閑話 風使いは月夜に想う その二

 今更だが、牢獄であの巨人種の囚人に刻まれた術式には、発動中に誰かが近づくと術者に伝わるような仕掛けがあった。本来目標であるディラン・ガーデンが来るのを見越して用意された物らしいが、予定より明らかに早い時間に仕掛けが作動したのはクラウンも妙だと思ったのだろう。私を伴って様子を確認しに行ったのだ。


 ……そこで私達は驚嘆すべきものを見た。並みいる鼠凶魔を退けて、ゲートとなった囚人に近づいている二人組が居たのだ。トキヒサはそのうちの一人だった。


 私は今回の依頼中に出会った少し…………いや、かなり妙な奴を脳裏に浮かべる。トキヒサ・サクライという男。トキヒサは初めて会った時から妙な奴だった。


 背は私と同じか少し上くらいで、ヒト種の中ではかなり低め。見たことのない珍しいデザインの服を着ていて、黒髪に黒い瞳。ヒュムス国ではあまり見ない姿形だったので、もしかしたら『豪雪山脈』か『断絶海』の先から来たのかもしれない。


 当初は敵味方の関係だった。個人的にはゲートを止めてもらいたい気持ちもあったが、相手と対峙した以上依頼人を護衛しなければならない。即座に意識を切り替え、相手の様子を観察しつつ“強風”や“風刃”で牽制する。


 トキヒサは動きや戦い方などは素人のそれだったが、何かの加護でもあるのかとにかく頑丈だった。本来“風刃”が直撃すれば、皮膚の頑丈なモンスターならともかく、普通のヒト種は防御していない限りそれなりのダメージがいく。


 だというのにトキヒサときたら、精々が切れているのは表皮くらいで肉にも骨にもほとんどダメージが無い。それで取っ手の付いた箱のような物を振り回して向かってくるのだから訳が分からない。


 そうして攻めあぐねている内に、戦いの中で私のフードがめくれてしまう。…………私は混血だ。混血は共通した特徴として、生まれた時から白髪と赤い瞳を持つ。そして、ほぼ全ての種族から忌み嫌われている。……そういう目で見られるのは慣れている。目の前のコイツもすぐにその表情に変わるだろうと思っていた。だが、


「……綺麗だ」


 コイツのこの一言を聞いて、私は一瞬だが完全に思考が停止した。コイツハイマナニヲイッタ? 綺麗? この私が? この禁忌とされるこの身が?


 私の脳裏に、姿。頭が灼熱したような感覚に囚われ、目の前の奴があの男にダブる。


 この瞬間、私は完全に傭兵としての立場を忘れていた。護衛のことは頭の片隅に置かれ、ただただ目の前の男への殺意が溢れ、何が有ってもコイツを殺すという強い衝動に駆られた。……付け加えれば、その後馬乗りされて押さえつけられたことでさらに殺意が増しているが、まあこちらは今なら戦いの中での事故だと考えても良い。…………別の意味で許すつもりはないが。


 こうして戦いは続き、そこに当初の目標であるディランが乱入。しかしそこで、クラウンはまた私に言わなかったさらなる一手を繰り出した。なんと奴は、ゲートとしての役割が終わった囚人を何らかの方法で凶魔化させたのだ。


 敢えて魔石を使わずに長期間放置することで、自然発生的に凶魔を産み出すと言うのは噂程度だが聞いたことがある。しかし生物を人為的に凶魔化するというのは聞いたことが無かった。


 驚いている私を残し、クラウンはその混乱に乗じて空属性によりその場を離れる。……そのことについては別段文句はない。依頼人の安全が最優先であるし、最悪私が捕らえられたとしても想定の内。牢の中にも跳べるクラウンが後日助けに来ることになっている。……イマイチ信用できないけれど。


 こうして私は殿を務めながらトキヒサを殺そうと襲い掛かったが、一緒にいたイザスタという女に阻まれて失敗。不覚にも戦いの中で“眠りの霧スリープミスト”を受けて眠らされてしまう。……普段ならあそこまで完全に食らってしまうことはなかったが、殺意と怒りで周りが見えていなかったと今なら分かる。今度は負けるつもりはないけれど、それでもあの女は相当な手練れだ。


