第36話 魂の殺人
めちゃくちゃに絡まって、どこから解いたらいいのかわからない糸……そんなイメージが頭の中に浮かぶ。
『最後の《リーパー》』、その正体を当てなければ俺の――いいや……俺達のやり直し生活は終わってしまう。
今の状況を打開するには、少しずつ手が届くところから対処していくしかない。
手が届くところ。それはどこか?
そういうわけで、俺は再びモモの部屋にやってきていた。
何度目かになるというのに、手が震える。
最初は、そんな可能性疑っていなかった。モモが俺に隠し事ができるなんて――あまつさえ、俺を騙しきって、俺と敵対するなんて……、そんな可能性あり得ないと思っていた。
ただ、どうせないであろう0.01%を、一応、念の為に潰しておく。そうやって安心を得て、思考のノイズを減らすための作業、その程度にしか考えていなかった。
今はもう違う。
モモが、最後の《リーパー》かもしれない。
俺は今、俺の願いを潰そうとしているかもしれない相手の秘密を暴こうとしている。
そう考えると、鍵を持つ手が震えた。
かちり、と音がして、鍵のかかっていた引き出しが開く。
そこにはやはり、一冊のノートが。今回はメッセージが印刷された紙はないようだ。
ノートをチェックしていく。
――…………っ! ……増えている! あの小説の、続きが書かれているようだ。ひとまず撮影。ノートを戻して、自室へ。
ケータイで小説の内容をチェックしよう。
以前の分は読んだのだが……、引き込まれるものの、まだ冒頭という感じで、どういう内容なのか明らかになっていない段階という感じだった。
主人公は作家志望の女の子。登場人物は、主人公の女の子と――その、兄。
兄が出てきた時は、俺がモデルなのだろうかと、少しビクビクさせられた。
――――『私には、絶対に誰にも言えない秘密がある』。
その意味深な冒頭からさらに、何度か秘密があるということを繰り返し、さらに主人公この先恐ろしいことを引き起こしてしまう、と不安を煽るような描写が繰り返される。
が、肝心なところは明かされず、焦らされる感覚が続くのだが……。
そして、その続きはどうなるのか――……読み進めて……。
俺は、
――……驚愕した。
□
まず主人公の秘密、それは――実の兄に許されない恋をしているということ。
リアルでシリアスなタッチで描かれる禁断の恋。あのモモがそんなものを書いているのも驚きだったのだが……、どうにも主役の兄妹の特徴が、どことなく俺達兄妹に似ている、というのも気になった。
いやでも考えてしまう。
モモは、どこまで現実を参考にしてこれを書いている?
俺だって、同じような書き方をするからわかる。経験したことを書いたほうが、絶対にリアルさが出る。
俺も創作する上で大切にしていたことだし、ひまわりも繰り返し言っていたことだが――ここにきて、その真理が牙を剥いたような、そんな感覚に襲われる。
いや、それよりも……。
上手い。高校の時の俺よりも……、下手したら、二十六歳の時の俺よりも、上手いかもしれない。
モモがインモラルな内容の小説を書いていること。
そして彼女の筆力が圧倒的であること。
これだけでも信じられないことだが、俺の驚愕と恐怖は、まだここで終わらなかった。
ストーリーは思わぬ展開を迎える。
兄に恋人が出来る。そうなる以前と兄の態度は変わらないが、それでも主人公は、兄の心が離れていってしまうことを感じていた。
兄もまた作家志望であり、恋人である女性に捧げるような小説を書いていた。
主人公はそれに絶望し――――……、
――憎悪し、赫怒し、嫉妬し、恨んで、恨んで、恨んで、恨んで、恨んで、恨んで恨んで恨んで恨んで恨んで憎んで恨んで憎んで恨憎恨憎恨憎、憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪……、許さないどうして私の方が先に好きだったのにずっと一緒にいたのに血も繋がってないくせに盗んだ盗んだ盗んだ許さない許さないどうして――――………………。
少女は狂っていって、やがて一つの決断をした。
――かくして、少女は兄を殺すことにした。
なによりも、その殺害方法が恐ろしい。
少女はただ、『圧倒的な小説』を書いた。
それを読んだ兄は、少女の目論見通り、死を選んだ。
…………おかしいと、そう思うだろうか。
俺は何もおかしいことなんてないと思った。
なぜならそれは、俺の実体験だったから。
自分の完全な上位互換。
なに一つ勝てるところはなく、この先も勝てるはずはないという圧倒的な力の差。そんなものを見せられたら、筆を折るしかないだろう。
そして、筆こそが命、筆こそが魂と、そういう人物がいたのなら。
筆を折ることは、自分の人生を終えることだ。
言うならば、魂の殺人。
その人物の誇りを叩き潰すことは、法で裁くことのできない完全犯罪だった。
少女は兄の死を嘆き悲しんだ。
だが、同時に――兄の死に、満足していた。
