第40話 ただそれだけがあればよかったのに




 雪草エリカの人生は、桜庭春哉が関係した瞬間だけが輝いていた。


 他の時間は全て暗闇だ。

 他にはなにもない。

 

 雪草エリカには、桜庭春哉だけがあれば、それでよかったのだ。

 

 確かに、二周目において、春哉と出会ったのはひまわりの方が先だ。


 しかし、一周目では自分の方が先に出会っていたのに――とエリカはまたひまわりに暗い気持ちを募らせる。


 出会いは図書室。いつも本を読んでいる春哉のことが気になっていた。相手も少しは自分ことを意識の片隅においていてくれたと思う。


 ――厳密に言えば、これは■■だけれど……、まあそれはいいだろう。


 隣の席に並んで座っているわけではない。けれど、ただ同じ部屋で本を読むという行為をしているだけで、仲間意識のようなものが芽生えている気がしていた。

 勇気を出して話しかけたりもした。

 例えば、「……そ、その本、面白いですよね……」というような、そんな何気ないものだったけれど、それでも自分の中でそれは事件だった。

 

他人に、それも男子生徒に話しかけるなんてまるで創作物のキャラクターがやるような大それたことだったのだ。少なくとも、雪草エリカにとってそれは天変地異に等しい出来事だった。


 異常事態は、さらに続いた。

 春哉が、文芸部に入ってくれたのだ。

 それが一体、どれ程嬉しかったか。語り始めれば、一冊の本程度の文量では済まない。


 エリカと春哉――二人だけの文芸部。

 エリカにとっては、それだけが幸せで、大切で、宝物だった。

 昔から人付き合いが苦手なエリカにとっては、物語以外なにもなかった。

 それでよかったのだ。

 他にはなにもいらなかった。


 ……けれど、同じように物語を愛していた春哉に出会って、変わってしまった。


 初めて同じ熱量で、物語の話をできる人間に出会えた。

 初めて誰かと話すことが楽しいと思った。

 初めて誰かのことを、本気で好きになれた。

 初めて。

 初めて。

 初めて。初めて。初めて。初めて。初めて。初めて。初めて。


 春哉から、たくさんの『初めて』をもらった。


 エリカにとっては、桜庭春哉は全てだった。

 けれど、全てを――海沼ひまわりに奪われたのだ。

 一周目において、三年生になった時――、春哉はひまわりと出会い、春哉はひまわりのために物語を書くようになった。

 エリカはすぐに気づいた――春哉の心はもう、ひまわりに奪われてしまっている。

 自分が臆病だったから。ずっと前から、春哉のことが好きだというのに、勇気がでなくてなにもしていなかったから。

 もしももっと早く、春哉に思いを伝えていたら、なにか変わるだろうか。

 後悔し続けた。

 手遅れなのはわかっていた。

 文化祭での劇のために、春哉が脚本を書いていたこと。エリカだって、それを間近で手伝っていたのだから、全部わかっている。劇は成功した。それでもまだ、二人は互いの気持ちを伝えられていない。

