第86話 生まれついての奴隷

「退けってのっ!」


 俺は貯金箱を振り回しながら一歩一歩前進していく。前からの攻撃はアシュさんが数を減らしてくれている。死角からの攻撃はボジョが防いでくれている。


 あとは左右からの攻撃に備えるだけだ。進め。進め。進めっ! そう自分に言い聞かせながら。


 セプトに近づけば近づくほど、影の勢いはますます激しくなっていく。俺達を包囲するかのように、全方位から襲いかかってくる。しかしあと少し。あと少しなんだ。


「でやああぁっ!!」


 単身先を行っているアシュさんが、刀で気合一閃。一振りしかしなかったように見えたのに、周りに群がろうとしていたいくつもの刃がまとめて両断される。


「今だっ! 走れトキヒサっ!!」


 今の攻撃で、ほんの少しだけ包囲網に空いた隙間。まとめて影がここに集まって包囲しているってことは、一度そこを抜ければもうセプトの所まで一気に走りこむだけだ。俺は言われた通り、アシュさんの横を通ってその隙間に飛び込んだ。


 …………予想通り、抜けた先にはほとんど影はいない。少し残っているのが見えるが、これくらいなら俺だけでもセプトの所に辿り着けそうだ。


「アシュさん! これなら大丈夫そうです。アシュさんもこっちに…………アシュさん?」


 俺が後ろを振り向くと、アシュさんはこちらに来ようとせずに隙間の前に立って仁王立ちしている。それはまるで……。


「トキヒサは先に行け。こいつらはここで足止めしておくから」

「そんなっ! アシュさんも一緒にっ!」


 俺が察してこちらに来るように呼び掛けるも、アシュさんはこちらに背を向けたまま動こうとしない。そうしている内に影の一団が再び少しずつこちらに迫ってくる。


「俺までそっちに行ったら、こいつらは確実に追ってくるぞ。どのみち足止めをしないとおちおちセプトと話も出来ない。そしてセプトの首輪を何とかできるのはトキヒサ、お前だ。なら俺がここに残るのは当然だろ?」

「だからって一人であの数は……」

「心配するな。……いざとなったら奥の手の一つや二つはある。やろうと思えばこいつらを切り伏せて、一人でここから外に脱出するくらいは余裕だ」


 アシュさんはそう言って、腰から提げているもう一方の刀。鎖でグルグル巻きにされている方の刀を軽くポンっと叩いた。…………気のせいか今、それに合わせて刀がカタカタと動いたような気がした。見間違いか?


「だから安心して行ってきな。それとも……俺が信用できないか?」

「…………分かりました。なるべく早くセプトを叩き起こしてこの事態を止めてきますから、それまで頑張ってくださいっ! 行くぞボジョっ!!」


 アシュさんがその言葉に片手を上げて返したのを見届けると、俺は再びセプトの所に走り出した。…………まったく。何で俺の周りはこんなに頼りになる人達ばかりなんだ。こんなことされたら行かない訳にはいかないじゃないか。


 まだチラホラと残っている影が俺を切り裂こうと襲い掛かってくるが、何とか貯金箱で撃退しつつ先へ進む。そして遂に、俺はセプトのいる最後の層に辿り着いた。


 苦悶の表情で横たわっているセプトの周りはうっすらとした影の幕が張られていて、そこを境に影が暴れまわっている。ここを抜ければ。


「…………痛っ!?」


 見かけが柔そうなのでなのですぐ抜けられるかと思ったが、触った瞬間指に痛みが走った。見ると火傷したみたいに指が腫れて血が滲んでいる。油断した。下手に触ると危なそうだ。


「しかしこのまま貯金箱でぶん殴って突破するって言うのもな」


 これまでの影と同じなら、これで殴っていけば何とか通れるかもしれない。しかし力を入れて壊したらセプトにダメージが行かないだろうか? ガラスの破片が飛び散るみたいな感じで。…………そっとやれば行けるか?


 俺は貯金箱を構えてゆっくりと幕に近づけていった。触れた瞬間軽い衝撃があったが、別に貯金箱が傷ついた様子もない。


 そのまま静かに押し込んでいくと、急に抵抗がなくなった。よく見れば、幕の一部が裂けて貯金箱が内側に入っている。……これなら行ける。あとはこのまま入口を広げれば。


 俺が入口を作っている間にも、残った影の刃は次々に押し寄せてくる。しかしボジョの奮戦によって何とか耐えしのいだ。そしてやっと俺が何とか入れるだけに裂け目が広がり、俺はボジョと一緒に中に転がり込んだ。





「………………ふぅ」


 すぐに追い打ちが来るかと思ったが、影は中に入ってこなかった。俺が入った瞬間、標的を見失ったかのように動きを止め、そのまま他の所へ行ってしまったのだ。そして俺の入った入口もすぐに裂け目が閉じてしまう。


