第26話 神様なんかじゃなくて



 いよいよ次が最後の目的地なのだが――ここからは、なんと俺はどこへ向かうのか知らないのだ。映画館と水族館は、事前に打ち合わせて決めたのだが、最後は海沼が決めたいと言い出して、しかも場所を教えてくれない。


「え……、海沼、ここって……」


 ――龍恋の鐘。

 江ノ島にある観光名所というか、デートスポットだ。

 その名の通り、デカイ鐘がある。

 いろいろ省いて簡単に説明すると、この江ノ島には『天女と五頭龍』という伝説がある。

 五頭龍というやべー龍が暴れまわっていたが、天女様に惚れて改心。

 その後、龍は善行を尽くし、天女様と結ばれる。やがて朽ちた龍は、山に姿を変えた。

 山となった龍は、天女様が作った地である江ノ島を見守っている……というわけだ。

 で、その伝説になぞらえて建てられた鐘を鳴らしたカップルは永遠に結ばれる。

 そんなジンクスがあるわけだが。

 鐘の付近にあるフェンスには、夥しい量の鍵、鍵、鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵鍵……、南京錠が付けられている。


 南京錠には、二人分の名前が書いてあって、間にはハートマークが。鐘を鳴らして、この南京錠をフェンスに付ける、というところまでがジンクスを完成させる工程らしい。

「この場所のこと、知ってる?」

「ああ、知ってるさ……」

 一応地元民だしな。改めてデートプランを練る時にも調べ直したし、その上で俺ならばここは選ばなかった。

「……鳴らすのか、鐘」

「せっかく来たんだから当然でしょ?」

「二人で、鳴らすのか? 鍵も、つけるのか?」

「だから、当たり前じゃない? 何言ってるの? ちゃんと全部体験しないと意味がないに決まってるでしょ」

「…………なんでだよ」

 以前からあった小さな違和感。

 それがさっきの水族館で大きくなって。

 たった今、確信に変わったのかもしれない。

「海沼はいいのか、俺なんかと……それをしてしまって」

「…………」

「……なあ」

 海沼が、口をつぐんだ。

 見たことがない海沼だった。いつも軽やかなに俺をからかう言葉を並べる彼女がこんな姿を見せるなんて。やはりどこか、今の海沼は、変だ。


「いいに、決まってるでしょう……? 全部リアルじゃないとダメって、何度も……」


「演技に……物語に本気なのは、良いことだよ……っ! ……その姿勢自体は良いし、好きだ……でも……でもさ……っ、もっと自分を大事にしても良いんじゃないか? 自分の人生、全部が演技のためか? そのためなら海沼は自分の全部を犠牲にするのかよ……っ!?」


 思わず口調が荒くなる。

 あーあ、なに言ってんだろうな、俺……。

 俺の人生、たった今の言葉通りのくせに。

 俺の人生は、全て物語に捧げて、自分の人生なんて、なんにもなくて……。

 全部犠牲にしたのに、それでもダメで、どうにもならなくて。

 夢は、約束は……。

 全部がダメで、辛くて、悔しくて悔しくて悔しくて、眠れない夜があって、泣き続けた夜があって、それでもダメで、ダメで……俺は、結局、自殺を決めた。

 ダメになっていく中で、俺は全部を捨てた。

 海沼に相応しくなるまで、海沼には会いたくないと、遠ざけていた。

 明日太のことも、モモだって、雪草だって……。

 捨てた、捨てた、捨てたんだ。

 切り捨てて、削いで、削いで、削いで……、

 そうすれば、きっと、上手くいくって。

 過去に戻って、やっぱりこんなに大切だったんだっていくら気づいたところで、それでも一周目の俺は、全部全部、捨てたんだ……そうしないと、上手くなれないと、強くなれないと思ったんだ。

