花粉症③

 僕は、誰にも聞こえないくらいの小さなため息をついて、白石さんの肩を叩いた。

 彼女が「わっ」と声を出して振り向いたとき、その髪の毛の香りが僕の鼻をくすぐった。向日葵みたいな匂いだった。

 赤縁メガネの奥で、白石さんの大きな目がさらに大きく見開いた。


「しまもとく――」

「これ、使えば」


 彼女の言葉をさえぎって、真新しいマスクを差し出す。


「え、でも」

「僕はちゃんと。予備持ってるから」


 そういって、予備の入ったマスクケースを見せながら足早に彼女を追いこす。

 おそらく彼女の事だから、今頃手元のマスクと僕の背中を見比べて、何度も瞬きをしているのだろう。

 今度こそ音楽を聴こうと耳にイヤホンを入れる。再生ボタンを押す直前だった。


「嶋本くん、ありがとう!」


 後ろから白石さんの少しこもった声が聞こえた。――ちゃんとマスクをつけてくれたみたいだ。

 イヤホンからお目当ての曲の前奏が流れ出す。

 彼女が見ているかはわからないけど、僕は振り返ることなく肩のあたりで右手を挙げた。


 花粉舞う、少し風の強い朝。

 ――「ありがとう」と言いたいのは、むしろ僕の方だった。

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