第29話 全てはその謎から


 ――――夢を見た。

 昔のことだ。

 確か、幼稚園くらいの頃。俺は、当時通っていた幼稚園で、ある女の子と少しだけ交流があった。

 結局、俺の方が引っ越してしまったので、中途半端な関係のまま終わったと思う。

 今思えば、なんというか、申し訳ないことをした。

 俺は何かその子の望みを叶える協力をしていたはずなのだが、それをちゃんと見届けないまま離れ離れになってしまったのだ。

 今でも夢に見るくらいだから、ある種のトラウマと言える。

 だからこそ、あの時のような中途半端が嫌だったというのが、物語に向き合う時の姿勢にも影響を与えているのかもしれない。

 中途半端にならないよう、とことん向き合って、結末を見届ける。

 そういう基本姿勢を作った経験(トラウマ)。

 ……そういえば、あの娘は今どうしているかな。

 内気で、臆病で……長い前髪で顔を隠していて……だから、今はどんな顔になっているかだとか、そういうのが想像できない。


 …………そういえば。

 前髪が長いというと、もしかして…………。

 ………………………………………………いやいや、まさかな。


  ◇


 ――――――海沼ひまわりは、《リーパー》だ。


 デートに行った。

 映画館で手を繋いで、水族館でまた手を握って。鐘の下で恋を叫んで、夜空の下で愛を囁いて、口づけを交わした。

 そして、彼女が《リーパー》だとわかってしまった。

 ――が、判明した事実は衝撃的ではあるが、しかしなんら悲観すべきことはないように思える。海沼は、きっと俺を騙したくて《リーパー》であることを隠していたわけではない。

 ただ、ゲームを進める上で、誰にも正体を明かせないというだけのこと。

 そして、もう一つ。

 ――――「大丈夫だよ、桜庭くん…………今度は約束、絶対叶えるから」

 《スキル》で知ってしまった、海沼の心の中。

 彼女は俺と同じことを考えていた。

 俺が約束を果たせなかったと思っているように、彼女もまたそう思っていた。

 それだけで、涙が出る。

 ずっと、失望されたと思っていたから。

 だが、まだ謎は残る。

 ――――……ではなぜ、海沼は自殺を?

 答えは、すぐそこにある。

 あとは全て、本人から直接聞けばいい。


 ◇


「ハルヤが意外と積極的で嬉しいなあ。ハルヤのことだから、付き合ってても気軽に誘ったら迷惑なんじゃとか考えそうで不安だったし。あ、でもあんまりデートばっかりしちゃダメになっちゃうし、そのへんはちょうどよく、ね?」


「もちろん。お互いを高め合うような関係がいいと思う」

「うん、私も」

 七月二十日――昨日の今日で、俺は再び海沼を誘って出かけた。ここは人気のない公園。ここなら周囲に気兼ねせずイチャつける……なんて目的ではない。 

「……海沼」

「ん、なーに?」

 会話の流れを壊すように、唐突に名前を呼ぶ。

 緊張で、言葉が上手く出ない。これから何か恐ろしいことが起きるというわけではないが、それでも《ゲーム》の中においては重大な意味を持つ行為をするというのは、どうしても軽い気持ちで進められない。

 己の命に等しいモノを無防備に晒すのだから、それも仕方のないことだろう。

「……最初に言っておく。俺は、海沼を全面的に信じてる」

 そう言って、彼女の手に透明な板切れを握らせた。


 《プレート》だ。本来ならば、それはあり得ない行為。しかし、海沼のことを信じられるのならば、こんなことはなにも問題ではない。


「……ん? これは?」


「ああ……、それが正解の反応だよ。本当に演技が上手いんだな」


 一切の動揺がない、純粋な疑問の表情。


 もしも海沼が《リーパー》なら、というのは以前から考えていたが、やはり彼女はこのゲームにおいて武器になる資質を持っている。

「俺が他の《リーパー》に動かされているだけのやつかもしれないし、俺自身が《リーパー》で、揺さぶりの策って可能性もあるもんな。ここで信じ切るのはまだ早い。それに気づける賢さも、その上で演技を通せる胆力もある……本当にすごいよ、海沼」

