第123話 勉強会の約束

 夕食の後、俺はちょっと用があってジューネに用意された部屋に向かった。


 エプリとセプトには先に部屋に戻っていてほしいと言ったのだけど、大した手間でもないと言って二人してついてくる。……まあ良いか。別に隠すまでもないもんな。


「文字の読み書きを教えてほしい……ですか?」


 目の前のジューネが驚いた様子でそう口にする。そんなに驚くことかな?


「いえ。ちょっと予想外でしたから。トキヒサさんはそういう教育を受けていそうな感じがあったので」

「えっ! そんなに頭良さそうに見えるか?」

「頭がというよりも育ちが良さそうな見た目ですかね」

「……それはこっちも同感ね。雰囲気的に苦労知らずのお坊ちゃんって感じかな」


 何か女性陣からの評価が胸に痛いっ! だけどその点は一つ物申させてもらいたい。こちとらそこそこ平和な国で育った一学生だからねっ! これが基本だからっ!


 それにエプリは俺が異世界出身だって知ってるだろうに。ちょっとはフォローしてくれっ!


「おうおう。散々だなトキヒサ」


 俺達より先に来ていたアシュさんがこっちを見ながら笑っている。笑ってないで助けてくださいよ。セプトとボジョがポンポンと背中をさすってくれるのが逆にツライ。


 今回のことで、俺もそろそろ簡単な読み書きくらいは出来ないとマズイと思い知った。


 “言語翻訳”の力で会話は問題なくとも、文字が読めないのでは色々と生活に支障が出る。金を稼ぐのにも知識は大いに必要だ。


「育ちの方は置いといてだ。会話はともかく残念ながら文字の方はまったく読み書きできなくてな。そこでジューネにここにいる間だけで良いから少し教えてもらえないかなぁと」

「はぁ。私も商人ですからね。仕事上一応は読み書きも出来ますし、基礎的なことであれば教えることもやぶさかではありません。……しかし商人に頼むという事は、分かっていると思いますがタダでは動きませんよ」


 ジューネはニヤリと笑いながらこちらに掌を差し出す。まあこの展開は予想通りと言えば予想通りだ。なので、


「分かってるとも。……いくらぐらいだ?」


 こちらも貯金箱を出して金を出す意思をアピールする。ますます金が無くなっていくが、こればかりは必要なことだからな。先行投資と思って我慢しよう。


 しかし、ジューネはこちらに向けていた掌をグッと握ってそのまま引っ込めた。


「現金も良いのですが……その代わりにお願いを一つ聞いていただければ」

「お願い? 何だ?」


 雲行きが怪しくなってきたな。俺はジューネの次の言葉を聞き洩らさないよう全神経を集中させる。すると、


「別に大したことじゃありませんよ。トキヒサさんは色々と儲け話に縁があるようですからね。また何かあったら優先的に一口乗らせていただきたい。ただそれだけのことです」

「…………それだけか? こう言っちゃあ何だけど、俺に損がまるで無いぞ。儲け話だってそうそうあるとは限らないし、もしかしたらジューネの丸損になるかもよ」

「いえいえ。多分そんなことにはならないと思いますよ。ダンジョンで箱を開けれたのはトキヒサさんでしたし、マコアとの話し合いもトキヒサさんがいなければ無理でした。それに昨日の時計のこともありますしね。……時々いるんですよ。生きているだけで自然とそういう特殊な流れを引き寄せるヒトが」


 ジューネの言葉に何故か皆してうんうんと頷く。そうかなぁ? ちょっとこの世界に来てからアクシデントばっかりに見舞われているけど、そこまで俺はトラブルメーカーではないと思うぞ。


 着いたと思ったらいきなり牢獄にぶち込まれたり、出所直前に牢獄が襲撃を受けたり、そのままダンジョンに跳ばされてダンジョンコアを見つけたり……って思った以上にトラブルに見舞われているな。結構ショック。


「まあ……そういう事なら良いよ。うん。ジューネがそれで良いならそれで」

「交渉成立、ですね」


 俺とジューネは交渉成立の証としてガッチリと握手をする。……何かエプリから気になる視線が飛んできている気がするけど、何故だろうか?


「ちなみにトキヒサさん、何故私に頼んだんですか? エプリさんだって以前の手紙を考えるに相当学がありそうですし、ヒースさんの勉強を見ている講師のヒトを都市長様に紹介してもらうという手もあったでしょうに」


