第3話

 私が物書きを辞めてから10年が経っていた。

 気づけば、私は就活真最中の大学4年生。同級生たちが次々と内定を貰う中、私はただひたすら出版社の一択という、狭い分野での就職を目指して奮闘していた。しかし、実際はどこにも内定は貰えていない。

 理由は明白だった。

 志望理由が、"小説家になれなかったからせめて本の傍にいたい”ただそれだけ。

 そんなありきたりな理由で、しかも好きな作家を聞かれれば、芥川龍之介と太宰治の名前を挙げる。どれもがテンプレートにあるようなものばかりで、面接官の印象に残るどころか、面接途中で「やる気があるようには到底見えない。」と呆れ顔をされたり、また、別の面接官には説教をされたりする始末だ。私としては大いに真面目に考えての回答であり、本当に芥川龍之介や太宰治を尊敬していた。けれど、どこかの時代の大学生が、芥川龍之介や太宰治の名前を当たり前に面接で出すようになってからは、志望理由が思いつかない人の定型文のような扱いに代わっていったのだ。

  -最悪。

 まさにその一言に尽きる。どこかの時代かの就活生のせいで、私の本当の気持ちは定型文呼ばわりされ、誰も本心だとは思ってくれなかった。幼い頃、友人に見せた小説で味わった挫折と同じ感覚が私の中を支配し始める。諦めよう。諦めて其処ら辺の近所のスーパーでレジのおばちゃんに混じって過ごそう。そう思い始めていた。

 そんなことを考えながら、私が一人、図書室で物思いにふけっていると、同じゼミの友人がやってきた。

 「ねえ、紗重。何を考えているの?」

 彼女は佑依と言って、私のことを唯一名前で呼ぶ珍しい女の子。たまたま同じゼミに入り、仲良くなった。

 「いや、別に何でもないよ。ただ、就活辞めちゃおっかなって考えてるだけ。」

 「そっか。」

 彼女は何を言っても驚かないし、否定もしない。ただ聞いてくれるだけで、肯定もしない。だから私は一緒に居ても苦痛にならないのだと思う。

 一瞬の沈黙が流れた後、佑依は思い出したように私に問いかけてきた。

 「そうだ。紗重は無者屋って聞いたことある?」

 「名前だけなら。」

 「そこがね、募集出してるんだって。でもみんな、内容が分からないし、怖いから応募をした人はいないみたい。定員も1名のみだから尚更。しかも条件には、夢をあきらめた人としか書かれていないんだって。」

 佑依は、オカルト好きでもありちょっと変わった所がある。そんな彼女が、少し興奮気味で話していた。更に佑依によれば、その求人情報は求人雑誌やサイトには載っておらず、毎年都内のどこかの1ヶ所の大学の掲示板にだけ張り出され、いつ誰が貼ったのかも分からないらしい。

 また、毎年募集はしているはずなのに、そこで働いていたという話は出てこないのだという。なんとも不可思議な話である。

 だからこそ、都内の大学生の間でも都市伝説扱いされているのだ。

 「募集1人とか、夢を諦めた人とか良く分からないけど、大学生で夢を諦めた人なんていないような気がするけどね。」

 佑依はそう言っていた。彼女は夢を諦めたことがない人なのだろう。

 でも、私は違う。夢を諦めた人。まさに自分のことだと思った。

 けれど、佑依の言う通り、良く分からない求人過ぎる。それに、私は自分が都市伝説の求人募集に縋るほど、就職難に陥っているとは思ってもいない。

 しかし、本音は気になる。

 本の中で起きるようなことが実際に起きるのだとしたら、私のつまらない人生も少しは変わるかもしれない。好奇心と期待から、佑依が去った後、早速図書室の求人情報掲示板を覗きに行った。

 だが、いくら探しても、無者屋なんて名前の求人広告は見当たらない。

「やっぱりそんなものあるわけないよ。私、疲れすぎ。」

 都市伝説を一瞬でも信じた私がバカだった。

 私は広げたままのエントリーシートや履歴書の下書きを片付ける為に、机に戻ろうとした。ふと、ひとつの求人広告と目が合った。

「ほんとにあるんだ…」

 驚いた。

 その広告には、《無者屋  夢を諦めた人を募集します。》

 大げさかもしれないけれど、運命だと思った。

 本当は、内定が貰えていないから、焦っていたのかもしれない。

 けれど、私はこの求人に応募しなければいけないような使命感を感じた。

 掲示板に貼ってある紙を手に取り、詳細が書かれているであろう裏側を見るためにゆっくりと裏返す。

 そこには無者屋の所在地と、エントリーシートの提出締め切りのみが書かれていた。これならばと思い、私はすぐさま書類を作成するために机に戻る。

 詳しく読んでみると、エントリーシートと履歴書の提出はPDFにして、メールで送信すればよく、正直言って今までのどの会社よりも楽だった。

 全て終わった頃には夜の7時を過ぎていたけれど、どこか大きな達成感を感じた私は、久々に顔を上げ、肩の荷が降りた気分のまま帰宅することができた。


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