 やはりセプトの周囲は安全地帯みたいだ。俺は息を整えながら横たわっているセプトを見下ろした。


 被っていたフードはめくれ上がり、その整った素顔が露わになっている。地球で言ったら中学に入ったばかりって歳か。


 濃い青色の髪がおかっぱのような髪型になっていて、前髪が目元まで伸びて視線を隠している。しかし今は汗ばんで少し乱れ、微かに目元も見ることが出来た。


 ……うん。美少女だと思う。これはあれだな。エプリが涼やかな妖精のような幻想的な美少女だとすれば、セプトは言わば静かに佇む人形のように整った美少女だ。美少女のベクトルが違うと言うか…………いや、今は見とれてる場合じゃなかった。


 セプトの首の辺りを見ると、服に隠れて見づらいが確かに黒っぽい首輪が巻かれている。これが隷属の首輪か。


「……起こさないように、『査定開始』」


 今下手に起こして戦いになったら大変だ。まずは肝心要の首輪が換金で外れるかを確認する。……ここが上手くいかなかったらもうお手上げ。皆で全速力で逃げるしか手が無くなるのだが。


 隷属の首輪(ランク中 状態普通)

 査定額 六万デン


 うわ高っ!? ランク中ってどのくらいかは知らないが、これ一つで六十万円もするのか? そんなのをポイって置いていくなんて……クラウンって金持ちか?


 いや、アシュさんを邪魔に思って倒そうとしたらこれくらいは必要経費なのかもしれないけど。……しかしこの様子なら換金できそうだ。


「おい。……おいっ! しっかりしろっ!」


 早くセプトを起こしてこの暴走を止めなくてはっ! 俺は近くに腰を下ろすと、セプトの肩を軽く叩いた。


 頬を叩くのは気が退けるし、下手に揺さぶったりするのは危ないかもしれない。かと言って早く起こさないとアシュさんやエプリが危ない。なので妥協して優し目に起こしたのだが、どうやらそれで良かったらしい。


 軽く息を漏らしたかと思うと、苦しそうな表情ではあるがセプトはうっすらと目を開けた。


「起きたか? 良かった…………今の状況は分かるか?」

「………………うん」


 助かった。目を覚ましたらいきなり襲ってくるかと思って冷や冷やしていたが、セプトは少し身を起こしはしたがそれだけだ。


 ボジョが警戒して、いつでも反応できるように俺の肩の上で構えているが、予想外に相手が落ち着いていてどうしたものか悩んでいるようだ。


「時間が無いから手短に言うぞ。この魔力暴走を止めてくれ。自分の魔力なら抑えられるだろ?」

「無理。命令だから」


 帰ってきたのは素っ気ない言葉だった。まあ予想通りの反応だな。


「大丈夫だ。首輪なら俺の加護で外すことが出来る。……もう奴の命令に従わなくて良いんだ。お前だってこのまま自爆するのは嫌だろ?」

「外せる? …………本当に?」

「ああ。ちょっと動くなよ」


 確かにいきなりそんなことを言っても信じられないだろう。なら、実際にやって見せれば良い。俺は貯金箱の換金場面を操作し、隷属の首輪を換金する。


 すると首輪はフッと消え去り、セプトは驚いたような顔をする。…………良かった。外しても特に痛みが走るとかそういうことは起きていないみたいだ。


「本当に……外れた」


 セプトは首輪の有った場所を何度も撫でまわす。どれだけ着けていたのかは知らないが、それなりの感慨があったのかもしれない。


「これで分かっただろ? もうお前は奴隷じゃないんだ」

「奴隷じゃ……ない?」


 セプトが顔を伏せながらそう呟くのを見て、俺は彼女を安心させようと笑いかけて見せた。…………

 

「ああ。奴隷なんかじゃない。もう自由だ。だからクラウンの命令なんてもう聞かなくて良いんだ。だから…………おいっ!?」


 俺の言葉の途中、セプトは急に懐に手を入れて、小ぶりなナイフを一本取りだした。クラウンが使っていたのとは違ってかなりボロボロだが、それでも刃物であることに変わりはない。


 ……もしやまだ俺を敵だと思って襲ってくるのか? そりゃあさっきまで戦っていたわけだけど、今はそんなことをしている場合じゃないのに!


 そう思っていた俺の目に、予想外の光景が飛び込んできた。


 そのままセプトはこちらの目を見据える。その髪の色と同じ濃い青色の瞳は……どこか怖がっているようにも見えた。


 突然のことに反応が遅れた俺は、セプトの動きに全神経を集中させる。これは……ヤバい。あの目はブラフじゃなくて本当に刺しかねない。


「セプトっ! 一体何を!?」

「…………けて」


 セプトは小さく震えるような声で何かを呟いた。俺はセプトを刺激しないよう、静かに何だと訊き返す。


「……もう一度首輪を着けて。私を奴隷に戻して」

「な、なんでそんなことを?」

「私は生まれた時から奴隷。自由なんて知らない。…… だから…………戻して」


 セプトはどうやら本気で言っているようだった。……俺は致命的な間違いをしてしまったのかもしれない。

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