「…………、」

 海沼は、ただじっと俺を見つめている。少し、迷っているのだろう。まだここで演技をやめてしまうには早い。でも、そうしてしまいたい――という、そういう葛藤だと思う。

「大丈夫だよ。もういいんだ。俺は操られているわけじゃないし、騙そうとしているわけでもないってことに確証を持たせる方法は、ちゃんと考えてきてる」

 言いながら、俺は海沼に握らせた《プレート》を操作して、自分の《スキル》を表示させる。

「こっちが俺の《スキル》。で、こっちが……これは後で詳しく説明するけど、もう一つの《スキル》」

 《スキル》の説明――《リーパー》であることを明かすどころか、手の内を完全開示する。

 これで俺が海沼を騙そうとしている、という可能性を消すことができる。

 《プレート》を見せてしまうという戦術は、明日太の《スキル》と抜群に相性が良くて、どれだけ反応を取り繕っても、心を読んでしまえば相手が《リーパー》かわかるはずなのだが……、なぜか海沼には通じない。今は海沼の心を《スキル》で読むことができない。もしかしたら、それが海沼の《スキル》なのかもしれない。

 明日太達とグループで出かけた時も、明日太の《スキル》が通じていなかったと推測できるし。でも、昨日は通じていた。なにか条件や制限があるのかもしれない。

「なんで……っ」

 ここにきて、やっと海沼が動揺をこぼした。

 こうして無防備に自分の正体を明かすのは、自分の命を献上していることと同じだ。命というのは大げさだろうか? いいや、俺に限れば、なにも大げさではない。俺はこのゲームに負ければ、きっと死ぬんだと思う。未来に戻った時の時間軸が自殺後なのか、その手前に戻ってもう一度自分の意志で自殺するのかは定かではないが、そんなのはどちらでも同じだ。

 ……というか、仮に俺のように本当に命を賭けて挑んでいるわけではなくとも、やはり《リーパー》を倒すことは、命を奪うことと大差がないように思える。

 過去に戻ってやり直したい後悔。その願いを奪うことの罪が、どうして命を奪う罪よりも軽いと言える? ともすれば、命を奪うよりも残酷に思える。

 願いは、人生そのものだ。人生全ての結晶が、願いだ。

 相手に奪われる可能性があるのだから、奪うのは当然だ。そういう考えもあるかもしれないし、そういう設計思想のゲームなのかもしれない。

 たった一つだけの勝者の椅子を取り合うゲーム。

 けれど、そうしなくていいなら、そんなことはしたくない。

 誰もが笑って手を取り合う未来が見たいとかって、子供の空想じみたヒーロー願望なんかじゃない――ただ、誰かの願いを奪うと寝覚めが悪そうで怖いってだけだ。

 それに……物語を作るということの根底には、願いがある。

 願いは人生。

 物語もまた、人生であり願いだ。

 俺は願いを作るやつになりたい。奪うやつには、なりたくない。

「……なんでよ……」

 海沼が、またそう口にした。

「こうすれば、信用してもらえるだろ? 大丈夫だ、海沼。もう疑心暗鬼のゲームなんかする必要はないんだ。だから演技をする必要は、もうなくて……」

「そうじゃない……、ばかにしてんのかっ、それくらいわかるっ!」

 怒られた。

「なんで……、なんで……」

 彼女の言葉には、心からの疑問に満ちていた。


「――なんでそこまで……、信じてくれるの……? なんで私を責めないの? ずっとずっと、ハルヤを騙して、裏切ってたのに……!」


「騙して裏切ってって……そんなの、俺も同じだろ。こんなゲームをやらされていた以上、簡単に正体は明かせない。お互い様なんだ、気にすることじゃない」

 海沼は何を気に病んでいるのだろうか。

 今更そんなことを思わなければいけない理由がどこに……。

「……ゲームのことはそうだとしても……私がハルヤを裏切ってるのは、それだけじゃないよ……」

 海沼はついに《プレート》を取り出すと、今度は逆に俺に手渡してきた。

 《リーパー》であることを認めると同時、彼女もまたこちらを信頼しているということを証明しているのだろう。

 だが、『それだけじゃじゃない』というのは……。

「……ハルヤ…………、」

 一度、区切るように。

 俺の名を呼ぶ声が、涙で濡れた響きを伴う。


「…………約束、守れなくて、ごめんね…………」


 演技には使えないであろう、震えて聞き取れない程に掠れた声で、彼女はそう言葉を零した。


 そうして彼女は語り始める。俺の知らない、彼女の人生を。


 高校を卒業して離れ離れになった間に、なにがあったのか。

 


 なぜ彼女は、死を選んだのか――俺達の物語は、その謎から始まった。




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