第30話 最悪の駄作

 ――――私には勇気が足りなかった。

 昔から、一歩も進めていないのだ。どれだけ見た目を取り繕っても、立ち振舞を取り繕っても、本質の部分が少しも変わっていない。

 ハルヤはきっと、自分のことを臆病だと思っている。自分はすごいやつじゃないと思っている。自分なんか好かれるはずがないとか、そう思っているはずだ。

 そんなわけ、ないのにね。

 そして、そう思っているのは、私も同じだ――――私は臆病だ、私はすごくなんかない、私なんかが好かれるわけがない。

 ハルヤのことを散々責めたけど、あんなのは全部自分にも刺さる言葉だ。だからこそ、余計に許せなくて、どうしようもなく怒りが溢れてしまうのかも。

 一周目のハルヤと過ごす時間は、本当に幸せだった。

 ハルヤはきっと、思い違いをしていている。私なんかを上に見て、自分とは釣り合わないと思っている。

 本当は、逆なのに。

 私なんか、ハルヤに相応しくない。

 自信がない。怖い。だから、一歩踏み出せない。ハルヤをからかうのは……、楽しいっていう気持ちがあるのも本当だけど、それよりも……ああやってハルヤが私にドキドキしてくれるのを見ないと、不安になるから。

 捨てられる。捨てないで。私を見て。もっと私のことを考えて、私で思考を満たして。そういう欲望と、恐怖で、あんな捻くれた愛情表現しかできなくなっていった。

 普通に好意を示して拒絶されたら立ち直れないから。

 本気じゃないって嘘を自分について。本気じゃないって相手に思わせておけば、必要以上に踏み込んでこないんじゃないかって打算で。

 もう少し……もう少しだけ、この距離感で。まだ、前に進むのが怖いから。お互い傷つかないように。

 そんな関係を、ダラダラと続けていた。

 演技が好きなのも、物語が好きなのも、本当だ。

 本当に、私にはそれくらいしか救いがなかった。

 でも、ハルヤに気に入られるように、もっと必死になった。

 ハルヤはそういう子が好きってわかっていたから。

 ハルヤみたいに、上手に物語を書ければよかったんだけど、どうしても上手くいかなかった。

 才能がない。どう頑張ったって、ハルヤみたいな物語を書くことはできない。

 だったら、持っているもので勝負するしかない。

 

 □


 私達は、お互いに自信がなくて、付かず離れずの距離を保っていた。

 それでも一緒に一つの舞台を作るなんて、それこそドラマみたいに劇的なことが起きれば、否が応でも惹かれ合う。

 そんなことがあっても、舞台が成功しても――それでも、私達の関係に、恋愛だとかそういうのが入り込む余地はなかった。

 ……こいつらどれだけストイックなんだと思わなくもない。でも、ストイックなのは建前で、結局怯えてただけで、本当に情けない。

 胡散臭いゲームに巻き込まれて、過去へとタイムリープしないとどうにもならなかったのだから、とことんどうしようもない。

 いや、ひとまずハルヤのせいにするのはやめよう。私の話。私が悪い。

 私がどれだけ臆病なのかは、これまでのことでよくわかると思う。

 みんなの前で本性一つ見せることができないのだってそうだ。わざわざ一つの『役』を作り込んで、誰からも嫌われないような当たり障りのないキャラクターを演じなければ、誰かと話すこともできない程の臆病者なのだから、我ながらドン引きする。

 ハルヤはこんな女をすごいすごいと崇めていたのだから、勘違いやすれ違いというのは、些細なところから広がって、取り返しがつかなくなるのだなと思う。

 すれ違いとか、そういうスパイスは物語を面白くするけれど、自分の人生に起こってしまうとたまったものじゃない。

 私だって、もっとフツーでいたかったけど……、無理だった。

 …………ここまで、私の本性と、一周目の高校生活のことを語ってきた。

 ここから先が本題。

 高校を卒業してから、何があったのか。

 ――――どうして私は、約束を守れなかったのか。


 □


 卒業してから、ハルヤに会えなくなった。会ってしまえば、ダメになる予感があった。

 ダメになる、というのは二人の関係性がという意味でも、ハルヤに依存してそのまま自分がおかしくなるのではという意味でも。

 それでも、案外会ってみても上手いくかもしれないという可能性に賭けてみるという手もあった。私はそこへ賭けることにすら、怯えた。

 一番安心できるのは、

 一番確実なのは、なにか?

 約束を果たすこと。一緒に素晴らしい作品を。もう一度、あの文化祭で成功させた舞台のように。劇的な成功体験の共有。

 そういう口実があれば、ハルヤに会える。絶対に上手くいく。

 そこまでガチガチに保険をかけないと会えないって、なに? 今でこそ、そこに疑問を覚えるけれど、あの時はもうそのことしか見えていなかった。

 だから、必死にすがった。すがりついた。

 垂らされた糸だ。それを掴むことにしか希望を見いだせない。

 こうして始まったのだと思う。

 私の、地獄は。

 芸能界は、ハッキリ言ってクソだった。

 そこには勿論、実力が大切ではあるけれど、あまりにも運が大きすぎる。

 どこの事務所か、どんなマネージャーか、どういう売り出し方でいくのか。女優、アイドル、グラビア、モデル……適正とやりたいこと、周りがさせたいこと、ファンが望むこと。目まぐるしく変わる流行。

