第37話 絶望の底から



 結局、そこから数日……、俺はどれだけ答えを求めて足掻いても、前に進むことはできなかった。ただ不安や疲労を溜め込んで、精神を削るだけの日々が続く。


 そんなある時――。



 ガシャンッッ――――……と椅子が蹴飛ばされる音が盛大に舞台に響いた。


「…………もう、やめるか?」


 冷えた声がその場にいる者達で突き刺さった。

 

 ――千寿マリの怒りが、とうとう爆発した。

 稽古中のことだ。

 演劇部は、もうボロボロだった。

 メインであるひまわりの不調は一向に良くならなかった。

「もうのんびりやってる時間ないぞ……、何か変えないと、もうどうにもならない。やめるってのも手だと思うよ」

「……でも、それは……っ、私はどうしてもこの舞台をやりたくて……!」

「ひま……あんたが言うのか、それを」

 マリの視線がひまわりに突き刺さる。尤もな言葉だった。この舞台を壊しているのは、ひまわりなのだから。

「この舞台自体をやめる。ひまわりを主役から降ろす。手っ取り早いのはこのへんだな」

「でも、私は……っ」

「なら、なんとかしろ。自分のことだろう? ひま、あんたが変わらないなら、あたしはこの舞台をやる意味なんてないと思う。あんたが始めた舞台なんだ」

 脅かして悪いな……と、つぶやきながら、千寿は蹴飛ばした椅子を直すと、舞台から降りていく。

 その際に、ひまわりとすれ違う時には、

「……今あんたの演技を妨げてるものが何かは知らないけど……、相談なら乗るよ」

 と優しげな口調で声をかけていた。

 辛いのは、それに対するひまわりの表情だ。そんな優しい言葉をかけられても、ひまわりの顔は曇ったままだ。むしろ苦痛に歪んでるようにも見える。

 相談なんて、できるわけがないから。

 やり直しのことも、ゲームのことも、同じ《リーパー》以外に言えるはずがないのだ。

 どん底だった。

 …………知っている。この感覚を。


 自殺する前に感じていた――――何をやっても上手くいかない、絶望的な閉塞感だ。


 ◇

 

 その日の演劇部の稽古はそのまま終わってしまった。

 帰り際、俺はひまわりに声をかけて、一緒に帰ることを提案した。

 あんなことの後だ、しっかりフォローはしておきたい。

 そうは言っても、今の俺に何ができるかなんて、たかが知れている。

 俺だって、モモの件で今も不安に苛まれたままで、精神はボロボロで、まともに何か言える気なんてしないけど……、それでも、ひまわりを放っておくことなんてできないから。

 並んでベンチに座るのも、だいぶお馴染みになってきた。いつもは近くに座るだけで、それだけで幸福感が満ち溢れてたんだけど、今日は少し違う。

 俺とひまわり――二人の間には、重い空気が纏わりついていた。

 あんなことがあった後なのだから、当然だろう。

 なんとかして、この空気を変えなければ。

 どれだけ言葉を探したところで、魔法のように空気を一変させてくれる、なんてものは見つからなかったけど……。


「…………全部……、間違ってたの、かな……」


 ぽつり、と。

 ひまわりは唐突に、なんでもないように、そんな言葉を口にした。

 すぐに意味を捉えきれず、声を出せないでいると、そのまま彼女は語り始める。

「やり直しなんて、ずるいことだったのかな……、だから全部、消えちゃうのかな……。いやだなあ……、どんなにずるいとしても、それでも……私は今の人生が……ハルヤと一緒になれる方がいいよ……。でも……その願いは、間違っているのかな……」

「そんなこと、あるわけ……っ!」

 あるわけない――と、すぐにそう否定したい。

 そんなの間違っていると叫びたい。

 でも、本当にそうだろうか……?

 ひまわりの言う通り、俺達はズルをしていて、今のこの苦しみは、ズルをして楽しんだ分の罰だとでもいうのだろうか?

