目標は一番高いところ

「いたっ! ひぃ~ひっかかれたあとがしみる」

「男の子でしょ我慢しなさい。私と契約する前はいつも傷いっぱいしていたって言ってたのに弱音言わないの」


 グラシャの妨害から逃れて、予定より大幅に遅れて目的の学校に到着した。けどハトの大群から逃れたり木々の間を飛んだりしたせいで体のあちこちをひっかけてしまい、肌が見えている場所全部傷だらけだ。

 配信を終わった後、この前行ったコンビニで消毒液などを買ってラウムに治してもらっているが、消毒液が傷にしみるしみるの。ちょっと涙が出そう。


「傷の治りょうは何度してもしみるの。もうちょっとやさしくしてよ」

「はいはい。これで最後だよ」


 ぺりっとばんそうこうをはがして、消毒した後の傷に張る。

 そして自分の体を見下ろすと、ばんそうこうが入っていた箱の半分も使うほどばんそうこうだらけだった。これじゃあ鳥人じゃなくて、怪人ばんそうこうだ。


「もうちょっとなんとかならなかったの。こんなにばんそうこうだらけだと、またお母さんに小言言われる」

「文句があるならコンビニに言って。何でも売っているってわりに大きいばんそうこう売ってないのが悪い」


 むちゃくちゃだ。

 ラウムが消毒液とかをなおしていると、ひんやりとした風が学校の屋上に吹く。寒い風がぴりりと傷にひびく。僕の学校の屋上はふだん生徒は入れないようにされていて、僕らが外に出られるのは屋外プールぐらいだ。

 夜となってぽつぽつと町の家々の明かりがはっきりと見え、町全体がきれいに彩られる。前にクラスの女の子が町の景色を見るなら屋上からが一番だと言っていたが本当だ。

 この景色を手にできるのは翼を持っている鳥と僕とラウムだけ。


 僕、鳥になってよかったな。


 …………冷たい!!

 突然ほほに冷たいものを押し付けられて飛び上がった。


「ほら、カナタのコーラ。乾杯するんでしょ」

「傷があるところに近づけないでよ。すごくしみるよ」

「コーラで傷が治るようにしたの」


 にししと悪魔らしくいたずらに笑みをするラウム、僕の分のコーラのペットボトルを渡して、自分のをぷしゅっと開ける。ぐびぐびと音を立てて一気に半分ぐらい飲む。そしてげっぷ。女の子らしくない。

 鳥人間チャンネル初配信成功を記念しての二人っきりの祝賀会のためにばんそうこうのついでにおかしと飲み物も買いにコンビニに入ったのだけど、ラウムったら最初はコーヒー派だったのにすっかり忘れたようにコーラコーラだ。


「缶のほうが量多いよ」

「ボトルがいいの。缶だとコーラの中身が見えなくてしゅわしゅあ感が味わえないじゃない」


 こんな風に変なこだわりまで持ってしまっている。数十年ぶりの人間会で初めて出会ったコーラにここまで好きになるとは、製造会社は悪魔界にもコーラを売りに行った方がいいんじゃないかな。


「まったくグラシャめ。私がうまくいっているのが気にくわなくてハトたちをけしかけたに違いない。昔から性格が悪いクソったれの犬もどきだったけど今度会ったら私がめっためたにしてやるんだから」

「ラウム落ち着いて。せっかく買ったコーラがあふれちゃうよ」

「おっとと。コーラは大事大事」


 勢いあまってまだ残っているペットボトルを握りつぶしかけていたのをラウムは、一気に飲んじゃえと飲み干す。


「クァ」

「おっと。丸刈りも助けてくれてありがとうね。なにが好きかわからないけどあんぱんでもいいかな」

「カナタがあげるものならなんでもいいんじゃない」


 けふっと軽くげっぷをするラウム。カラスって生ごみをあさるぐらい雑食だからなんでもいいよね。ビニール袋を破ってまん丸あんぱんを丸刈りの上に置く。

 ツンツンとアンパンをくちばしで器用に突きながら食べ始めた。いつもゴミを漁るのとは違い、丁寧に外のパンをはがしながら食べて中身のあんこをめいめいと食べるのはまるで作法のようにきれいだ。


 へ~、カラスってあんがいきれいに食べるものなんだね。ラウムも見習ってほしい……え?

 ラウムの方を振り向いたとき、仰天した。ラウムの体が


「ラウム、体が」

「おっと、気が抜けて体が透けちゃっていた」


 ラウムはまるで何でもないかのように口に指をくわえて口笛をふくと、元の状態にもどった。


「ラウムそれって」

「カナタの願いが叶うのに近づくにつれて体が透けるようになるの。ずっと透けているのは具合が悪いからちょっと調整していたんだけどね。もうすぐ帰る合図みたいなものだね」

「ラウム消えちゃうの?」

「消えるというより、カナタのほうが私を見えなくなってしまうみたいになるの。本来悪魔は人間には見えないからね」

「声も聞こえなくなる?」

「この姿だとね」


 またラウムの体が透ける。けど丸刈りはラウムが透けていることに驚かずラウムの肩に乗った。いやそもそも丸刈りたち動物にはいつものように見えているだけなんだ。僕だけがラウムが見えなくなっているんだ。

