第5話 猫かぶりのファムファタール


 一周目よりも早く海沼ひまわりの本性を見てしまった。だが、まだバレずに逃げ出せばなんとかなる……というところだったのだが……。

 

 はるやは にげだした!

 しかし まわりこまれてしまった!


 ただただ無様に転んだ。海沼の恥ずかしいところを見てしまった上に、俺の恥ずかしいところも見られた。

 これでおあいこになんねーかなー。


「えっと……どうも……、っす……、同じクラスの桜庭です……はじめまして……」

 海沼の方を向く。倒れてる俺と、立ってる海沼。その日運命に出会う、的な構図。

「……え……あ……は……、はぁ……? え、えっと……。……桜庭、くん……なにして………………。……あ、初めまして、海沼ひまわりです、……うん、そうだよね、同じクラスだよね……、えーと……よろしく……ね……?」

 戸惑いつつも、どうにか取り繕う海沼。さすがだ。かなり戸惑いが大きく滲んでるが。

 直接喋るのは、この二周目において初めてだ。

 当然、俺は初めて話す演技をする。向こうが《リーパー》だろうが、そうじゃなかろうが、同じように『初めて』の体を取るだろう。

「桜庭くん……その……いつからそこに……?」

 海沼としては気になるポイントはそこだろう。猫真似の件もあるが、まずは本性がバレたかをチェックしたいと見える。

「……えっと……、」

 どうするか。誤魔化すこともできるが、今の状況は一周目で同じように海沼の本性を知ってしまった時に近い。いや、猫真似の件が余計すぎるか、そこを抜けばほぼ同じ。

 ここで誤魔化して、一周目と同じタイミングまで関係を保留するか。

 それとも、この段階で本性を踏まえた上で、関係を始めるか。

 ゲームのことを考えれば、このやり直しはいつ終わるかわかったもんじゃない。ならばのん気に引き伸ばすよりは、今できるベストを尽くしておくか?

 そういえば、途中でゲームに負けた場合、戻された未来において、やり直しで起きたことは反映されるのか? 既に一周目との差異がでてるが、この差異は未来にどう影響する?

 今度フォールに聞いておくか。もし影響があるなら、ゲームに負けたとしてもやり直しは無駄じゃない。


 ――よし、方針決定。

 とはいえ、上手く喋れるかな……?


「……ごめん、海沼。……その、俺、海沼のあんま知られたくないところ、知っちゃったかも。気を悪くしたのなら謝らせてくれ……」


 あれ、思ったよりは口が回るな。一周目の俺はもっと口下手だった。

 さすがに二十六歳、高校生とは経験が違う。


「……どっち?」

「……え? どっち……?」

「何を見たの……?」

 じ――――……、と。

 怪訝そうな目で見つめてくる海沼。

 ヤバい、顔の良い人間に見つめられると、それだけで緊張する。そうでなくともヤバいのに。

 っていうか『どっち』って失言だろ海沼。

 『1猫真似 2本性』、2つ恥ずかしいのがありますって自白じゃん。

「……なんか、すごい怒ってる声聞いちゃったの……と、……あと、ね、猫……」

 めっちゃ正直に言った。もう誤魔化せないだろこれ、という判断。すまん、海沼。


「……はぁ~…………ああ~~…………そっかぁ~…………そぉ~…………」


 大きくため息をついた後、しゃがみ込んで顔を両手で覆う。パンツ見えそう。見ないけどね。そうでなくとも、ニーソの隙間から見える太腿が眩しい。目の前に海沼という生命体が動いてるだけで、いちいち、いろいろと、俺の心臓に悪い。



「……桜庭くんさぁ~……わかってるよねぇ……?」


 ――ぞくっ、と背筋が凍る。


 低い声音。心臓を冷たい手で掴まれるような緊張感。


 ギロリと指の隙間から海沼の鋭い視線が覗いて、俺を突き刺す。

 本性モード、オン。猫かぶりモード、オフ。猫真似のくせによ……。


 海沼はしゃがんでいた姿勢から、膝をついて、そこからゆっくりと這い寄って来る。その途中で、Yシャツのボタンを一つずつ上から開けていく。

 はだけた胸元から、白い肌が、黒く深いブラックホールのような谷間が露出していく。真っ白いブラジャー。あしらわれる花柄の花びらの形まで見える。まってまってまって、うわえっろ、むりむりむり……この時代の俺は童貞だし………………………………………………………………………………………………………………………………いや、まあ二十六歳の俺も童貞だったんですが。

 むり。まじむり。っつーかそういえば俺、童貞のまま死んだんだ……こんな時につらい事実に気づいてしまった、つれえわ……。

 海沼をそういう目で見たくない――というピュアな童貞思考があるが、そんな思考をねじ伏せる圧倒的な魅力。むりむり、えっちなもんはえっち。

 そもそも海沼がこうして色仕掛けをしているのに反応しないのは不作法というもの……。

 どんどん近づいてきた海沼は、そのまま俺と密着しそうな距離までくる。

 彼女の長く艶めく黒髪が揺れて、俺の頬に触れる。触れてしまった。髪とはいえ、海沼に触れてしまった。こんなこと許される? 

