第75話 仲間

 エプリは酷い有様だった。仰向けの状態でいつも被っていたフードはめくれ上がり、その素顔が露わになっている。しかし紛れもなく美少女と言えるその顔は、不敵に笑ってはいたものの苦痛のせいか僅かに歪んでいる。


 いつも纏っていた黒いローブはビリビリに破け、珍しくその下に着ている服が明らかになる。胸や肘、膝などの要所を何かの皮を当てて強化した淡い緑の布地の服。一見するとローラースケートで使うプロテクターを装着した姿にも見える。だが、片腕と脇腹の辺りからにじみ出ている真っ赤な血が、緑の部分をじわじわと侵食していた。


「エプリっ!」


 俺は急いでエプリに駆け寄った。皮肉にも、傷ついて倒れた姿を月明かりが照らす有様は、いつも以上に現実味のない幻想的なものだった。…………しかし間近で見るとそんなことを言っていられないくらいに本当に痛々しい。服から所々ちらりと見える素肌には、あちこち青あざのような物が出来ている。むしろ怪我のないところの方が少ないんじゃないか?


「…………フフッ。どうして……空から降ってきたかは……知らないけど、まだ生きてるなんて……本当に頑丈な体ね。……怪我はない?」

「ああ。大丈夫だ……って、それはこっちのセリフだっ! どうしたんだこの怪我はっ!? とにかく手当しないと…………ちょっと待ってろよ」


 とぎれとぎれに弱々しく喋るエプリに、俺は以前ジューネから買っておいた体力回復用ポーションを取り出して飲ませる。少しだけ顔色が良くなってきたので、今度は傷口に別のものを振りかける。しかし、傷口は両方とも塞がりかけているのだが、脇腹の周りの色は毒々しい紫に染まっている。……もしかして毒か?


「……ありがとう。だけどここは危ないからさっさと逃げなさい。今なら奴らもアナタを見つけていないわ」

「奴ら? 奴らって……」


 俺がエプリに聞き返した直後、


「クフッ。クフフフフ。おやおやこれはこれは。どこかで見たような顔ですねぇ」


 嫌~な聞き覚えのある声が聞こえてきた。もし音に物理的感触があるとしたら間違いなく粘ついているであろう耳障りな声。まさか……。


「…………やっぱりお前かクラウン」

「とっくに牢獄で試験体にぐちゃぐちゃにされていると思ったのですが、意外にしぶとかったですねぇ。おまけにこんなところにまで現れて…………害虫みたいなヒトですね貴方」


 あの牢獄で会った男、クラウンが歩いてくる。……まあエプリはコイツと合流しようとしていたんだからいてもおかしくはないか。試験体って言うのはあの鬼になった巨人種の男のことだろうか?


「誰が害虫だこの野郎!! ……じゃなかった。おい大変だ。エプリが毒を食らって動けないんだ。お前は毒に詳しいんだろ? 早く診てやってくれ」


 いくらコイツでも自分の仲間が毒を受けて苦しんでいるのなら助けるだろう。そう思った俺は、この野郎への色々な怒りを抑え込んで言った。だが、クラウンはニヤニヤと嗤ってただ突っ立っているばかり。…………なんだこの違和感は? 何かがおかしい。


「…………診るまでもありませんよぅ。その毒はパラライズバタフライの鱗粉とポイズンフロッグの血を混ぜたもの。何故分かるかって? 何故なら…………調

 

 ………………今コイツはなんて言った? 私が調合した毒? ……まさかっ!?


「……二つだけ聞かせろ。エプリをこんな目にあわせたのはお前か?」


 俺は出来るだけ感情を抑えて静かに問いただす。さっき見た時エプリの身体にはたくさんの青あざと二つの切り傷があった。その中で毒が入ったと思われるのは色からして脇腹の切り傷だ。使。だが……エプリは傭兵としての筋を通してクラウンの所に戻ったんだ。そんなエプリに対してこんなこと、いくらコイツでもするわけがない。そう考えての言葉だったが、


「ご明察。……私ですが何か?」


 その考えはいともあっさりと覆された。目の前のこの男は、かつて自分を守ってくれていた相手にこんな仕打ちをしたのは自分だと、そう言ったのだ。


「そっか。じゃあ二つ目の質問だ。…………エプリは仲間じゃねえのかよっ!!」

「仲間? その汚らしい混血がですか? を仲間だと思ったことなどただの一度もありませんよ。……使。使い終わった道具を処分して何の問題が?」


 その言葉を聞いて、俺は一瞬目の前が真っ赤に染まったかのような錯覚に襲われた。俺は知らず知らずのうちに拳を握りしめる。


「…………よく分かった。お前が心底腐りきった外道だってことはな」


 俺は目の前のコイツをぶっ飛ばすと心に決めた。実力? 関係ないね。…………。俺はクラウンを睨みつけて、貯金箱を取り出して構える。そして殴り掛かろうと力を込めた時、


「……はあ……はあ。……“強風”」

「なっ!?」


 息も絶え絶えだったエプリが、倒れながらも“強風”を発動したのだ。これはクラウンも予想外だったのか、横からの“強風”に少し距離を取る。エプリっ! まだ毒で辛いだろうに無茶すんな。