兄が死んでしまった。兄は最期に少女へ恨み言を吐き連ねた。
――少女は、それがたまらなく嬉しかった。
兄が自分だけを見ている。兄の心は、もう恋人のモノなどではなく、完全に自分のモノになっていて、そのまま死を以て、兄の人生は完成した、完結した。
兄の全てを、心、命を、全てを、奪い取って手中に納めた。
充実、恍惚、快楽、快感、愉悦、高揚、絶頂、幸福…………少女は満たされたまま、最後には兄と同じように、飛び降り自殺をした。
きっと今死ねば、綺麗な花が咲くと思うんです――それが、主人公の最後の言葉だった。
ぐちゃりと潰れて、彼女の言葉通りに、彼女の死体は、真紅の花となった。
なにげない少女の日常から始まり、兄との禁断の恋を描く恋愛モノにシフトしたかと思えば、クリエイターモノであり、サイコサスペンスであり、切ない恋心が描かれたかと思えば、信じられない目を覆いたくなる狂気が描かれ、衝撃の結末。
内容自体も、その筆力も恐ろしい。
そして、俺にだけ感じ取れる、もう一つの恐ろしさ。
…………気づいてしまった。
一周目において、俺を絶望させた作家の正体。
勝てないと思った相手は……。
その正体は――――モモなのだと…………。
今になってやっと気づいた。
この筆力。書き方のクセも、どことなく似ている。
それに恐らく、モモにとっても『実体験』を書いているのだろう。
これは、アイツが俺を殺した時の経験を元に書いている……。
「……うっ、あッ…………」
気づいた瞬間、喉元から酸味が溢れる。吐きそうだった。あまりの、恐怖に。
この『推理』……どこまでが、当たっている……?
どこまでだ……?
――……この小説は、どこまでが『真実』だ?
通ってしまう。成立してしまうのだ、最悪の推理が。
モモが最後の《リーパー》ならば、全て納得がいく。
だとすれば、狙いはなんだ?
ひまわりか? それとも……もう一度、俺を殺そうとするのか?
ゲームの勝敗に執着はあるのだろうか。
『やり直し』を望んでいるのだろうか?
俺はこのゲームに参加する動機を『後悔』だけだと思っていたが……、そうでない可能性もあるな。
『再演』――ただ、一周目で、一度しか味わえない出来事を、もう一度体験する。
それが、『桜庭春哉を殺すこと』だとすれば……?
……恐らく、説得でどうにかなる相手ではないだろう。
正直気持ちとしては、今すぐにでも、《告発》したい。
いいや、だが……、まだだ……まだ、確定ではない。
現状、ここまでの推理が通るなら、ホワイダニット――動機の面では完璧にモモが最後の《リーパー》だと思えるが、それでもモモが《リーパー》だという直接の物的証拠が出ていない。《告発》するのなら、せめて確定させてからだ。その猶予くらいは残されているはずだ。
――その時だった。
「お兄ちゃーん」
ゾクリ、と……、聞き慣れたはずの妹の声を聞いて、背筋が凍った。
相変わらずノックもせずに、ドアの隙間からひょこっと顔を出してくる。
その可愛らしさを感じてもおかしくはない仕草すら、今は恐怖の対象だった。
「……、おお、どうした?」
叫び出したい気持ちも押し殺して、平静を必死に装って、どうにかそう声を絞り出す。
「……あ、あのね……、この間借りていた小説、読み終わったんだけどさ……」
「……あ、ああ……どうだった?」
そうだった……、モモから情報を引き出す策の一つとして仕込んでおいたものだ。
もう今さら意味があるものとは思えないが。
……皮肉というか、モモへの揺さぶりのための策で、自分の首を締めている。俺は今、この会話で動揺を漏らさないようにするのが精一杯だ。
「す、すごいよかったよ……! それで、他にもおすすめがあったら貸してほしいな~って思うんだけど……」
なにやら照れくさそうにしている様子のモモ。もしもその裏に隠された情報を知らずにそれを見ていたら、不審に思っていただろうが……今はもう、その意味がわかってしまうのが恐ろしい。
それから俺は、ひたすらに動揺を押し殺して会話を続け、焦りで鈍る思考のまま、どうにか本を見繕って、またモモに貸す……というやり取りを、どうにかやり遂げた。
「……っはあ……はぁ……っ!」
なんでもないやり取りなのに、命を握られたような緊張感があった。モモが去った後に、まるでずっと息を止められていたみたいに、荒い呼吸を繰り返す。
俺は過去最高に、このゲームの恐ろしさを味わって…………。
いいや、そもそも根本的に、ゲームは関係ない。なぜならゲームが関係しない一周目の時点で既に、今の状況に繋がる出来事が起きているのだから。
俺はずっと、気づいてやれなかったということなのか……?
だとすれば、これは罰なのか。
ずっと側にいて、なにも彼女の想いに気づけなかった、あまりにも鈍い俺の罪に対する、罰だとでもいうのか……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます