第8話 変な同居人と不機嫌女神
「そろそろいいか……」
腕時計を見ると時間は夜中の十一時過ぎ。隣のイザスタさんも眠ったらしく、耳をすませても物音は聞こえない。周りを軽く確認すると、俺は連絡用の鏡を取り出した。
「もしもし。こちら時久。聞こえるかアンリエッタ」
隣の牢と距離があるので大丈夫だとは思うが、念のためイザスタさんを起こさないように囁くように喋る。だというのに、
『……プツッ。おっそい!!! もう今日は連絡はないのかとヒヤヒヤしたんだからっ』
怒鳴られた。静かな中に突然の怒声。慌てて鏡をしまい、息を殺して周囲をうかがう。………………大丈夫みたいだ。特に周囲からは音はしない。
「アンリエッタもうちょい声を小さく。誰か来たらいけない」
『っ!! ……悪かったわよ。で?』
「分かってる。連絡が遅くなってゴメン。近くに人がいて中々話をするチャンスがなかったんだ」
『……まあこの状況じゃ仕方ないか。いいでしょう。許してあげる。感謝しなさい」
アンリエッタは軽く胸を反らして言った。女神の寛大さを見せつけたいのだろうが、見た目が子供だからどこか微笑ましい。
「こっちの状況は大体分かるよな?」
『えぇ。時々モニターしてたから。アナタにはさっさとそこから出てワタシの課題をこなしてもらわなきゃ。そんな所じゃろくに金も稼げないわ』
「そのためにも先立つものが必要なんだ。『万物換金』は金(にほんえん)を金(デン)に替えることは出来るか?」
ひとまずこちらの金を手に入れないと。イザスタさんにお礼をしなければいけないし、明日の朝にはディラン看守にも払わなきゃいけない。それに出所してからも一文無しでは流石にマズイ。
こうして考えると、念のため家からもっと金を持ってくれば良かったとつくづく思うね。
『勿論可能よ。一度日本円を貯金状態にして、それから支払い金をデンに変更するだけだから』
「助かった。ところで、一度換金した物はもう戻せないのか?」
『戻せるわよ。ただし査定額の一割を上乗せした額を払う必要があるけど。例えば査定額一万円の品を買い戻そうと思ったら、一万千円を払えば良いの』
「手数料ってやつか。一割は多い気もするが了解」
どのみち今は日本円は使い道がないからな。手持ちをあるだけ全て替えておくか。
『うん。時間がないからひとまず通信を打ち切るけど、今日の分はまだ一回あるから換金し終わったらまた連絡して。換金自体はそんなに難しくないからすぐ終わるわ』
あっ! そう言えば肝心なことを聞いてなかった。
「アンリエッタ。そう言えばこの腕時計の時間はこっちの時間と合っているのか? ここに来る時もあれだったからな。大体の時間は食事の時間から予想できるけど、細かい時間までは分からないし」
言ったあとですぐにマズイと思った。ここに来た時の妨害はアンリエッタも多少落ち込んでいたみたいだし、今の言い方だと傷つけてしまったかも。
『…………誤差は特になさそうよ。午前と午後も間違ってないわ』
「そっか。それなら良いんだ。ありがとな」
一瞬の沈黙の後、何事もないように言うアンリエッタ。礼を言うとその言葉を最後に映像は途絶える。あとでちょっと謝っておくか。
それにしても一日二回、一回三分までという縛りはもう少しどうにかならなかったものか。
俺は鏡を胸のポケットにしまうと、貯金箱を目の前に出現させた。これは俺を持ち主に設定しているので、出てこいと念じるだけで呼び出すことができる。また、使い終わると勝手に消えるので非常に便利だ。
貯金箱に起動用の硬貨を投入する。この硬貨は出発直前にアンリエッタに渡されたもので、服のあちこちに仕込んである。ちなみにこの分の値段も課題に上乗せされるらしい。
「では……『査定開始』」
さっそく貯金箱を起動する。出発前に確かめたが、一度起動すると俺が査定終了と言うか二十分経つまで使えるという。俺の財布を取り出してそれに光を当ててみる。
……今思ったが、こういう風にまとめて査定した場合どうなるのだろうか?