 個人の想いなんか、簡単に磨り潰す怪物。

 私には、あの世界がそういうものに見えた。

 その中で生き抜く者達もまた、怪物だった。

 そこで私は、如何に自分が怪物に程遠いか思い知らされる。

 やりたいことが、上手くやれない。やりたい芝居が、上手くやれない。

 それどころか、芝居をすることすら難しい。

 やりたくもないバラエティやグラビアの仕事。それらが上手くできないと、人気が出ない。人気がなければ、使ってもらえない。実力だけでのし上がるには、力が足りていない。

 怖くて、逃げたくて。

 でも、約束からは逃げられなくて。

 それから逃げたら、もう何もないって知っていたから。

 ハルヤだって、戦っているってわかっていたから。

 ハルヤが作家としてデビューを果たしたのは、私にとって大きな救いになった。

 辛い日々でも、少しずつ夢に近づいている。いつか約束が果たされれば、この辛さも全て良い思い出になる。そういう確信があった。

 でも、そんな私のちっぽけな希望を、この世界という怪物は踏み潰していく。

 ハルヤは上手くいかなかった。面白い、評価はされる、でも売れない。流行に自分を押し込めて、己の魂を削り削り削り、世間が望む型に嵌めていく。

 女優だろうが、作家だろうが、人気商売をするなら、当たり前のことだった。

 それが出来ずにやめる人もいる。

 そんなことが必要のない天才がいる。

 私もハルヤも、きっと天才ではないけれど、簡単に上手くやれる程器用でもなかったのだと思う。それでも約束があるから、磨り潰されて消えるわけにはいかないから、上手くやる努力は惜しまなかった。

 プライドを捨てて、世間へ、大衆へ、流行へ媚びへつらう。不特定多数の奴隷になる。

 そういうことを繰り返して。

 それでもなお、結果は伴わなかった。

 いや……。

 少なくとも、私の方は多少は成功していた。

 世間では人気女優なんて言われて、映画やドラマも決まって、露出も増えて。

 そうしていく内に、私はハルヤの動向をより細かくチェックするようになっていった。

 ある程度評価はされるが、世間的に知名度はまだまだ――それがハルヤの立ち位置だった。

 何か一つ、起爆剤があれば。

 実力はあるのだ。あとは、何か一つ。

 そこで私は、業界の中である噂を聞いた。

 人気の映画監督が、次の作品で使う原作を探している。

 チャンスだと思った。

 ……これは、少しズルいかもしれないけれど、ただきっかけを与えるだけ。もしも本当に実力がないのなら、なんの意味もないことで、実力があれば、正当な評価をもらえる。

 そういう意図で、私はその監督へハルヤの作品を勧めた。

 考えてはくれると、そう言ってくれた。

 そして、次の作品では重要な役をくれるとも。

 ――ついに、約束が果たされるかもしれない。

 そうやって胸を高鳴らせていた。

 こんなに楽しいのはいつ以来だろう。

 ハルヤと一緒に作品を作っていた、高校時代のことを素直に思い出すことができた。

 間違いなく、私の青春はあそこだった。芸能界に入ってから、周りに羨まれるようなことをたくさんしたけれど、そんなことにどうしても価値を見いだせなかった。

 ドラマの主役も、バラエティに出てカワイイとちやほやされることも、SNSに積み重なるいいねの山も、少しも私の心を満たしてはくれなかった。

 私は最初から、壊れていた。

 私は狂っていた。

 どうしようもなく桜庭春哉に恋い焦がれ、それだけで生きていた。

 

 ――――そして、あの日を迎える。

 私が自殺した日、何が起きたか。


 □


 結局、ハルヤの作品が監督に選ばれることはなかった。

 だが、絶望はそこでは終わらない。

 監督が自身のSNSで、次の作品の原作で迷っているといって、ハルヤの作品と、もう一つ別の作者の作品の名前を出した。

 するとそこから、ハルヤの作品は、その別の作品のパクリなのではないか? という論争が始まる。

 こういうのは、事実でなくていいのだ。そして、こういった問題は扱いが非常に難しい。

 刊行時期などからの検証。そもそもどこが似ているのか。仮にパクリだとして、それはどこまで問題なのか? どちらが面白いのか? どちらが人気なのか? どちらが好みか?

 様々な要素が絡み合って、誰しもが好き勝手なことを囀り続ける。

 あっという間に、ハルヤは炎に焚べられて、彼の作品のレビューには、早計な憎悪に満ちた星が並べられる。まともに読んでもいないやつらが☆1を並べていく。

 世の中には、後先考えずに言葉のナイフで人を刺殺して、何も罪悪感を感じない人間が大勢いるのだ。

 言葉は時にナイフより遥かに人を傷つけることを知らない人間は、確かに存在する。

 芸能界にいれば、そんなことはよくわかっていた。

 海沼ひまわりはブス、枕、整形……、そんな言葉、なんの痛みもなかった。

 私の心は壊れているから、称賛に対して麻痺したように、罵倒もまた同じだった。

 でも、ハルヤのことは違った。

 憶測だけで放たれた火は燃え広がり、このままハルヤの作家生命が焼失するのではないかと思われた。

 私が、殺した。

 私が余計なことをしなければ。

 私のせいで、約束が果たされないどころか、私がハルヤの夢を殺した。

 耐えられなかった。

 どう謝っても、絶対に許されない。

 叶うのなら、過去に戻して欲しい。

 あの青春の日々だけが、人生で輝いていて、あとは全て灰色になっていた。

 

 そうして私は死ぬことにした。


 これが、人気女優が自殺をした真相。

 ……いいや、どうしようもなく馬鹿で無力で臆病な、クズみたいな女が、大好きな人間に迷惑をかけた上に逃げて死んだ。

 

 ただそれだけの、胸糞の悪い、物語としてまとめれば☆1が並ぶこと間違いなしの駄作の結末だ。



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