 傍から見ている分、冷静に二人のことを分析できた。お互いに臆病すぎて、前に進めない。

 なら、まだ自分にもチャンスはあるだろうか。

 そう思っている矢先――エリカは聞いてしまったのだ。

 『約束』を交わす、二人の会話を。

 嫉妬した。

 自分だって、春哉との約束が欲しかった。自分と春哉を繋ぎ止める何かが欲しかった。

 もう、手遅れなのだろうか。 

 それでも、なんとかして春哉を振り向かせるにはどうすればいいのだろうか。 

 ――――春哉を、小説で、徹底的に叩きのめすしかないと、そう思った。

 春哉を倒せば、春哉は悔しがる。

 春哉は、自分に負け続けることを許容しないはず。

 春哉のような作風で、春哉の書きたいことを、春哉の先回りをして、春哉より上手く書く。

 春哉とひまわりが、高校を卒業して以降はずっと『約束』を頼りに生きてきたように。

 エリカは憎悪や嫉妬、そして春哉への愛だけを頼りに生きてきた。

 これが一周目における、パクリ騒動の真相。

 春哉が真似をしたのではなく、『春哉ならこうする』という驚異的な精度を予測によって書かれたことによって起きてしまった現象。

 ひたすらに春哉のことを思い続けたが故の、エリカの執念が成し遂げた境地。

 ――だが、エリカは間違えてしまった。

 エリカは、天才だった。

 彼女の才能は、彼女自身にすら制御できていなかった。

 圧倒的な力で、ひまわりも、春哉も、まとめて蹂躙してしまった。

 だから、二人とも自殺してしまった。

 死んでほしくなんて、なかった。

 ただ、春哉に振り向いて欲しいだけだったのに。

 それがエリカの本心。心の底からの想い。

 だから、モモに渡していた小説の中での心情は、大いに脚色と誇張が含まれている。

 殺すことに愉悦など、微塵もなかった。

 それでも、同時に、心のどこか、こう思っている自分がいることは否定できない。


 ――――死ぬのは、ひまわりだけでよかったのに……。


 自分が怖かった。

 自分が壊れていくのがわかった。

 だとしても、もう止まれない。

 春哉とひまわり、二人が死を選んで、エリカもまた絶望の底にいた。

 そこから《ゲーム》に参加して、ある《スキル》を手に入れ、エリカは歓喜した。

 間違いなく、最強の《スキル》だ。

 自分の想いを通じたのだ。

 まるで自分の想いの結晶のような、願いを叶えるための力。

 これがあれば、絶対に勝てる。

 必ず春哉を手に入れることができる。


 だから――エリカは何度もやり直した。


 その《スキル》は、そういう力だった。


 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も…………。

 ただでさえ、やり直し生活では一周目の人生で一度したことをしなければならない。

 それだけでも多大な苦痛があるというのに、エリカはその上でさらに何度も何度もやり直しをした。

 親切な機能がついたノベルゲームのように、選択肢までジャンプしたり、既読部分には色がついていて一度経験したことがわかったり、もう読んだところをスキップするなんて機能はない。同じようなことを、同じように、そのまま経験しなければいけない。

 まともな人間なら絶対に狂ってしまうような繰り返しの生活も、エリカは容易く耐え抜いた。

 もはや彼女の精神は、完全に常軌を逸していた。

 全ては、彼のために。

 雪草エリカは、桜庭春哉を手に入れるまで、絶対に止まらない。

 

 □ 


「……さっき海沼さんは『自分だって、やり直してるくせに』って言いました。はい、そうですね。でもお互い様です。だから、この条件の中で、頑張って海沼さんを倒そうと思います……なので、本当に、ごめんなさい……」


 ――そう言って雪草は、《プレート》を取り出した。


「……雪草……? ……雪草、頼む……やめてくれ。俺はお前を、《告発》したくない」


「……み、見てください……桜庭くん、今、《告発》の画面を出して、海沼さんを選択しようとしていますよ? ほら、もうすぐです、いいんですか、止めなくて……?」


 静かな声で、暗い笑みで。

 僅かではあるが、あまりにもこれまでと明確な違いを見せつけてくる。

 これが、雪草の抱えていた想いなのか。

「やめろ! やめてくれ……、雪草! もう争う必要なんてないんだ! ゲームなんかみんなでやめちまえばいいんだ!」

「無理、ですよ……。だって私は、未来で海沼さんを殺したんですから……」

「それは……、だって……、ただの、偶然……だよな? 不幸なすれ違いで、そうなったってだけで、別にそうしようとして、したわけじゃ……」

 ひまわりは『雪草には殺意があった』と推理していたし、俺もそれが通るとは思った。

 でも、通るというだけだ。それが真実かはわからない。

 俺は、雪草を信じたかった。

 こんなのは偶然で、なにもかもはただの悲劇で……。


「……いえ、偶然でも、私には殺意がありました」


「………………、……え……?」


 なにを、言っているんだ。

 なんだよ、殺意って。


「……桜庭くんを大好きって気持ちを、海沼さんへの殺意で、私は面白い作品を書けるようになったんです。だから、私は、海沼さんを殺すために強くなって、その結果……ちゃんと、殺せたんです。でも、海沼さんはやり直しをしていて、ちゃんと殺せていなかった……なので……もう一度、今度こそ……ちゃんと、海沼さんを消します」


「やめ、ろ……やめろよ、雪草……」


「……やです、いやです、絶対にやめないです」


「やめろって言って……ッ! ……クソ、ちくしょうッッ、なんで、なんでだよ……ッ!」




 そして俺は――――。


 雪草エリカを、《告発》した。





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