第116話 護衛と言うより観客で
「はぁ。はぁ。……よし。では、これも買い取るとしようかの。値段は……こんな所でどうじゃ?」
「ま、毎度、ありがとう、ございます」
商談開始から一時間近く。長い長い交渉と言う名の戦いも、遂に決着の時を迎えようとしていた。
「…………長い戦いだったわね」
「すごかった」
最初は少し引いていたエプリとジューネだったが、今では少しだがジューネと子爵に畏敬の念を感じているように思える。
それもそうだろう。今まで行われていたのは商談であり、戦いであり、そしてどこかエンターテイメントだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
流石と言うかジューネの用意した品は、どれも子爵のお眼鏡にかなっていた。しかしあくまでそれは最低ライン。問題はそれらの品物にどれだけの値を付けるかである。
ジューネも子爵も多くの品物を見て養った鑑定眼がある。品のおおよその適正価格を頭の中で算出し、それを相手に悟られないように値付け交渉に移る。
互いにこのくらいで終わらせたいという設定価格があり、それに向かって進めていくのだが、
「ご覧くださいこの芸術的ともいえる曲線美を! 見るだけで心が洗われるようではありませんか!」
「ふむ。確かに見事の一言じゃ。しか~しここを見るがいい! この小さな傷こそが僅かに全体の調和を乱している。獣国ビースタリア風に言うのなら、これこそまさに玉に瑕!」
という具合に見た目の評価から始まり、
「むっ! これはまさかワシが以前手に入れた物と同じ作者か?」
「その通りでございます。元々あの作品とこちらは繋がりがありまして、それはもう聞くも涙、語るも涙の遍歴が」
てな具合で買い手の情に訴えかける手を使ったり、
「よし。ではこれはこの値段で」
「いやいや何をおっしゃいますか子爵様。仮にも子爵ともあろう方がこれの価値が分からないはずがないでしょうに。ここはド~ンと貴族たるものの度量を見せると思って……このくらいで」
「ジューネちゃんこそここはワシとは今後ともよろしくという事でじゃな、ここら辺をもちっと下げて……このくらいが妥当じゃないかの?」
などと互いに自身の設定金額に近づけようと交渉は白熱した。ある意味心理戦と言うか何というか、互いが互いの妥協できるギリギリのラインを見極めようとカマをかけ合い探り合う。そして、
「……この手は出来れば使いたくなかったのじゃがの。値下げしてくれんというなら仕方がない。かくなる上はジューネちゃんの恥ずかしい話をそこのトキヒサ君達に語って聞かせるしかないようじゃな」
「ちょっ!? 何を言うんですかおじいゴホンゴホン……子爵様っ! そんな卑怯な番外戦術をして恥ずかしくないんですかっ!」
「フォッフォッフォ。これが年寄りの知恵というやつじゃよ。さあどうするかの? 最初はジューネちゃんが初めて展示室に入った時のアレでも話そうかの」
突如そんな手に出てきたヌッタ子爵に対し、ジューネは明らかに顔色を変える。どうやらそのことはジューネのウィークポイントらしい。……と言うかジューネ今おじいちゃんって言いかけなかったか?
「そちらがその気ならこちらにも考えがありますよ。皆さんっ! 実はヌッタ子爵はなんと結婚式前日に奥様以外の女性とですね」
「げぇっ!? 何故その話を知っているんじゃ!? ジューネちゃんには一度も話したことないのに」
「以前ここに来た時メリーさんが教えてくれました」
「おのれメリー! 余計なことを喋りおってからにっ!」
思わぬジューネの反撃に、子爵も歯ぎしりをしながら叫ぶ。
ちなみにメリーさんと言うのは、交渉の途中から来て俺達の後ろで甲斐甲斐しくお茶の準備をしてくれている年齢不詳のメイドさんだ。なんとこう見えて三十年もヌッタ子爵に仕えている古株らしい。
子爵が軽く睨むが、メリーさんは素知らぬ顔。そのまま悠然と俺達のカップにポットから茶を注いでいく。メイドさんと言っても主人に絶対服従ということではないらしい。
そのまま互いに硬直状態に陥るジューネとヌッタ子爵だが、このまま言ったら双方ダメージを被ると考え秘密の暴露大会は始まることなく終わった。
こちらとしては聞いてみたかった気もするのでちょっと残念だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
その後も何とか商談は進み、こうして全て終わって今に至るという訳だ。ここまで来るともう二人とも互いに疲労困憊というありさまだった。
今日はまだ二つも商談が残っているはずだけど大丈夫だろうかジューネ。
「な、中々やるのぅジューネちゃん。品物の質は勿論じゃが、値段の設定も見事じゃった。値付けの競り合いでワシが押されるとはのぅ。予定していた額より一割ほど高くついたわい」
