第5話

 面接当日、なぜか緊張はしなった。それよりも、無者屋がどんな会社なのか、どんな人が働いているのか、そればかりが気になっていた。私はリクルートスーツに袖を通しながら、何かの官能小説などに出てきそうな、面接官にいやらしい要求をされてしまうのではないか、本当はアダルトな内容を扱う会社なのではないか、と妄想を膨らませ、当初第一ボタンを開けていこうかと思っていたのを、全部きっちりと締めていくことにした。

 面接場所は無者屋ということで、メールに書かれた住所と地図を頼りに向かう。噂通り、無者屋は新宿のとある雑居ビルにあった。1Fの入り口にあるテナント看板にも【5F無者屋】と書かれており、どこからどう見ても都市伝説と呼ぶにはふさわしくないし、人目につかないように隠しているという様にも見えない。ではなぜ、都市伝説といわれるのだろうか。謎を抱えながら、5Fへ行く為にエレベーターに乗り込んだ。

 薄暗いビルの中は冬のせいなのか、とても寒く、気味が悪い。外の方が暖かいのではと思ってしまうほど、冷たい空気が通っている。少し薄暗い廊下をゆっくりと進む。途中には占い屋や手相屋があったけれど、誰一人としてすれ違うことはなかった。そうして無者屋の前に着いた時、私は騙されたと思った。どう見ても営業しているような感じはないし、正直に言ってしまえば、どこから見ても反社会的な人たちが居る事務所にしか見えない。

 帰ろうかどうしようかと悩んでいると、突然ドアが開き、中から可愛い顔を出したのは、18歳か20歳くらいのボブヘアが特徴的な女の子。

 「あ、もしかして、今日面接に来る予定の紗重ちゃん?」

 紗重ちゃん!?初対面にも関わらず、随分なれなれしく名前を呼ばれる。

 「はい・・・紅野紗重です。」

 「だよね!入って、入って!!」

 彼女は、周りの放つ雰囲気に似合わない様な明るい笑顔と対応で、私を招き入れた。

 中に入って分かったことは、中には事務員さんが使うようなデスクが3つしかなく、来客用の机やソファなども用意はされてない。本当にこれが都市伝説と言われる無者屋なのだろうか。入り口で呆然と立ちすくむ私とは裏腹に、彼女はせっせと椅子を動かし、対面で向き合って座れる環境を整えていた。

 「あの、ここは無者屋ですよね・・・?」

 「そうだよー!」

 「あの、面接官の方はどちらに?」

 「面接官?私だよ!」

 彼女は当たり前という顔をして、続けてこう言った。

 「あ、私の名前は蓮華。蓮って字に華って書いて“れいか”ね。ちなみにここ、無者屋は私の会社、つまり、私が社長。」

 私の頭はついていけなかった。こんな若そうなボブヘアの似合う、可愛いお姉さんが、得体もしれない会社の社長であったことにも、会社の中は殺風景過ぎるのも、私の想像を遥かに超えていて、私はただ茫然としているしかなかった。

 そんな私の反応を知ってか知らずか、蓮華さんは椅子に座るよう促し、「面接を始めようか」と言うと、首の後ろをふっと触る。彼女が自分の首の後ろを触り、何かを外すと、あの短かったボブヘアが嘘のようにスーパーロングのストレートヘアになった。きっと、何かで留めていたのであろう。そして、その瞬間に彼女が纏う空気とでも言うのだろうか、先ほどまでの明るく優しそうな雰囲気とは打って変わり、冷たく、謎に満ち溢れている雰囲気で、目つきも全てを見透かしているような、氷の視線を放つものに変わった。

 一瞬の沈黙の後、蓮華さんは口を開き、

 「あなたは、どんな夢を諦めたの?」

 と問いかけてくる。

 「え、あの。」

 彼女の変わり様についていけず、頭の中が真っ白になった私は、あれだけ考えた作戦も全て忘れ、「しょ、小説家です。」と答えることが精一杯だった。

 「そう、小説家ね。あなた、ここで働く?」

 突飛な質問ばかりだ。そもそもこの無者屋の中身も教えてもらっていないのに、働くかと聞かれたって、「ではお願いします。」なんて言える訳がない。そんな考えを巡らせながら、私はなんて答えようか迷っていた。すると、見るに見かねたのか、しびれを切らした蓮華さんは立ち上がり、私の前に立ち、「採用よ。」と言い放った。

 「え、あの、その、」

 状況を呑み込んでいない私に、蓮華さんは氷のような視線を向けてこう続けた。

 「明日からここに来て頂戴。時間は朝8時。お昼ご飯は持ってこなくて構わないわ。それと、採用通知は一切行わないわ。だから、あなたは卒業までのあと数か月、就活生のふりをするか、就職を諦めたふりをしなさい。あと、ここで働くことは誰にも内緒。明日から宜しくね。」

 様々な条件を一方的に突き付けられ、明日からここの社員として働く。一日で自分の状況が随分と変わり、私は白昼夢でも見たのではないかと不安になりながら、帰宅の途についた。


 その日の夜は、随分悩んだ。

 本当にあの怪しい会社で働いていい物なのか、学校だってまだ卒業できると決まったわけではないのに、働きだしていいものなのか。やはり、他のもっとまともな企業を探した方がいいのではないだろうか。そう思いながらも、心の中は期待で満ち溢れていた。この無者屋で働いたら、私も夢が叶うかもしれない。魔法か、それとも蓮華さんが実は有名な人で、出版社に紹介してくれて、私を小説家にならせてくれるのではないか。そんなことばかりが浮かんでは消えていた。

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