 その手があったかぁ~。考えてみれば確かにそうだ。置手紙を残せるくらいだからエプリだって読み書きは得意だろうし、それこそ本職の人に頼むという手だってあった。


 そのことに思い当たらなかった俺のバカバカバカ。ジューネは商人だから読み書きも一番上手だろうって先入観で物事を見てたな。


「…………今からでも変えちゃダメかな?」

「ダメです。もう交渉は成立しちゃいましたから!」


 ジューネが意地の悪い笑顔でこちらを見ている。だよなぁ。商人にとって一度した約束はとても重い。口約束で書面もないとは言え下手に破ることは出来ない。


 さっきのエプリの視線はこのことか。咄嗟に気が付いて止めようとしてくれたのかもしれない。ごめんエプリ。


 チラリと振り返ると……あちゃ~。何かさっきより不機嫌そうに見える。気のせいだと良いんだけど違うよな。


「では明日から早速やっていきますよ。ちなみにトキヒサさんは今現在どの程度読み書きが出来ます?」

「それがその……まるっきりダメで」

「……言葉通りの意味よ。まだそこらの子供の方がマシなくらい」


 エプリのフォローだか口撃だか分からない言葉に、ジューネは口元に手を当てて考え込む。


「なるほど。分かりました。じゃあひとまず明日の夕食後くらいにまたこの部屋に来てください。そういうヒトだと分かっていればやりようもありますから」


 その言葉に内心少しだけホッとする。ジューネならまずないとは思ったが、そんなの面倒見切れませんとか言われたらちょっと心がキツかっただろうからな。


「分かった。じゃあ今日は一度部屋に戻るとするよ」

「ねぇ。私も、やって良い?」

「……付き添いは必要よね?」


 話もまとまってさて帰ろうと言う時に、エプリとセプトが待ったをかけた。


「やるって、読み書きの勉強ですか?」

「うん」

「……私は付き添いとして。護衛が依頼人から離れる訳にもいかないから」


 二人してやる気十分のようで、特に断る理由もないので明日一緒に勉強することに。あと何故かボジョも触手を伸ばしてアピールしていた。


 何だ結局全員じゃないか。よおし明日から全員で勉強会だ!


「二人とも。商人にモノを頼むときは対価をですね」

「……今日アシュの代わりに護衛した件の謝礼についてだけど」

「無料で引き受けさせていただきますっ!」


 二人からもお代を吹っかけようとしたジューネだが、エプリのその言葉に素早く意見を翻す。え~っ!? それで良かったのか! それだったら俺も、


「トキヒサさんとの交渉はもう終わってますからね」


 やっぱり間に合いませんでした。まあセプトもお代は今回の護衛の件で良いことになったのでまあ良いか。ボジョの分は……余った俺の分の謝礼で払うってことでOKをもらった。


 ボジョも自分で払おうとしたのだが、持ち物と言ったら以前調査隊から貰った袋と食料くらいだったからな。……少し小銭が混じっていたのは驚いたが。


 そうして明日からの勉強会を約束し、俺達は自分の部屋に戻った。





『じゃあ。また明日ね。私の手駒』

「ああ。また明日」


 日課となっているアンリエッタへの定期連絡を終え、ふぅと軽く息を吐く。いつもながら定期連絡の時は力が入るな。


 向こうも大体のことは見ているくせに、あえて俺の言葉で説明させようとするから毎回大変だ。それでいてこっちの知りたい情報は中々口を滑らさない。まあ長い付き合いになりそうだから気長に行くが。


「……終わったようね」

「ああ。そっちは?」

「……まだかかるから、先に眠っても良いわよ」

「先にって、ここ一応俺の部屋なんだけど」


 俺が連絡をしている間、エプリは自身の持ち物を床に広げて整理を行っていた。自分の部屋があるのにまたこの部屋に来ているのはもう何も言わない。


 しかもまたソファーで寝る気満々で、すでにソファーがエプリに用意された寝具に占拠されている。だからここ俺の部屋なんだけど。


 エプリはいつもフード付きのローブの内側から取り出しているのであまり見られないのだが、ローブの裏には様々な道具を常備しているのだ。以前俺に使ってくれたような薬や、いざと言う時のための食料や武器なんかもだ。


 やっぱりここから離れようとしないセプトには、先にまた部屋のベットで眠ってもらっている。


 昨日みたいなトラブルを防ぐために、今回は事前に都市長さんに無理言って小さな寝袋を用意してもらった。俺はこれで寝るとしよう。寝袋なら流石に潜り込んでは来られまい。……だよな?


 そのまま黙々と作業を続けるエプリ。その手際は淀みなく、もう何度もこうして整理してきたことが分かる。


 部屋に響くのは作業の音と、眠っているセプトの柔らかな寝息のみ。……聞くのなら今がちょうど良いかな。


「なあ。ちょっと良いか?」

「……何?」


 エプリは作業の手を止めることなく応じる。


「気になってたんだけど、昼間のキリの言ってた薬って何のことだ?」


その言葉を聞いて、それまで止まることなく動き続けていたエプリの手が一瞬止まり、すぐにまた作業に戻る。


「…………何のこと?」

「誤魔化さなくてもいいぞ。昼間それを聞いた時から、エプリが何となくいつもと違うっていうのは感じてたさ」

「…………たかだか十日程度の付き合いで、いつもと違うなんて思っても説得力がないわね」

一緒に居るの間違いだな。それにこんなの付き合いが長くなくても気付くさ。実際あの場にいたほぼ全員がエプリの様子がおかしいのに気づいていたと思うぜ。それをわざわざ隠そうとするなって言ってんの」


 おまけにそれを隠して平静を装っているのだから更によろしくない。


「どうしても言いたくないなら良いけど、そうじゃないならせめて言えるところだけでも良いから言ってくれ。俺の自己満足のためにも」

「……そこは私のためにと言うんじゃないの?」

「人のためにも自分のためにもなる方が良いだろ?」


 エプリが少し呆れたような声を出すが、俺はさらりとそう返してやる。これでも人のため動くほど善人じゃないつもりでね。


 さて。寝る前に本日最後の話し合いといこうじゃないか。最後が俺の主導でなんだけどな。

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