 爽やかな甘い香り。柑橘系? っていうのか? 香水かな。香水なんて持ってないけど。香水の匂いなんて、『このヒロインならこんな匂いかなー』ってのを考えるためにお試しコーナーでいろいろ試したりした時くらいしか嗅がないからわかんねー。とにかくいい匂い。何使ってんだろう。教えてくれないかな。そしたら家でも海沼の香りを…………いや、気持ち悪いか? さすがにキモいか? でもよくないか、推しの匂いが家にあったらよくないか? こう……実在感が高まるというか……。海沼は実在してるんだけども。妄想の実在感というか、リアリティ……というか……。小説を書くのにはそういうのが大切なんですよ……(言い訳)(早口)(コーナーで差をつけろ)。


 ――などと、いろいろ考えていると、海沼はいきなりガッと俺の胸ぐらを掴んでクルリと俺の体をひっくり返す。

 なんか格闘技の寝技の攻防みたいだけど、普通は逆だよな。海沼が下で、俺が上。自ら『下』にいったのだ。

 なぜかって? まあ、未来で知ってるんですけど……。


 カシャリ――、というシャッター音。

 海沼が自分でこの状況を撮影した。


「ね、桜庭くん……この写真、どういう状況に見えるかな?」

「俺が、海沼を押し倒してるとこ……」

「うん、よくできました♡ じゃ、私が言いたいこと、わかるよね?」

「ああ……誰にも言わない。今日のことは忘れるよ」

「うんうん、物分りがいい子って好きだよ」

 そっと頬を撫でた後、軽く犬にでもするみたいに頭を撫でられる。

 淫靡な微笑みを口元に刻む海沼。

 追い詰められてるというのに、ぞくぞくする。

 追い詰められたい。

 破滅させられたい。

 みんなの前で見せてる爽やかな顔とは違う、ファム・ファタールめいた妖しい笑顔。

 どっちの海沼も魅力的だ。

「はい、サービス終わり。邪魔だよー。お金取るよー?」

 そう言って、ぐいっと胸元を押しのけられて、海沼が立ち上がる。手際よく服の乱れを直していく仕草も、なんだかやらしい……手慣れてるのかな(不純な思考)。

 結局俺は、未来の知識があっても、海沼のことをよく知らない。

 未来でも、そこまで深い関係ではなかったからだ。

 曖昧な、よくわからない関係だった。

 付き合ってるとかじゃないんだから、海沼の恋愛事情なんか知らない。

 例えば、海沼が男慣れしてるのかどうかとかも、よく知らない。

 高校時代から少しずつ芸能関係の仕事をしていたみたいだから、そういうところでの経験があるのかもしれない。

 本人がやりたがってた演技関係はまだ少なかったみたいだけど、モデルとかでは既に人気が出始めてたらしい。らしい、というか当時俺は海沼が出てる十代女子向けの雑誌買ってたけど……。キモいか? ――二周目でも買いますが?




「……私達、教室では、普通の、〝クラスメイト〟でいましょうね? それじゃ、また明日ね~」


 一つ一つの言葉を区切って、『クラスメイト』を強調する言い方。



 翻訳すると、『おめー教室で馴れ馴れしくすんなよ、そっからいろいろバレるかもしれねーだろわかってんだろーなアアーン?』くらいの感じかな、怖い。

 そうして海沼は優雅に余裕を感じさせる態度で去っていった。猫真似のくせに……。

 さて、俺も帰るか……、あっ、やば……、立てな……、バキバキに、立……ぼっ……。

 …………よし。

 落ち着いた……、帰るか……。


 しかし、海沼と接触するタイミングが大きくズレてしまったとは言え、現状はそこまで問題にならなそうだな。

 海沼側がこの件を隠したい以上、他の《リーパー》に漏れる心配がない。

 海沼が《リーパー》という可能性の方は……まあ、なぜこの接触が起きたかというところで、『図書室へ通う頻度が違う』ということにたどり着いても、それは確証として弱いだろう。

 俺が向こうの立場になって考えるなら、これだけでは《告発》はできないな。

 もっと確実な証拠が欲しい。

 《告発》を失敗すればそこでゲームは終わり。

 絶対に失敗することはできないのだから。


 まー、なにはともあれ。

 二周目でも相変わらず海沼ひまわりはとても可愛かった。




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