第2話
僕はさっき昇った建物の下に、手をついて座り込んでいた。辺りは暗くところどころ明かりがつき、先程と特に様子は変わっていない。僕は幽霊になったのだろうか。
立ち上がってみると特に痛みは無く、体の変化も無いようだった。
しかし改めて町の様子を見てみると、何かが若干違う気がした。信号が放つ光の色や、走る電車など見覚えがあるはずだが別の物のように見え、空間がよじれて裂け得体の知れない物がはみ出していた。ゲームのバグのようで、自分というより世界が死んだようだ。
そして突然、僕の前に大きな翼を広げた生物が現れた。角があり、尻尾も生えている。目は赤く獣のように鋭いが全体的に人間の形をしていた。悪魔だと僕は思った。
「こんにちは。あなたは悪魔ですか」と聞いてみると、彼女は
「驚かないのね」と呟いた後、
「ええそうね、悪魔よ」と答えた。
「あなたは死のうとしたのね」と今度は悪魔の方から聞かれたので僕ははいと答えた。
僕は悪魔にも興味がある。生きているとなんだか善悪があやふやで悪の定義がもやもやしていて納得のしようがないことだらけだったが、絶対的な「悪」である存在を見れば逆に真理が見える気がした。
悪魔がどんな悪いことを言ってくるのかと僕は待っていた。意味不明な状況だが、不安定な「生」を捨てたのだからもうどうだっていい。
「あなたって本当に自分のことしか考えない人なんでしょうね」と悪魔は言った。
「あなたに食べられ続けた動物たちは、生きたくても生きられず、死にたくても死ねず苦しめられたことでしょう。なのにあなたは彼らの命を踏みにじってなんとなく生き、なんとなく死んだのね。感謝も罪悪感もなく」
悪魔が冷たく言い放った言葉を聞いて、なんだか悪魔のくせに正論のようなことを言うなと僕が思っていると、悪魔は急に笑った。
「完璧よ。あなたは悪魔になる素質がある。どうしようもないくらいの悪人だわ」
それを聞いて僕が
「でも人殺しとか盗みとかしたことは無いし、そこまで悪人でも無いんじゃないですか」と言うと、彼女は
「いいえ。スパッと殺しとか盗みとかやっちゃうような人は、かえって簡単に改心しちゃったりするものよ。その点あなたのような、何もできずグダグダと汚い言葉を吐くだけの人間はいい悪魔になるわ」と答えた。
「だいたい悪魔はカッとなって手を出すとかそういう存在じゃないわ。盗みや殺しをそそのかすことはあっても、自分では滅多にやらない。悪の言葉を囁いて、人を悪の道に引きずり込むのが仕事なの」
僕はそれを聞いて感心した後、ふと疑問に思った。
「何のためにその仕事をやっているんです」
「何となくよ。だって面白いでしょ」
彼女は答え、そして
「あなたに悪の言葉を囁いたのは私よ。おかげであなたの思考は悪に染まったわね。死ぬとまでは思わなかったけど」と言った。
「悪の言葉を囁いた?僕は君に会ったことはないと思うんだけど」
「悪魔は姿を見せず人に忍び寄って、囁くこともあるの。見えたり聞こえたりしていなくてもちゃんと効果はあるわ。現にあなたは私たち魔物に興味を持ったでしょう」
なるほどと僕は思った。
「僕は悪魔になれる素質があると言ったね。どうやったら悪魔になれるの?」
質問すると、彼女は
「教えてあげる。ついて来て」と答えた。
その日から僕は彼女について行った。不気味にうごめく町には黒い影や大きな生物のようなものがうろついていて、それに混じり普通の人間も歩いていた。
普通の人間は普通の景色を見ているらしく、周りの魔物には気づかない様子で歩き続けている。そんな人間たちにまとわりつき、悪魔は優しく声を掛けた。
「人のことなんてどうでもいい。自分のためだけに生きなさい」
僕は彼女の言葉を聞いて、
「それって悪いこと?」と尋ねた。悪魔は、
「人が思いやりの心を捨てるのは悪よ。素晴らしいことなの」と笑った。
「悪にも、正しい悪とか間違った悪とかあるの? 悪のつもりで悪じゃないことをやっちゃったりする?」
「悪だと思うことなら全て悪よ。正しさなんて悪には無い。人によって違うんだから、自分が悪だと思うことをやればいいの」
僕は死んだんだか何なのか分からないが、どうも現実の世界からは見えない存在になったらしい。そして僕には異世界が見える。
今まで見えていた現実の世界は時がたつ程崩れ歪み、不安定な世界の中己の信じる世界のみを見てひたすら歩く人間の姿は儚く見えた。
僕は現実の世界から消え去り、歪んだ思想ゆえに魔物となることを許されたようだ。この間まであった体の感覚が軽くなり、全ての疲れが吹き飛んだ。
なんだか面白そうだし、なれるのなら悪魔になろうと僕は思った。悪の美学を追求し気の向くまま人間を翻弄しよう。そう決意すると僕の体は変化し、背中には黒い翼が生えた。角や尻尾も生え、悪魔になったのだ。
僕はとりあえず飛び回ってみたくなった。地を蹴り背中に力をこめ、勢いよく羽ばたいた。練習などが必要かと思ったらそんなことはなく、思った通りに体は宙に浮いた。
この間息を切らして昇った建物を軽々と越し、高く高く舞い上がった。
「どこへ行くの」彼女は笑いながら後をついて来た。
空へ上がると、人が建てたおぞましい数の建物が揺らぎ、何かを睨むように光っていた。
ここも遠い昔は森だったのだろう。消えた風景の幻が現代の風景に重なって見え、忘れ去られた妖怪たちが姿を現した。
死ぬのは人間や動物だけではないのだろうか。今見ているのは景色の幽霊のようなものなのだろうか。
かつてあった山々、美しい川が時折鮮やかによみがえっては消え、アスファルトの網の底に沈んでいった。
「悪は誰のためにあるの」
僕は彼女に聞いた。
「悪は自由よ。何をしてもいいし何もしないのもいい。全てのことを悪く言うことができる。悪く考える心こそが悪なの。だから誰のためでもいいのよ」
彼女は答えた。
一見美談にされていても、全てのことに悪は潜んでいる。皆、いじめは良くないと気づきつつ社会全体で動物いじめをしている。
誰にも知られず馬や犬猫が処分され、牛豚鶏は悲鳴をあげ、狐狸の毛皮が着られる。そんな狂った世界の中、人は己の身に起こる事のみに理不尽だと怒り他人の悪口を言ったり己の正当性を訴えたりする。
爽やかな顔で夢は叶うだの努力は報われるだの言う人もいる。いずれにせよ動物や精霊には物申す権利など無く、星は汚れ精霊たちにとっては住みづらいものとなり、人間のみの考えで世界を変化させている。
そして人間の中にも生きにくいと感じる者がいる。夢も希望もなくどうなれば幸せなのかも分からず、ただ波に流されるように世のシステムに合わせ生き続けるゾンビのような人種だ。
人から言われたことをやり続け人に合わせて右往左往するだけで人生が終わる。戦争が正しいと言われればそうだそうだと同調し、平和を目指そうと言われればその通りだとついて行き、どこかで誰かが言った言葉を覚えそれを繰り返し、自分の意見と見せかけるだけである。
何か違うようだが正解も見えずため息をつくばかりで、全く違うどこかへ行ってしまいたいと思う人もいる。そんな人を見つけては
「やりたい放題やれ」と言ってやった。
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