「はあ……今の内よ。さっきのポーションのおかげで少しは動けるようになったから、私が時間を稼いでいる内に……早く帰りなさい。……こんな時のために、転移珠を渡して」

「………………すまん。ここまで来るのに使っちゃった」

「…………はぁっ!?」


 エプリが顔色を変えてこちらを見てくる。…………だってしょうがないだろ。エプリに追いつくにはこれしかなかったんだもの。だけど使ったのは正解だったみたいだな。……もし一度拠点に戻るなんてやっていたら、この調子だとエプリがやられていた可能性が高い。


「お前は何を考えているんだっ!? 私を追うためだけに転移珠を使うなんて、バカじゃないのかっ!?」


 怒りが一時的に毒の効き目を上回ったんじゃないのと言わんばかりに、エプリは立ち上がって俺の服を掴む。口調が変わるのも随分と久しぶりな気がするな。…………だがまたすぐに座り込んでしまう。やはり体力も完全に回復したわけじゃないし、毒が残っている限りまともには動けないみたいだ。


「もう私とお前の契約は切れているんだぞっ!? 私がいなくても調査隊の誰かに頼めば近くの町までは護衛してくれる。それからのこともアシュに頼れば悪いようにはしないはずだ。なのに…………なのになんで私なんかを追いかけてきたんだっ!? 貴重な転移珠まで使って!?」


 エプリは絞り出すようにそう叫ぶ。


「……決まってる。約束しただろ? 無事ダンジョンから出たら、何故俺をここまで護ってくれるのか教えてくれるって。まだそれを聞いていないから聞きに来ただけだ」

「…………たったそれだけのことで?」


 エプリは俺の言葉を聞いて理解できないというような表情をする。そんなに不思議なことだろうか?


「まあな。それに元はと言えばエプリだって悪いんだぞ。話をしようと思っていたら、いきなりあんな手紙だけ残して出発するなんて心配するだろ。……それが無かったら今頃テントの中で聞いているっての!」

「……『勇者』だから混血である私に同情でもしたのか? 私はそんな同情されるような存在じゃないんだっ! ……生きるために汚いことも平気でしてきた。お前を護るのだってお前の為じゃない。あくまで私の都合。私のつまらない意地のためだ」


 その一言一言が、俺にはまるで自分自身を傷つけているように感じるのは気のせいだろうか? エプリはそう言って再び立ち上がろうとする。しかしまだ息も荒く、足もガクガクと震えている。目の焦点もどこかズレていて、身体も明らかにふらついている。


「……これで分かったろう? 私はお前が構うようなものじゃないんだ。……逃げ道は私が作るから、お前は早くここを離れて……」

「ふざけんじゃないってのっ!!」


 ……つい大きな声が出てしまった。エプリも少し驚いたようで、ビクッとしてこちらを見る。だけど、ここは一言言っておかないと気が済まない。


「同情……は自分でも気がつかないうちにしてるかもしれないから何とも言えないけどな。俺は『勇者』だからとか、お前が混血だからどうこうなんて話じゃないんだよっ! ……仲間が居なくなったら心配するのが当たり前だろうがっ!」

「っ! ……私とお前はただの元雇い主と元傭兵の関係で」

「一緒に戦って! 一緒に食事をして! 一緒に冒険した! それだけでもう仲間だろうがっ! クラウンの野郎が正式にエプリを雇っているなら口を出すのは筋違いだったけどな、今はそうじゃないんだろ? だからこの状況でも一緒に何とかする。……なんて言うなよな」


 つい思うままに言ってしまったが、命をホイホイ捨てるようなことはさせられない。…………げっ!? エプリの奴顔を伏せてふるふると震えている。……俺としたことが美少女相手に言い過ぎたかな?


「…………私は混血だ。生きた禁忌の証だ。居るだけでこの世界のヒトは私を拒絶する。一緒にいる者もとばっちりを受ける。そんな私でも……仲間だと言うのか?」

「前にも言ったろ? 俺は誤魔化すことはよくやるけど嘘はあまり吐かない。それに……綺麗な女の子が仲間っていうのは、困難に立ち向かってでも男が得たいロマンの一つなんだぜ」


 俺はそこで笑いかけて見せる。美少女には笑顔でいてほしい。仲間だったらなおさらだ。だからエプリが笑顔になれるんだったら、とばっちりの百や二百は受けたろうじゃないの。


「…………はぁ。ダンジョンの中で同行した時からバカな男だとは思っていたけど、まさか私のような者を仲間と呼んで嫌がりもしないなんて。知らなかったのならともかく知ってからも…………これはもうただのバカじゃないわね。大バカねまったく」

「なははっ! よく言われる。主に“相棒”に」


 エプリも少し落ち着いたようで口調がまた元に戻った。そして一度顔を腕で拭うと、こちらと真正面から向かい合う形になった。…………目元に一筋の跡があったのは見なかったことにしよう。


「分かったわよ。…………雇い主兼荷物運び兼仲間の言葉だものね。この状況を切り抜けるとしましょうか」


 そう言って彼女は笑ったのだ。これまでのように不敵な笑みではなく、自分の生まれを嘆くような自虐的な笑みでもない。それは…………仲間に向ける優しい笑みだった。

 







「ところで、雇い主ってことはまた契約金とか払うのか?」

「私は傭兵なのだから当然ね。この状況を何とかしたら前の契約の分も合わせて請求するから。……安くないわよ」


 …………困難(お金)が早速やってきたみたいだ。

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