。

 それでいて確かに聞こえる柔らかな響き。

「ハンカチ、落としましたよ…」

「あ、ありがとう………」

 真っ白なハンカチが、彼女のほっそりとした手によって拾われていた。

 ハンカチを手渡してくる彼女から受け取らないわけにはいかず、ゆっくりと手を出した。

 そっと優しく手のひらにハンカチを置く彼女の仕草に目がいく。


 ──繊細そうな手だ。


「ありがとう」

 礼を言うと、足早に立ち去ろうとする。

「あ、待って……」

「……何?」

 少々目付きが悪かったかもしれない。

「あの、この後に歌う宵闇さんよね……。楽しみにしているわ。頑張ってね…」

 真っ直ぐな言葉と、周りを包み込むようなふんわりとした笑顔。


 ──純粋な笑みと綺麗な心。


 彼女の微笑みに惹き込まれそうになっている自分に気付き、慌てて首を振る。

「どうも、ありがとう。私も楽しみにしているわ、真白さん」

 それ以上言葉を交わさず、歩みを進めた。

 その時、胸の中に響いた大きな感覚。


 ────勝てない。


 彼女には、勝てない。

 それだけだった…。


 彼女は歌を楽しんでいる。

 それに比べ自分は、勝ち負けしか見えていない。

 そういう風に育てられたから仕方ない。

 そう割り切ろうとしたけれど、無理だった。

「──ああ、また会いたいな」

 そう思える何かが、彼女の笑顔にはあった。





 ◇◇◇





 自分の出番が終わり、その後をぼんやりと過ごしていた。


 ──他の人の声を聴くこともなく。



 少しウトウトし始めた時。


『続きまして。高音の部に移ります。まず最初に歌うのは………真白凛花さん!』


 司会者の声と、周りの割れんばかりの拍手に一気に眠気が醒めた。

 最初にしたのは、息を吸う音。

 一瞬だけまぶたを閉じると、胸に手を当てて歌い出した。

 その途端に、周りの小さな囁きは止んで、代わりに感嘆の吐息が聞こえてきた。


 澄んだ綺麗な高い声。

 潤んだ瞳。

 微笑みを浮かべながら歌う彼女はまさに歌姫だ。

 何処までも伸びてゆく高音は、途切れることを知らないようだった。

「凄いわ……」

 自分以外の歌声は認めることの無い夜子が思ってしまうくらいに。

「っ…………」

 この感覚はなんだろう。

 首筋から腕にかけてのゾワッとした感じは。


 ──それは、鳥肌だった。


 澄んだ透明な歌声に感動したからではない何か。

 それが分かるのは遅くなかった。

「えっ………」

 凛花を見つめる瞳が大きく開かれる。

「嘘っ……」

 変化の前触れのような鳥肌は、収まるどころか増えていく。


 ──凛花の持つ楽譜から光が溢れているのだ。


 彼女の心を表しているかのような光。

 それは、白くて黄色のような、銀色にも見える不思議な色だった。


 ──まばゆい光。


「綺麗ね…」


(きっと、あの子は心が綺麗なんだ…。だから、あんなに暖かい綺麗な色の光が出るのね)


 いつしか、凛花の出す光は、会場全体を包み込んでいた。

 その光景を、息をする事も忘れて夜子は眺めた。

 ずっと見ていたくなるような感覚に襲われる。


 ──欲しい。


 あの光が。

 彼女が。

 あの色が。


「羨ましい……」

 妬ましさの混じった呟きは、誰にも聞こえることはない。

 力強さが増し、柔らかな歌声はさらに高く舞い上がる。

 凛花の周りをふんわりとした風が包んでいるように感じたとき。


 ──次の変化が訪れた。


 彼女の楽譜から出る光が違う色に変化したかと思えば、今度は金色に光り輝く音符が飛び出した。

 眩しい。


 ──それでも閉じること無く見ていたい。


 夜子は、手に汗を握り見つめる。

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闇の歌姫──白い彼女への嫉妬に隠れた愛は歪んでる── 杏堂 水螺乃 @mirano69

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