第二十七話 おかえりなさい

 時は緩やかに流れ、翔和しょうわも五二年を数えたある日。

 場所は火星第三都市の機闘場。


『さぁー、今年の王者祭典決勝も大詰め。そしてそして大番狂わせが起きようとしています』


 表面的には冷静だが、内に秘めた興奮を隠し切れていない弁士が告げる。


『なんと七年ものながきに渡って王座を死守してきた牙桜踊士に、史上最年少の踊士が挑んだこの試合、母子二代の野望がついに果たされようとしています!』


 五万人余りの観客たちが一斉に、地鳴りのような歓声を上げる。だがたったひとりそれに抗う男がいる。


『うるっせえぞ! 弁士!』


 ショウジだ。だがその叫びも、観客からすれば野良犬の無駄吼えに等しい。


『いやしかし、トバルさん。王者もよく持ちこたえていますね』

『ええ。さすが七年間も王座を死守してきただけはあります』


 放送席も他人事のように実況を続ける。


『おっさんも黙ってろ!』


 やはり虚しく響くだけの叫びを無視してカメラがスサノオを映す。ボロボロだった。弁士とトバルへの抗議にぶんぶんと振り回している右腕は肘から先が無く、頭部も右のこめかみ辺りがひしゃげている。下半身への致命傷を避けているのはもちろんショウジの腕前あってこそだ。


『ショウジさんこそ、いい加減諦めたらどうです!』


 きぎぃっ! と白銀色の残像を落としつつ、スサノオへ迫る。ツクヨミもまた残った武器は強重槍だけだが、機体へのダメージはこちらの方が小さいように。


『みんなショウジさんが王者なの、飽きてるんです!』


 花火を打ち上げてもまだ余裕のある天井につるされた、四方を向いて並ぶ銀幕に黒髪の少女の挑戦的な笑顔が写し出されている。

 半壊したスサノオを駆るショウジは、すっ、と腰を落とす。肘だけの右手を差し出し、強重斧を握る左手を腰溜めに構える。


『俺に勝てたら、ちゃんと明け渡してやるよ!』


 爆発的な加速で、一瞬の内にツクヨミの眼前に躍り出たスサノオは、燦暗光に残しておいたミサイルの残弾、計七発を一発残らずツクヨミの腹部めがけて発射した!

 ずずんっ! と爆煙が派手に二着を包む。

 至近距離での大爆発に観客から悲鳴に似た歓声があがり、一瞬の静寂が訪れる。

 打ち破ったのは、ツクヨミを駆る黒髪の少女。

 

『それが、しつこいっていうんです!』


 立ち上る爆煙を掻き分けながらツクヨミが突き進む。スサノオの喉元に槍の穂先が迫る。観客たちも再度歓声を上げる。

 しかし、その願いはたやすくはじき返される。

 がぎぃんっ! と鳴り響く鈍い硬音に、観客たちは一斉にため息を零す。

 冷静なのはショウジただひとり。


『やるな』

 

 ツクヨミにダメージは見られない。あの七発のミサイルも槍ですべて迎撃



 

 がきんっ、と斧で穂先を受け止め、


『母ちゃんが丹精こめて整備しただけは、あるっ!』

 

 しばらく競り合ったあと、払い除けてスサノオは間合いを離す。


『そうです。あたしの母さんは銀河一です』


 ツクヨミは追わず、槍を構え直してショウジの隙を探す。母なら次の一手をどう放つ、と考えながら。


     *


 翔和四十三年。

 イザナミの中でセレネは泣き続けていた。


「ウルを、かえして……」


 左肩と太ももの怪我は、ショウジが探し出した医療機器で完治させた。けれどウルはまだかえって来ない。


「……」


 泣き崩れるセレネを、ショウジはどうしていいか分からない。本人が帰ろうとするまで放置する以外の策を彼は思いつかなかった。

 黙々と作業を続けるイザナミが、ふいに、ヴォン、と唸り声を上げた。


『御影セレネさん。どうぞ中へお入り下さい』


 突如投げかけられた大人の女声に、セレネは反応できなかった。だが、融魂炉の隔壁は開く。


「……入れっていってるぜ?」

「は、はい……?」涙を袖で拭って立ち上がった。

『お急ぎください。間もなくウル・ネージュの魂が完全に融合してしまいます』

「え? え?」

「どうやら、お嬢ちゃんを帰してくれるみたいだな」

「……うそ」

『お早くお願いします。衣服を脱ぎ、融魂炉の中へお入りください』

「で、でも」

『ウル・ネージュより、御影セレネさんの元へ帰りたい、という願いが発振されました。ウル・ネージュの遺伝情報を御影セレネさんの胎内に移植します。意識が完全に我々イザナミと同化すればもう移植も不可能になってしまいます。どうか、お急ぎ下さい』