 わからない。そんなことは。その問題は、あまりにも難しかった。

 時間を操るということは、この時代でも、二○二○年でも、人類には届かない領域だ。

 だが、フォールのいる未来では可能なことになっているのだろう。

 しかし、俺達がそれを使うことは、おかしいことなのかもしれない。

 世に数多ある『時間モノ』の作品で、主人公が無条件に時間を操れる恩恵を得るものなんて、あまりない……とは思う。

 時間移動技術は、大抵は人の身に余る力とされていて、私欲で乱用すれば痛い目を見て、最後には『今を後悔なく生きることが大切だ』というテーマは着地する。

 だったら、俺達の物語はなんだというのだろう。

 このままゲームに負けたとして、そこになんの意味があるのだろう。

 所詮はゲームで負けるためだけのキャラクターで、なんの意味もテーマもなく、ただ後悔を抱えて消えていくという役だとでもいうのだろうか。

 そんなのは嫌だ……、許せない……。

 だが、それを覆す方法は見つからない。

「間違ってる、か…………」

 確かに、間違っているのかもしれない。

 でも、それでも。

「……だとしても、知ったこっちゃねえよ、そんなこと……」

「……え?」

 そうだ、そうだよ……。

「ひまわり。俺達は確かに物語を愛してる。物語を作ったり、物語を演じるために舞台に立つ。でも、俺達の人生は、誰かのためだけの物語か? 違う、違うんだよ……、だったらどうして正しくないといけないんだ?」

「正しくなくても……、ズルくても、いいの……?」

「いいに決まってるんだ。この時代でも、元の時代でも、時間移動技術に関する法律なんか決まっちゃいないんだ。誰に文句言われるわけでもない。存在しないヤツに気を使うなんて、冗談じゃない」

 止まらない、止まらない、言葉が溢れていく。

 不安に押しつぶされそうなことへの八つ当たりのように、勝手に落ち込んでいた自分に腹が立ってくる。

「だいたい、どうせ俺達がなにしたって、今残ってる他の《リーパー》のやつがいい想いするんだろう? 条件は平等だ、ズルいはずがない……対等な、正々堂々とした勝負なんだよ。それがズルいはずがない」

 そんな簡単なこともわからなくなってた。

「俺の人生は、お行儀の良い物語じゃない……だから、得体のしれない正しさなんて気にしてやらない。ひまわりも、自分を責めることなんてないよ」

「そっか……、そう、だよね……。でも……、私達を狙ってる《リーパー》のことは……」

「……そのことについてなんだけど」

 俺は言葉に迷いながら、今している推理を語る。

 モモの真実。

 まだ確定ではないが――それでも、あの小説が存在する事実はもうあるのだ。

 そこから導かれる推理は、あまりにも恐ろしい。

 俺としても、こんなことは可能性ですら語りたくない。

 全てを聞き終えたひまわりは、しばらく考え込んでしまう。

 長い沈黙の果てに、彼女は――。


「…………でも、それだと私の推理とは少し違うかな」


「推理……? ひまわりも何か思いついているのか?」

「うん。私なりに、最後の《リーパー》について考えてて、一つ思いついたことがあったんだけど、それは――……」

 俺はその考えを聞いて、電流が走るような衝撃を受けた。

 繋がっていく、バラバラだったピースが。

 そうか、そういうことなら、全ての辻褄が合うのかもしれない……。


「――……最終幕、ラストバトルだ。俺達と『最後の《リーパー》』、どっちが勝つか、正々堂々、勝負といこう」


 俺は青春モノとかラブコメも書くけど、絶望的な逆境に打ち勝つ……みたいな熱い展開も大好きなんだ。

 相手を騙して、自分の正体を隠して戦う疑心暗鬼のゲーム。

 でも、お互いに策を尽くして戦うのだから、そこに卑怯もクソもない。

 こんなのは、互いの拳だけで殴り合う正々堂々とした勝負と、何一つ変わらない。

 

 ――――さあ、この長かった戦いに決着をつけようか。


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