第9話

 晃さんの本当の夢は俳優ではないか。

 そう思い始めてから、私はもっとしっかりと彼を観察してみることにした。

 観察し始めて気づいたことは、晃さんは常に人と目を合わせて話をしている。

 至極当たり前のことなのかもしれないけれど、人の目を見て話すのが苦手な私からすれば、とてつもなく凄いことのように思える。

 更に、授業を受けていた時に気づいたのは、メモを取るスピードが速い。手元を見ないでタイピングを行う、いわゆるブラインドタッチさながらに、手元を見ないでさらさらと字を書いていく。私はてっきり動画配信者なんて目指しているから、コミュニケーション力もあまりなく、やること何もかもがマイペースなのだろうと勝手に思い込んでいたから、彼のギャップに驚かされた。

 私はそんな彼を見て、自分が情けなくなってきた。

 彼は何事もそつなくこなし、友人も作り、大学生らしい毎日を謳歌している。

 それに比べて私は、何事も躓いてばかりで友人も作れず、独りぼっちの毎日をただ繰り返して、何もできず、誰にもなれない毎日を繰り返していた本当の大学生だった頃に、段々と後戻りしている。

 そんな自己嫌悪の波に飲まれかけていると、不意に肩を叩かれた。

 叩いた相手は晃さん。

 「紗重さん、大丈夫?」

 「えっ!?あ、え!?」

 何に対しての大丈夫?なのか理解が追い付かない。

 「紗重さんさっきからずっとぼーっとしてるなとは思ってたんだけど、授業終わるまでそんな感じだったし、授業終わったのに席立たないし・・・泣いてるから。」

 晃さんは尻すぼみになりながら、それでも心配そうに私を見る。

 私は自分でも気づかない内に泣いていたようだ。

 目じりを触ると冷たい水が手に乗っかった。

 「紗重さん」

 また自分の世界に入りそうになっていた私を、晃さんは優しく引き戻してくれる。

 「もし、僕にできることなら相談して。それに・・・」

 「それに?」

 彼は少し考えた後で、

 「僕たち、同じ職場の仲間じゃないですか」

 嗚呼、彼はなんて気づかいのできる人なのだろう。

 私だったら構わず”無者屋”と名前をだしてしまうところを、晃さんは無者屋のルールに従って、名前を出すことをしなかった。それでも私に伝わるようにしてくれる彼は、本当に優しい人間なのだろう。

 「もう、大丈夫です」

 私は努めて元気に、晃さんに笑顔で返事をする。

 彼は少し考えてから「ならお昼、一緒に食べましょ」と言って笑顔で返事をしてくれた。

 とても気づかいのできる人、彼の印象は最初の暗そうなものから大きく変化して、私はそんな彼に憧れを抱くようになっていた。


 しかし、私は大きな失敗をしてしまう。

 今回の仕事において蓮華さんに念を押されていたのに、私は忘れてしまっていたのだ。いや、正確に言えば、あえて忘れたふりをして、気づかないふりをしてしまっていたのだ。


 事件が起きたのは晃さんと大学に通い始めて3日後だった。

 晃さんの契約期限は7日間だから、あと残すところ4日間という、ちょうど折り返し地点。2日目にして完全に周囲に馴染んだ彼は、残りが少ないことを悲んでいた。

 どこからどう見ても晃さんは本当にただの大学生で、無者屋になんて無縁の存在に思える。けれど、そんな彼を観察していて気付いたことがあった。

 晃さんはコミュニケーション力が高いから友人がすぐできていたけれど、3日目の彼はずっと一人の生徒と一緒に行動をしている。

 それはもちろん私ではなく、20歳の男子生徒で、名前は横瀬隼よこせ しゅんという。

 私たちと同じく犯罪心理学を学んでいて、将来は刑事になりたいらしい。

 成績も優秀で、彼の書くレポートは常にA判定で返却されていた。

 教授も、周囲の生徒も彼が刑事になるのは間違いないだろうと感じていたし、彼もその期待に応えるように成績は右肩上がりで上昇している。

 そんな彼と晃さんが一緒に行動している理由は分からないけれど、晃さんによれば、彼は自分にとって大事な人間になる、とのことらしい。

 何をどうしたらそんな短期間で横瀬さんを必要な人間と判断できるのかは分からないけど、晃さんには何か考えがあるようだ。


 晃さんが横瀬さんと行動を共にするので、自然と私も行動を共にすることが増える。今日一日だけでも横瀬さんの人柄の良さ、頭の良さは嫌なほどに理解できた。何をしてもトップに立てる彼が羨ましく思えた。

 晃さんも結構何事もこなせるタイプだけれど、横瀬さんの場合は、何か行動をすれば必ずトップに立つ結果を残せるということだ。更には男女関係なく誰にでも優しく、親切な対応。まさに王子様と呼ぶにふさわしい。


 しかし、私は彼の闇を知ってしまった。


 講義の途中、晃さんが突然の着信で席を立ち、私と一つ席を空けて横瀬さんが座っている。ふと横瀬さんを観察してみると、一生懸命にノートに何かを書いており、顔は鬼の様な形相をしていた。

 怖くなった私はさっと視線を外したけれど、彼の先ほどの表情が消えなかった。

 ありえない・・・

 王子様のような笑顔で、性格から何から全てにおいて完璧な人だと思っていたのに、あんな顔をするなんて。

 それに、ちらっと視界に入ってしまったそのノートには【殺害】【完全犯罪】という文字が見えたけど、私たちが学んでいるのは犯罪心理学なのだからそこまで気にする必要はないと言い聞かせた。

 晃さんが戻って来たときにはいつもの王子様だったし、きっと私の見間違いか、横瀬さんも人間だもの疲れもあるよね、と自己完結をして納得する。

 それでもやはり消えなかった。

 彼はなぜあんな表情をするのだろう。

 私には考えても分からない。


 講義途中でぼーっとしていると、突然外から悲鳴が聞こえる。

 教授も含めて最初は皆、何かのおふざけか、映研の撮影だと思っていたけれど、その悲鳴は泣き声に代わり、この教室にも聞こえるほどの大きな声で「助けて」と聞こえた。

 その悲鳴が本物であると直感で分かったものの、何が起きたのか分からないから動けないでいた私をよそに、私の中の2人の王子は猛スピードで教室を飛び出す。

 勇気を振り絞って私も後に続く。

 教室を出てすぐに視界に入ったのは、廊下に横たわる女性と、その横で泣き崩れる女性だった。

 2人が側に行き、声をかけると、彼女は「マイが・・・マイが・・・」としか言わない。

 そのマイというのがきっとこの横たわる女性だろう。

 私はおそるおそる首筋に触れてみる。

 「・・・脈が、、、、」

 なかった。

 つまり、彼女は死んでいた。

 なぜ?どうして?

 皆目見当はつかない。

 すると冷静な声で晃さんが

 「紗重さん、大丈夫ですよ。」

 と言ってくれた。

 なんでこんな状況で冷静でいられるのかが私には分からないけど、彼のその言葉はとても信頼に値するものだった。

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