貯金箱に浮かんできた文字はこうだった。
財布(内容物有り)
査定額 七千六百十円
内訳
財布 五百円
日本円 円分の紙幣及び硬貨
カード(保険証、会員カード等) 買取不可
なるほど。まとめて査定すると一つずつの値段と合計査定額が表示されるのか。カードが買取不可なのは何でだ?
文字に触れたらさらに細かい説明が表示されないかと試してみたが、上下にスクロールしたり文字を拡大したりが精々のようだ。微妙にスマートフォンみたいだが、そうそう上手くはいかないか。
「ひとまず日本円を全て換金してっと」
どうやら内訳がある場合は選択した物だけを換金できるようで、日本円だけを選択して換金する。すると、財布はそのままに中身だけがスッと消えてしまう。
貯金箱を見ると、
現在貯金額 七千百二〇円
とあった。どうやら成功したらしく、前に換金したコーヒー代にプラスされている。そのまま画面をいじっていると、通貨設定という項目を発見する。
これだな。え~と、円にドルにポンド。色々有るな。デンは…………あった。さっそくこっちに変更してと。これでどうだ。
現在貯金額 七百十二デン
よし。上手くいった。それにしても一デンは日本円で十円分か。つまり課題の一億円はこちらでいう一千万デンだ。覚えておこう。
最後に、貯金額の下に通貨支払いという項目を見つける。あとは実際に金を引き出せば良いんだが……とりあえず全額出すか。画面に表示された空欄に七百十二デンと設定してボタンを押す。さて、どうなるか?
チャリ~ン。チャリ~ン。
ボタンを押した瞬間。貯金箱の側面が一部スライドして、数枚の硬貨がこぼれ出した。画面を見ると貯金額はゼロになっている。こうやって出てくるのか。
硬貨を広い集めると三種類のものがあった。一つは石でできた灰色のものが二枚。次に銅製のものが一枚。最後におそらく銀でできているものが七枚だ。
つまり石の硬貨が一枚一デン。銅製のものが十デン。銀製のものが百デンだ。硬貨の情報も多少得られた。
まあ最初はこれで良いか。と言っても七百デンじゃ今の待遇だと二日分にしかならないぞ。さっさと出所しないと一億円貯めるどころか一文無しだ。
とりあえず他に何か換金できるものは…………筆記用具かスマホくらいしか無いな。筆記用具はあんまり高く売れないだろうから、一応スマホを査定してみる。
スマートフォン(やや傷有り)
査定額 五百デン
……微妙だ。高くもなければ低くもない。何か使い道が有るかも知れないのでひとまず換金は止めとこう。
念のため牢の中に有るものを一通り査定してみるが、全て買取不可と出た。これらはここの備品であって俺の物ではないからだろう。
「何だこりゃ!?」
まだ数分使えるので適当にあちこち光を当てていると、壁の一部で妙な反応があった。
ウォールスライム(擬態中)
査定額 買取不可
ウォールスライムって何? というかこの壁生き物だったのか? 試しに鉛筆でつついてみると、そこだけ他の壁と僅かに感触が違う。あくまでスライムはこの縦横一メートル部分だけらしい。
「よく見たらここ、イザスタさんが入ってきた所だ」
つまり穴をウォールスライムが塞いでいる形だ。もしかしたら最初からこのスライムだったのかも知れないが今は置いておこう。問題はこのウォールスライムが敵なのか何なのかだが、
「特に害意とかはなさそうなんだよな」
つついても特に反応はない。完全に壁に擬態しているようだ。まあもし害意があるならいくらでも襲う機会はあった訳だし、今すぐどうこうなるというものでもないか。
ちょっと楽観的過ぎるかも知れないが、どのみちこの牢屋から動けない。ならピリピリし過ぎても疲れるだけだ。変な同居人が増えたと思うことにしよう。
査定時間も終わり、貯金箱はそのまま何もなかったかのように消える。さて、またアンリエッタに連絡するか。再び鏡を取り出す。
『……ブツッ。無事換金は終わったみたいね』
「ああ。と言っても換金できるもの自体が少ないから貧乏なままだけどな。それと…………さっきは悪かった」
『……? 何が?」
ありゃ? なんか予想より普通だな。
「いやその、さっきの言い方だとお前を責めてるように聞こえたかなって。責めてる訳じゃないって言うつもりだったんだけど」
『あぁ…………アレね」
そう言うとアンリエッタはスゴイ顔をした。何というか不愉快さと怒りと闘志と僅かな申し訳なさをごっちゃにして、くわえてそれを押し殺しているけど押さえ切れていないという感じだ。
『気にしてないわよ。……いえ。ちょっと腹が立っているかしら。生意気にも心配するような手駒にも、心配されるようなポカをやった私にもね」
「だから責めてないってのに。そ、そうだ。その妨害をした奴のことは分かったのか?」
これはいかんと話題を逸らす。だが顔を曇らせたちびっ子女神を見て、どうやら上手くいっていないようだと察する。これは藪蛇だったか?