「お、お誉めにあずかり光栄です。しかし私からすれば、予定金額より安く買い叩かれたというのが本音ですが。……この日のために大分前から準備してきたんですがね」
感心するヌッタ子爵の言葉に、展開した店を再び仕舞い直しながらジューネが微妙に無念そうに応える。仕舞う時も所定の位置に置くだけで元のリュックサックに戻るというのだから驚きだ。
結局あれって何なんだろうな? あ、お茶のお代わりお願いしますメリーさん。
「貴方達。貴方達だけ優雅にお茶を飲んで見物というのはズルくないですか?」
「いや。あの中に割って入るのは無理だって。なぁ」
ジューネの恨みがましい声に、俺は目を逸らしながらエプリやセプトに同意を求める。…………よし。ふたりとも同意見だ。
俺はそこまで弁の立つ方じゃないし、エプリも流石にあの交渉に割って入れるほどとは思えない。セプトに至っては何が何だかよく分かっていない感じだ。護衛ならともかく交渉をこのメンツに期待しないでほしい。
「……はぁ。もういいですよ。メリーさん。私にもお茶をお願いします」
「メリー。ワシにも頼むわい。ジューネちゃんにこっぴどくイジメられてもうヘロヘロじゃよ」
「むしろこっちがイジメられた気がしますけどね。子爵のお茶はとびっきり渋くしてやってください」
そんなことを言いあう二人に、メリーさんはニッコリ笑って待ってましたとばかりにお茶の準備をする。……やっぱり仲良いよなこの二人。さっきのこともあるし一応聞いてみるか。
「……あの。ちょっといいですか?」
「おや。何かの?」
「さっきジューネが言いかけたんですけど、
思い返してみれば、彼女はずっとジューネとだけ名乗って名字は言わなかった。
それは名字が無いからだと思っていたが、以前都市長の前で名乗った時ジューネは一瞬名乗るのに躊躇していたように感じた。まるで本来の名前を名乗るべきか一瞬悩んだみたいに。だが、
「ああいやいや。それは少し違うのぅトキヒサ君。ジューネちゃんとワシに血縁関係はないよ。ただ家族ぐるみの付き合いだったことは確かじゃがの」
「家族ぐるみ……ですか?」
「ああ。…………ジューネちゃん。こういう事はジューネちゃんが話した方が良いんじゃないかの? 友達なんじゃろ?」
そこで子爵はジューネにどことなく優しい視線を向ける。ジューネは「だから友達というより同行者で取引相手ですってば」と言いながら、何か考え込むようにじっと床を眺めていた。そして何かを決意したように顔を上げる。
「このことはあまり言いふらすつもりはありません。……他言無用とまでは言いませんが、意味無く吹聴するというのは避けてくれると助かるのですが」
「……えっと。聞いた俺が言うのもなんだけど、言いたくないことだったら言わなくて良いんだぞ。なんだかんだここの面子は全員人に言いづらいことの一つや二つあるし」
俺は異世界人で、セプトはこの町ではあんまりうるさく言われないかもしれないけど魔族だ。エプリなんか混血だし……本当に知られたら面倒なことになる面子ばっかりだな。今更だけど。
エプリも何も言わずに頷いている。常に特大の秘密と共に暮らしているエプリからすれば、仕事に関係のないプライベートなことは無理に聞くことはないと考えているのかもしれない。
「……いえ。うっかり口を滑らせた私にも非が有りますし、これからしばらく同行する相手に隠し続けるというのも不義理というものですからね。元々いつかは話さねばと思っていましたし……これも良い機会かもしれません」
ジューネはそうして疲れているのにもかかわらずしっかりと立ち、こちらを強い意思を感じさせる目で見据えた。その姿はどこか商人というよりも……。
「私の名はジューネ・コロネル。由緒正しきヒュムス国コロネル公爵家の血を引く者であり、ゆくゆくは王族を補佐し国を導く者である! 皆の者、平伏するがいい!!」
「は、ははぁ~」
ついついその場のノリで平伏してしまう俺。そのままチラリと他の皆を見ると、この場で平伏してるのは俺だけだったりする。
いや、分かってはいるんだけどさ。だってジューネは口調こそあれだけど、ニヤニヤ笑ってこっちを見てるんだもの。
「…………と言うものの、実際は爵位を取り上げられた没落貴族なんですけどね。まあ良い反応を見せてもらいましたからやった甲斐はありましたけど」
フフッと笑いながらジューネはそう言う。その笑顔は最初に会った時のような、ほんのちょっとだけ邪気を感じさせる小悪魔的笑顔だったが、どこか少しだけ自虐の色が混じっているようにも見えた。……まだなんか裏がありそうだな。
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