 そうしたところで、強くなれなくて、望む結果には手が届かず、俺は惨めに死んだ。

 お前が言うな過ぎるな。

 どの口が言ってんだよ。

 それでも、言わずにはいられなかった。

 なあ、海沼……。

 わかんないよ……俺、お前が今なにを考えているのか、わかんない。

「桜庭くんさあ……頭いいのに、バカだよね……」

「どういう、意味だよ……」

「まだわかんない? 『もっと自分を大事にしても良い』? ……ふっざけんなよっ……」

 聞いたこともない、荒々しい口調。

 だが。

 彼女は、そこで止まらなかった。


「自分を大事にしてないのはどっちだよッ!?」


 止まらない。

 海沼は、止まらなかった。


「なんで物語では女の子のキャラクター書くの上手でさあ、女の子の心情だって、ちゃんとわかってて、丁寧で……、賢いキャラクターだって書けて……、それなのに、自分のことは全然わかってないバカなわけっ!? ここまでやって、まだ別の可能性に気づかない!?」


 叫んで、感情を爆発させる海沼。

 ――別の、可能性。

 彼女は一体、何が言いたいのか。


「なんで桜庭くんと鐘を鳴らすのが、自分を大事にしてないことになるの? 桜庭くん、私が誰と鐘を鳴らしたいかとか考えないの? ちょっと考えればわかんないかな?」


「……それって……」


 海沼はヒートアップしていた口調から一転、急激に冷ややかさを取り戻していく。

 それに当てられるように、俺の思考も冷えて、やっと彼女の言いたいことを考えられるようになっていく。

 つまり、だ。

「……海沼は……俺を?」

「良いのかなあ、それ。全部聞いちゃう? とゆーかぁー……そんなぐだぐだな告白シーンでいいのかなあ……。全部私に言わせる? ……いいよ、脚本家さん。望んだように、やってあげるから」

 ……ああ、そうだな。

 いいわけ…………、……ねえよな……。


「――――海沼」



 俺は、彼女を呼んだ。

 静寂。

 周囲のざわつきが聞こえてる。

 

 ―――― なに? 喧嘩? 修羅場? 痴話喧嘩…… なんか、いきなり落ち着いたな なんだよこれ 撮影? カメラなくね つかあの娘かわいい 男釣り合ってねー コクんの? なんでなんで? こんなとこで喧嘩すんなよ ――――



 あー、大変申し訳ない。


 大変申しわけありませんが、ただいま周囲に配慮する余裕はございません。

 

 やっと気づいた。

 気づかないふりを。

 いいや、気づいていても、諦めてるふりを。

 最初から諦めて、逃げて逃げて逃げて、隠して隠して、遠ざけていた気持ち。

 遠くに追いやってしまえば、そうして、予防線を張れば、傷つかないで済むから。

 クリエイターの矜持。誇り。彼女のことは、ただ、物語を作るだけの関係。

 ある種の、道具扱い。徹底的に、人間扱いしない。

 神格化ってオブラートで包んでおけば、人間扱いしないって残酷さの免罪符になるから。


「――――俺、海沼のこと神様なんだと思い込もうとして、逃げ続けてた」


 全部、正直に言おう。

 拗らせすぎて、キモがられるとおもって、言えなかった。

 どうして一周目で、どれだけ関係が上手くいっても付き合うことはなかったのか。

 全部、俺が悪いんだ……。

 一緒に舞台を成功させて、それでも二人の間に何も起こらず、約束だけをして離れ離れになったのか。

 その後ずっと約束を言い訳にして、海沼を遠ざけたのか。

 俺には、少しも勇気がなかったから。

 神様……、っつーか、フォールか? それ癪だな。なんでもいいや、誰でもいい。

 ありがとう……。二度目のチャンスを、本当にありがとう。


「でも、違う……海沼は、神様なんかじゃなくて、ただの女の子だった……捻くれてて、偉そうで、人をからかうのが好きで、本当の自分を出すのが苦手で、夢に真剣で……、とにかくすごくて、最高の……、……ただの、女の子だった」


 一息。

 大きく息を吸って。


「俺は……ただの女の子として、海沼のことが、好きだ」


「……うん、私も……っ」


 言いながら海沼が駆け寄ってきて、俺に抱きついた。

 抱きついて、耳元で囁く。


「…………私は神様なんかじゃなくて、ただの海沼ひまわりだから、当たり前のように、桜庭春哉のことを好きになるんだよ?」



 ――――ア(死)


 いや、手を握られただけで死にかけたのに、抱きつかれて耳元で囁かれるとか、もう……。


 こうして、桜庭春哉は死んだ。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――〈完〉



 そんな感じで。

 ハッピーエンド。



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