第二十八話 柔らかな風の奥で

 おおおおおおっ! と五万人の歓声が一際大きくなる。まるで機闘場そのものが新たな王者の誕生を待ち焦がれて、唸り声を上げているかのように。


『いきますっ!』


 ツクヨミを駆る少女の名前は御影ウル。母親に似た黒漆器のような黒髪と、誰に似たのか分からない秀麗な銀の眉が目を引く快活なおんなのこだ。

 彼女の誕生はショウジを初めとして、元社員たち、曾祖父冬十郎も、踊士仲間も皆が祝福してくれた。だが当時未婚で、彼氏さえいなかったセレネの出産には多くの疑問と、意外に多いファンたちの涙を誘った。問題点といえば、それらの飛ばっちりをショウジが一身に受けていたことぐらいだろうか。

 ちなみに、ふたりは結婚していない。

 ウルの育児をショウジが手伝うことはあっても、ふたりそろって役所へ行くことはしなかった。

 理由は、特にない。

 ウルも自分に父親がいないことに疑問や不安を感じた様子はないし、ショウジがその代わりをやってくれていたから、問題はないのだろう。

 ともあれ、ウルはまっすぐに成長した。

 母親の影響で機械闘技に興味を持ったのが五才。カグツチではなくツクヨミに触らせてもらったのが六才。小学校に通いながら始めた機械闘技で最初に勝利したのは七才の夏。母が君臨していた第三都市上級王者の王座に座ったのが八才。

 王座戦を何度も何度も戦って、人型の着装を何度見せても、ナビ無しで戦っている所まで見せても、「あれはウルが着ているのではない」という声は消えない。

 特例で軍籍に入ることは免除されているが、たぶん有事には招集される。そんなことは平和な火星では起きないだろうし、仮になったとしてもセレネとショウジが絶対に阻止するつもりだ。


『こいっ!』


 ツクヨミの白銀色の装甲が、ジグザグな輝線を描いて残像を残す。ショウジは動かない。 この舞台で直接ふれあって初めて分かった。ウルは強い。ツクヨミに「着せられている」感覚は一切ない。本当に衣服レベルにまで同調し、さらに時折ツクヨミの性能を越えた操機を見せる。セレネがカグツチを与えなかった理由がこれではっきりとした。断言する。カグツチでは彼女の動きについてこられない。


 ―─速いが、まだパターンが単純っ!


 先に仕掛けたのはショウジだった。

 左手に握った斧を無造作に横凪ぎに振る。手応え。だが軽い。ごんっ! とスサノオの腹部に強い衝撃。ツクヨミの左拳が減り込んでいた。にやり、と嗤ったのはショウジの方だった。


『やるなら一発で決めろ!』


 器用に左手一本だけで彼女の左手を絡め取り、そのまま捻りつつ、逆関節を極めた。みしっ、と音を立て、人間だったら悶絶する損傷を喰らい、ツクヨミの左腕は使用不能になった。


『このっ!』


 苦し紛れの補助腕による突きが三発。だがまだスサノオはツクヨミを離さない。腕を脇に抱えたまま、ツクヨミの機体を引きずり、円盤投げの様に回転を加えながら真後ろの壁に投げつけた!


『きゃうっ!』


 投げつけられた壁の破片が飛び散る。背中から叩きつけられたツクヨミは左肩からずるずると地面に落ちる。駄目押しに強重斧を投げ撃つ。


『さぁ、王者、これが最後の攻撃となるか?!』


 左手を地面につけた刹那、ツクヨミは姿を消した。がいんっ! と強重斧が一瞬前までツクヨミがいた壁に突き刺さる。


『ほぉ』天井を見上げる。『母ちゃんの整備に感謝しろよな!』


 観客も、弁士さえも彼の目線の先を追う。東を向く銀幕のすぐ隣にツクヨミが浮かんでいる。ぴたりと静止しているのはナノブラックホールで重力を無視しているから。こんな機能、どんな人型の仕様書にもない。


『もちろんですっ!』


 後ろ腰に折りたたんでおいた強重槍をじゃきんっ! と抜き放つ。

 いまの攻撃でスサノオの四肢は完全に使い物にならなくなった。力無く、人形のように立ち尽くしている。

 決着の時だ。

 穂先を下に。左手を前に、右手を後ろに握り締めてスサノオの頭部に照準を合わせる。

 ひとつ、深呼吸。


『いきますっ!』


 ツクヨミにこの試合最後のお願い。最大加速、実行!


『わああああああああっ!』


 音速の白い壁を越え、真っ直に、スサノオの先にある勝利の二文字目がけて直進する。


『いっけぇえええええっ!』


 命中!