 …………あと多分性格が悪い。一瞬戦いの中でみせた黒い笑み。あの状態のイザスタには近づきたくないと感じたほどだ。次会うことがあれば用心しよう。





 そして、次に私が目を覚ました時にはそこはダンジョンだった。混乱しながらも状況を把握すべく周囲の様子を探るが、何故かいくつもの属性の初級魔法を操っているトキヒサを発見したので素早く拘束。これまでの経緯を聞き出そうとするも、その内容があまりにも荒唐無稽だったので先ほどの怒りも込めて“風弾”を見舞う。


 尋問の途中にダンジョン製のスケルトンが襲ってきたのでそれを撃退。手持ちの通信用アイテムも使用できず、ここがダンジョンだとほぼ確信する。トキヒサが言うにはあれからおよそ丸一日経っているらしく、クラウンとの合流も難しい。ここまで冷静に……いや、冷静であると思っている私は、そのままトキヒサを殺そうとした。


 あの時の私はさぞ歪んだ顔をしていたのだろうと思う。完全にトキヒサが私を裏切った奴とダブって見えていた。ただ湧き上がる怒りと殺意をぶつけようとしていたのだ。……そんな極限の状況で、トキヒサは命乞いをするのでもなく、殺そうとする私に怨嗟の言葉をぶつけるのでもなく、ただ再び綺麗だと言ってのけた。


 本当に命の危機にある時の言葉だったからこそ、自分の目の前の男が以前裏切った奴とは違うとはっきり認識できた。……一言で言うと、少し落ち着いたのだ。もし発せられた言葉が命乞いや怨嗟の類であれば、あの時の私なら確実にそのままトキヒサを殺していただろう。


 禁忌である自分のような者を綺麗だなどとのたまう変わり者。そんな奴がこの世界にいた。一瞬だが私はそんな甘い幻想を抱いた。……しかし、それは違うとすぐに分かった。トキヒサは『勇者』だったのだ。


 『勇者』はこの世界ではない別の世界から来るという。つまりこの世界において目の前にいる私が。白髪と赤い瞳を持つ混血が。他の種族から疎まれている忌まわしき禁忌の者であるという事を知らないのだ。知らないからこそ綺麗だなどと言える。素顔を見ても普通に接することが出来るのだ。


 私はそのことに落胆し、それと同時に少し安堵していた。混血のことを知らなければ、素顔を知っていてもトキヒサは自然体のままで接するだろう。私はそう考えて、自分のことを話さないことにした。してしまったのだ。


 その後、私にはトキヒサを殺す気が無くなっていた。一緒にいたスライムが厄介という事もあったが、どうにも戦う気が起きなかったのだ。それよりは早く外に出て、依頼主クラウンと合流することの方が優先だ。しかしダンジョンを一人で脱出するのは困難だ。食料なども心もとなく、長くいることは出来ない。かと言って無理やり進むのは消耗が激しすぎる。


 ……そこで私はつい魔が差した。目の前の男に協力して脱出しないかと持ち掛けたのだ。トキヒサの反応は芳しくなかった。……当然だろう。誰が今の今まで自分を殺そうとしていた相手の言葉を素直に信じる? そんなことが出来るのはよほどのお人好しだけだ。


 我ながらバカなことを聞いたと、私はそのままその場を離れようとする。しかし、トキヒサはそのよほどのお人好しだった。私を引き留め、一緒に行くと答えたのだ。雇い主兼荷物運び兼仲間というおかしな答えを。


 その時トキヒサは自らの手を差し出してきた。握手という互いの手を握り合う挨拶。……普段の私だったら、たとえ依頼主相手であってもやらなかっただろう。自分の腕を差し出す行為は、それだけ周囲への反応が遅れることになる。……だが、その時は私はそれを受けた。それが騙す形になってしまったトキヒサへの誠意だと思えたからだ。


 こうして握手を交わした私達は、短い期間ではあるが雇い主と護衛(トキヒサ曰く荷物運び兼仲間)という関係になってダンジョン脱出に向けて動き出した。…………ちなみに余談だが、契約なのでしっかりと対価は請求する。そこはどんな相手でもおろそかにしてはいけないのだ。

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