 そうか。そうだよね。僕との契約が終わればラウムは帰っちゃうもの。そんなこと最初からわかっていた。でも、もう会えなくなると目の前で思い知らされると胸が苦しくなった。


「どうやったらラウムにまた会えることができる? ラウムと同じ悪魔の本を手にすればできる?」

「さあねえ。悪魔は気まぐれだし、また契約の本を手に入れる人だっているから運しだいだね。確実なのは、死んで悪魔の世界に行くぐらいかなだから運しだいだよ」


 死ねばラウムに会える。試しにいつまで会えるのかと指を折ってみる。今が十三で、平均寿命が八十年だから……ざっと六十七年。気が遠くなる時間を僕は待たなければならない。ぎゅっと持っていたコーラのペットボトルがへこむ。


「そんなに落ち込まないでよ。運が良かったらまた会えるって言ったでしょ。せっかくの祝賀会が台無しだからこれでお終い。他の話にしましょう」

「じゃあラウム。もし昔の話を聞きたい。過去の話をするのがいやだったらいいけど」

「……どんな話? 悪魔の話なんて誰かを呪ったとか、誰かが欲におぼれて破滅したのが定番だけど」

「違う違う、ラウムの昔の話だよ。そのライト兄弟について。ラウムは昔ライト兄弟と契約したんでしょその時の話とか、どうやって二人を空へ飛ばしたのか聞きたくて」

「あっ、そういう話」


 意外とびっくりした表情をするラウム。そんなに驚くことかな。そしてラウムの昔語りが始まった。


「ライト兄弟と出会ったのは、私がリリエンタールとの契約に失敗した数年後だね。二人とも大人なのに私が出てきたとたん兄弟そろって抱き合ってきゃー! よ」


 あのライト兄弟が(それもヒゲの生えた)抱き合っている姿を想像して何かおかしくて笑ってしまった。


「でもその後びっくりさせられたのは私の方。またも空を飛びたい契約者だったからリリエンタールと同じだってうっかり言ったら二人とも目の色を変えて「やったぞ! 俺たちリリエンタールと同じ悪魔を召喚したんだ! リリエンタールの悪魔だ」ってその場で喜びの舞を踊りくるっていたわ。どうやらライト兄弟、リリエンタールをすごく尊敬していたようでね。でもまさかリリエンタールの名前を出して大喜びするかな」

「するよ。僕だってラウムがライト兄弟と契約した話を聞いて、すごくワクワクしたもの」


 本の中でしか知らないライト兄弟だけど、気持ちはすごくわかる。ずっと遠いところで憧れの人といっしょに空を飛ぶことに挑戦していた悪魔とやれる。そんなのすごくうれしいに決まっている。

 ラウムの過去の話を聞くと、遠い偉人の人が僕と変わらないと思った。


「それでライト兄弟が私に願った内容なんだけど、飛行機を作りたいって頼んだの。どうやって飛行機をあやつれるかぜんぜんわからないってなげいて。その失敗作の一つに大きな翼を見せてきたの」

「もしかしてその飛行機を作るアイディアをラウムが与えたってこと」

「ピンポーン」


 クイズに正解したように指を丸をつくる。


「それから大変よ。手作業で飛行機の翼をつくったり、自分たちのが合っているって兄弟そろって頑固だったりね。空を目指す人たちってみんなあきらめが悪いのだから困ったものよ。でもなんとか飛行機を飛ばすことができたわ。今と比べたらほんのちょっとの高度と距離だけど。けど楽しかったな」


 懐かしがるラウムはまた半分残っていたコーラを飲む。僕もつられて飲む。すっかり炭酸が抜けていて口の中に甘ったるい砂糖水が溜まった。


「どうしてラウムは、また空を飛ぶことを教えたの?」

「契約だからってのもあるけどね。やっぱり空が好きだから。ライト兄弟にも協力したかったの。私もほら、空を飛ぶこと生き物の姿をしているしね」


 するとラウムはぐいっとまたコーラをあおる。けどもうとっくに飲み干しているのを忘れていたようで、はにかんだ。

 そうだったんだ。ラウムも空が好きだったんだ。いやそうじゃなきゃ、僕に翼を与えたり、空を飛びたい人たちの願いを精一杯叶えようとしないもの。


「それでそれから?」

「それで契約満了で終わり。そして次の契約者がカナタになった」

「えっ。じゃあラウムは百年以上もこっちに来ていないの? 今の飛行機とかに乗ったことも?」

「ないよ。久々に人間界に来たんだから」

「雲の上とかは?」

「そんな高いところまでは行ったことないよ」


 声を失った。じゃあ僕との契約がそのまま終わったら、ラウムはライト兄弟たちが作った飛行機や今の空の世界を知らずに帰っちゃうかもしれないんだ。


「じゃあそこまで行こうよ。ライト兄弟が作った飛行機はもう鳥よりも高いところまで飛んで、海まで」


 僕の願いは、あの時見た空のきれいさと空の気持ちよさをみんなに知ってもらうこと。だってラウムも、ラウムにも今の空の良さを知ってもらわないと。ラウムはハトが豆鉄砲を食ったように口をポカンと開けていた。


「いや、飛行機と同じ高さまでって。カナタの翼だとそこまで飛べないわよ」

「無理なの?」

「絶対無理」


 ラウムはきっぱりそう言った。

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