 最大級の爆発が起こり、二着を、会場を包む。そこまでは自分でも格好良く決められたと思っていたのだが。


『あ』


 力を込めすぎたのか、槍も限界だったのか、束が砕けた。それに動揺してバランスが崩れ、ぐらりと傾き、


『ちょ、ちょっ、ごめんなさいぃっ!』


 一度傾いたバランスはもう二度と戻ることは無かった。


『こんの、莫っ迦野郎!』


 どしゃっ! と抱きつくようにスサノオに被さってしまう。一瞬前までの興奮が一転して大爆笑に変わる。

 じたばたともがくツクヨミ。その下にいるショウジは堪ったものではない。


『こら、早くどけ。スサノオはもう動けないんだ』

『は、はい。よいしょっ』


 ごろり、と転がるようにスサノオの上から降り、天井を見つめる。スタミナ切れでへろへろになった。自分の顔が東西南北を向いて浮かんでいる。笑っておこう。えへへ、と笑うと弁士が叫んだ。


『御影踊士の勝利です! 史上最年少記録を大幅に更新しての統一超級王者誕生です!』


 大噴火のような歓声を他人事のように聞きながら、心地好い疲労感に包まれた。ツクヨミが気を利かせて、外から入る音と光の量を下げてくれた。とろとろとした眠気に揺られながら、ぼんやりと天井を見つめる。

 鉢金に通信が入った。指を動かすのもおっくうだった。ぐずぐずしていたのでツクヨミが回線を開いてくれた。


「ありがと。……なに? 母さん」

『おめでと。お疲れさま』


 気持ちいい。自分とちっとも似ていない母の美声は、ウルの心をいつも暖かく包み込んでくれる。


「うん。面白かった……」

『ショウジさん、強かったでしょ』

「うん……」

『今日はごちそうだから……』小声になり、『ツクヨミ、しばらく寝かせてあげてね』


 ツクヨミの中は、安らかな寝息に包まれていた。


     *     *     *



 了解、とツクヨミからの返信を待ってセレネは受話器を置いた。


 ―勝っちゃったか。ショウジさんに。


 自宅でひとり観戦していたセレネはテレビを消した。

 仲間内からみんなで見よう、と誘われたが、今回だけは断った。

 どちらも大切な家族が闘うのを、そしてどちらかが確実に負けるこの試合はひとりでしっかりと受け止めたかったから。

 しぃん、と静まり返った部屋でセレネはつぶやいた。


「すごい試合だったね、ウル。ウルが勝ったよ」


 天津人のウルはもういない。

 でもウルはいる。

 それでいいと思う。

 ねえウル。

 ウルがくじけそうな時、あの子の背中を支えてやってください。

 あたしはあの子の手を引いていますから。


「さってっと。いまから忙しくなるな」


 間もなく取材陣が大挙して押しかけてくる。それを追い払いながら、続々やってくる親類縁者一族郎党に挨拶をしつつ、主賓抜きで始める宴会のお酌をしなければいけない。

 ぴんぽーん、と玄関先の呼び鈴が鳴った。

 取材陣にそんな躾が行き届いているとは思えないから、きっとご近所の誰かだろう。立ち上がっていそいそと玄関へ向かった。


「はーい。いらっしゃーい。開いてますからどうぞー」


 上がってきたのは予想通り、近所の商店街のおばさまたちだった。

 いつも威勢のいい寿司屋の女将さんは五段重ねのすし桶を、未亡人で後れ毛に大人の色香漂う酒屋の女将さんは熨斗付きの一升瓶を持参してくれた。彼女らの後ろにはそれぞれのご主人の姿が。皆一様にそれぞれのお店から食材を段ボール箱に詰めて抱えている。


「すいません、こんなにたくさん」


 ウルちゃんすごかったわねー、おめでとー、旦那さん残念だったわねー、が同時に投げかけられ、旦那じゃないですよぉと照れながら宴会場となる居間へ案内する。箱は厨房に運ばれ、後からやってくるご主人たちが目に鮮やかな、舌に華やかな姿に変えてくれる。

 おらお前たちは帰れ! とねじり鉢巻きの魚屋のご主人が怒鳴りつけているのは、津波のように押し寄せてきた取材陣たち。ごめんなさい、取材は明日以降にしてくださいね、とセレネがにこやかに睨み付けるとどうにか第一陣は引き下がった。

 ほら、セレネちゃん、始めるわよ~、とすし桶はいつのまにかテーブルに並べられ、一升瓶を振る八百屋の女将さんがセレネを呼ぶ。主賓のウルとショウジが到着するのはもうしばらく先だ。


「あ、はーい」


 振り返った時、玄関から暖かな風が吹き込んできた。


「あっ」


 ウルの声を聞いた。おめでと、とかそんな感じのことをささやいて、また去っていった。


 ―─なんだ。元気そうじゃない。


 父さん、母さん、千場さん、ウル。

 あたしはこんなに家族が増えました。

 毎日どうにかやってます。

 だから安心してください。

 今度娘といっしょにお墓参りにいきます。

 そうそう。あたしがそっちにいった時は、よろしく。


「セレネちゃーん。は、や、くぅ~」


 おばさまたちはもう待ち切れない。


「はいはーい。いまいきまーす」


 じゃあまた。

                                                                    〈 終 〉

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