第9話 王補佐官の暗躍

 ◇◆◇◆◇◆


 そこは城のある一室だった。机や本棚など、いかにも執務室といった装いだがどれも華美ではない。しかし、見る目がある者が見れば腰を抜かすであろう程度には良き品々ばかりであった。


 その部屋の主は一人、机に向かって書き物をしている。歳は直に六十に届こうかというところか。髪はほとんどが白く染まり、手や顔にはシワが目立つ。だがその鋭い目付きは決して隠居寸前の好好爺などではない。


 明かりは机に置かれている燭台と、宙に浮かんで手元を照らすピンポン玉くらいの小さな光球。あまり光量は多くないが、書き物をするには充分なものだ。


 書き物の為だけに部屋全体を照らす光は要らないという、持ち主の無駄のなさを感じさせる。


「…………」


 一つずつ書類に目を通し、時折内容の一部にペンを走らせるとまた次の書類にとりかかる。


 それは華やかさの欠片もない地味な作業。書類は数十枚の束になっていてまだまだ終わる気配はない。


 だが、もしこの作業を一日でも休めばその影響は国内、国外に大きく伝わるだろう。彼、ヒュムス王補佐官ウィーガス・ゾルガが行っていることはそういう類のものだ。


 コンコン。静かな部屋に扉をノックする音が響き渡る。


「入りたまえ」

「はい。夜分遅く失礼します。閣下」


 扉を開けて入ってきたのは、少し頬のこけた神経質そうな男。今日時久を取り調べた役人である。


「結果はどうだったね? ヘクター」


 ウィーガスは取りかかっている書類から目を離さずに役人に話しかけた。役人……ヘクターも主の多忙は分かっているのでそのまま報告を続ける。


「いくつかの質問をしましたが、『勇者』様方の答えと類似点が多く見られます。彼が異世界人である可能性は捨てきれません。無論どこかで情報を嗅ぎ付けた他国の密偵の可能性も僅かに有りますが」

「宜しい。書類を提出せよ」

「はっ」


 ヘクターは脇に抱えていた書類をウィーガスに手渡した。彼はその書類に軽く目を通すと、その内容に少しだけ考え込む。


「ふむ…………では、検査の方はどうだね?」

「現在彼の血から情報の読み取りを行っています。種族や能力のみならず『加護』の有無や詳細の確認まで必要となると、夜を徹しても明日まではかかるかと」

「構わん。多少時間がかかっても良いので正確さを優先させよ」

「はっ。かしこまりました」


 ヘクターは一礼するとそのまま部屋を退出し、再び部屋にはウィーガス一人となった。


「…………現れるはずのないイレギュラーの『勇者』か。はたまた只の密偵か。密偵ならば始末するだけだが…………」


 ウィーガスはここでしばし黙考し、手渡された書類にもう一度目を通していく。


「トキヒサ・サクライ。いや、異世界風に言えばサクライ・トキヒサか。お前はいったいどちらなのだろうな……」


 この疑問に答えられる者は未だ居ない。


 ◆◇◆◇◆◇


 三日目、四日目はあまり特筆すべきことはなかった。強いて言えば、ディラン看守と色々交渉した結果、一日に払う金額が百デンになった(代わりにお代わりは一皿だけになり、他の幾つかの扱いが雑に)ことか。


 それと壁のスライムは相変わらずそのままだが、イザスタさんの側から穴を通ろうとするとその部分だけポッカリと空き、そのまま戻るまでじっとしていた。


 戻り際に一度イザスタさんが「ありがとね♪」と言ってスライムを撫でていったのが印象的だ。


 更に言えば、イザスタさんの牢にももう一体スライムが壁に擬態していた。まさか牢毎に一体ずつ居るんじゃないだろうな。

 

 まてよ…………このスライム飼ってるのイザスタさんじゃないか? この人なら牢屋にペットか何か持ち込むことは充分あり得る。


 一応確かめてみたが「ペット? う~ん、まあ当たりじゃないけど完全に的外れとも言えないかなぁ」と言ってはぐらかされた。


 大体こんなところだろうか。あとはほぼ変わらずずっと牢の中だ。時折体がなまらないように体操をしたり、イザスタさんに魔法の講義をしてもらって時間を潰している。


 ただ、この牢獄全体に魔法封じの仕掛けがあるらしく、ある程度の熟練者ならともかく俺のような初心者では魔法の発動自体が出来ないという。


 なので教わるのはもっぱら各属性の特徴や使い方。早いところ出所して実際に魔法の練習なんかもしてみたいものだ。


 あと気になったことと言えばもう一つ。イザスタさんの苗字についてだ。


 ディラン看守が俺の名前を聞いて没落貴族だと思ったように、この世界では苗字を持つのは貴族かそれに連なるもののみだという。


 と言っても何代も前に貴族だった場合でも苗字は残るらしいので、今は食い詰めて平民に戻ったりしているものも多いらしい。


 なのであまり気にせずに苗字について訊ねてみたのだが、これにはイザスタさんは少しだけ困った顔をして見せた。


「う~ん。実はイザスタ・フォルスって偽名なのよねん。なんていうかその……仕事上本名を語ると色々不具合があるっていうか、だけど最近はずっとこっちを使っているから、ほとんどこっちが本名みたいな感じになっちゃったけど」


 非常に少ないのだが、相手の名前を知ることで呪いをかける能力があるそうで、それ対策で普段は偽名を使っているのだという。そんな相手と関わる仕事って何なのかと疑問が深まるが、それは今は置いておく。


 肝心の苗字についての方は、あるけど内緒。ねっ♪ とはぐらかされた。結局イザスタさんは何者って謎が深まっただけのような気がする。


 そんな感じで過ごしていたのだが、考えてみると囚人は服役中色々と働いて罪を償うものだ。俺は働かなくて良いのかと一度看守に尋ねてみたのだが、現在俺は刑が確定していないからしなくて良いという。


 俺は悪いことは特にしていないのでそれが自然なのだが、いい加減ずっと代わり映えのしない牢の中というのもそれはそれで嫌になってくる。


 アンリエッタの方も毎夜話してはいるが特に進展はなく、早く釈放されないだろうかと指折り数えて待っていた俺だった。


 だが、待っているだけではマズイと分かったのは更にその次の日、異世界にきて五日目のことだった。

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