「かえってくるの?」


 セレネだけはまだ半信半疑だ。ウルが自分を家族だと思ってくれた、という事実をセレネの脳が処理するのに時間がかかっている。

『はい。ですが、あくまでも彼女の遺伝情報を、御影セレネさんの胎内に移植するだけです。つまり、あなたの子どもとして、です。融魂前の姿で帰すことはできません』

 ようやく納得できた。

 それでもかまわない。


「……はい。お願いします」

「じゃ、俺は外に出てる」外部音声に向けて、「終わったら教えてくれ……って、もう脱ぎ始めるな!」


 はだけた胸元を手で隠しながら、だが少しも恥ずかしがっている様子はない。セレネにすれば一刻も早くウルと再会したいのだ。羞恥心など些細な障害だった。


「あ、ご、ごめんなさい」


 外部音声の『かしこまりました』の声はふたりのやりとりにかき消されてしまった。


「ったく。恥じらいを持てよ……」


 ショウジがつぶやきながら出ていく。セレネは満面の笑顔で融魂炉へ飛び込んだ。


「待っててね、ウル!」


     *     *     *


 翔和五二年、第三都市機闘場。

 ツクヨミとスサノオは、十歩ほどの間合いを残したまま、まだ睨み合っている。どう見てもショウジの敗色は濃厚だったが、彼はまだ戦意を失っていない。


 ―─よし、まだ動くな。さすがセレネだ。


 スサノオもまたセレネが整備している。こっちが本職、というだけあって彼女のメンテナンスは絶妙の一言に尽きる。

 イザナミから帰還した翌日に、機械闘技のすべてから引退を宣言し、まだ取っていない一級整備士の免許取得のため、猛勉強を始めた。

 一級整備士の取得には、三十着以上の縫製経験が必須。それを叶えたのはショウジの宣伝だった。一般客はおろか、踊士仲間からも目つきの悪さから敬遠されていたショウジが、率先して記者連中の前に顔を出し、セレネとの口約束を果たしてくれた。

 その甲斐あって、現在第三都市の工房には整備依頼の客が詰めかけ、かつて働いていた仲間たちが戻り、頑固な工房長もアドバイザーとして三日に一度は顔を出してはセレネと茶を飲んでいる。

 宣伝に徹したショウジにも恩恵はあった。

 それまでは目つきの悪さから、特に少年少女たちのファンが付きにくかったのだが、実は気さくな性格だと知れ渡ると一気に逆転。ピークこそ王座戦十連覇を果たした三年前だが、いまでも根強いファンは多い。


 工房長による再びの特訓も相まって、セレネは試験に一発合格。恥ずかしいから止めようよ、とセレネは断ったが、強引に工房の看板にでかでかと「美人一級整備士の常駐する工房」と謳い文句を掲げられてしまった。

 そんなセレネの整備は、機体に残る操者のクセを読み取り、あくまでも着心地最優先でネジを締める。例えそれが愛娘の対戦相手の機体であってもだ。このぐらいで負けるのならウルに王座はまだ早いんですよ、とセレネは野暮な取材陣にそう答えていた。


 ―─座るにはちょっと早い気もするが、こいつならどうにかやるだろ。


 ショウジは腰を落とす。斧を青眼に構え、大見得を切った。


『おっしゃ来い、がきんちょ! 当代王者、牙桜ショウジが最後の大舞台! おまえたちしっかり目に焼きつけとけ!』


 会場が沸騰する。

 宣言通りショウジはこの試合を最後に機械闘技から引退した。


     *     *     *


 再び翔和四三年。

 真っ白い壁で被われた融魂炉の中で、セレネは最後の説明を受けていた。


『今回のケースは特殊です。血の繋がりも、生まれた星も違う人への移植はあまり例がありません。ですから……覚悟はしておいてください』

「あの、地球人ってイザナミに登録されてないんですよね。そういうのって、これには関係ないんですか?」


 そういう機械的な理由で上手くいかないなんて、納得がいかない。その為の確認だ。


『問題ありません。先ほどの出血から、セレネさんの遺伝情報は解析済みです。移植作業自体に支障はありません。……ですけれど』


 イザナミが不安材料としてあげているのは、ふたりの遺伝子の違いだ。

 どんっ、と胸を叩いて自信たっぷりにセレネは宣言した。


「だいじょーぶですっ! ウルなら、きっとちゃんとあたしのお腹にきてくれるって、信じてますから」


 音声は少しの間沈黙した。


『そうですか。わかりました』


 俄かに壁が輝き出す。穏やかな光にセレネは目を閉じ、下腹部に意識を集中させた。

 いってらっしゃい、という暖かな声をセレネは確かに聞いた。

 セレネの鼓動に合わせるように壁の輝きも増していく。やがて光に包まれ、一点に、子宮へと収束していく。


「おかえりなさい」


 この日より十月十日後、セレネはおんなのこを出産した。

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