『…………正直手詰まりね。女神にちょっかいをかけられる奴なんてそうはいないし、わざわざこのタイミングで仕掛けてきたってことはゲームの関係者の誰かだと思うけど。それ以上は今のところ絞れないわ。痕跡も途中で途切れてるし』
「そっか。いきなり牢屋からスタートで、正体不明の妨害者付きとは厳しいけど……まあ何とかするさ。ところで査定中に壁に変な奴が居たんだけど。というか今も居る」
さらに話題を逸らす。もう思いっきり違う話になっているが、これ以上この話題で機嫌を損ねると流石にまずそうなので仕方ないのだ。
『それはこっちでも確認したわ。ウォールスライムはその世界に存在する魔物の一種。だけど基本的にはおとなしいから下手に刺激しなければ問題ないわ』
「さっきちょっとつついたんだけど…………これってヤバイか?」
『それぐらいなら大丈夫でしょ。牢屋の近くで派手に暴れでもしない限りは平気。問題はなぜこんな所に居るかだけど』
う~む。こんな所に居たら普通気付くよな。それをあえて放置してるってことか。……まさか城で飼ってるとか?
「いくつか考えられるけどあくまで想像だからな。ちなみにこいつって肉食だったりする?」
『種類にもよるけどスライムは基本雑食よ。消化できるものなら何でも食べるわ。ウォールスライムも雑食だけど、人や他の魔物を食べることは滅多にないわね。飢餓状態でもなさそうだしひとまずは心配ないでしょうね』
「それを聞いて安心したよ。じゃあスライムは放っておくとして……そうだ! アンリエッタ!! 俺の魔法適正って何か分かるか?」
夕食の後の座学で魔法の基礎的な知識は教わったのだが、結局俺の適性は不明なままだ。適性を調べるにはそれなりの準備が必要らしく、ここには道具がないから難しいという。
『残念だけど、アナタに何の魔法が使えるかまでは分からないわ。ただし異世界補正でそれなりに魔力量自体は多いと思うから、そういう意味では恵まれていると思うわよ』
「いや別にそんな大層なものじゃなくて良いんだよ。正直な話、指先からライター位の火が出るとかでも良いんだ。自分の力で魔法が使える。それだけで一種のロマンだろ?」
『ロマンねぇ。ワタシにはイマイチ理解できないけど……』
アンリエッタはどこか呆れたような態度で言う。ロマンは大事だぞ。まったく。
「そこのところをじっくり話し合いたいところだけどそろそろ時間だ。今日はここまでにしとくよ」
『そうね。もうすぐ時間だしここまでにしましょう。明日もまた連絡は今日ぐらいの時間かしら?』
「そうだな。これからも毎日寝る前に定期連絡でいこう。基本的にはこの時間で、急に用件が出来た時の為に一回分はなるべく残しておくやり方で」
『分かったわ。それじゃあお休みなさい。明日は何か進展があると良いわね』
「ああ。お休み」
挨拶が終わるとそのまま映像は消える。明日か。どうしたもんか。ひとまず金は節約しないとマズイよな。
何とかディラン看守に値段の交渉をするか。あと壁のスライムのことも気になるし、イザスタさんとこにも居るかも知れないしな。あとはまた魔法についてイザスタさんに聞いてみるとして……
こうして明日に備えて考え事をしつつ、二日目の夜は更けていった。
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