第二十四話 最後の決戦

 天井を掘削しながら上昇するイザナミから梯子を下ろし、その体内へとノリスは足を踏み入れる。直後、彼の携帯端末に電文が届く。


「なんです、こんな時に……っ」


 憤慨しながら電文を開く。差出人は―東アジア連合軍!? 内容を一読して、ノリスは愕然とした。


「北米軍が、監察政府に対してクーデターを起こし……失敗。自治権までが、剥奪…………。現在続行中の全作戦の即時中止を命ずる……」


 ゆっくりと、その内容がノリスの脳に染み込んでいく。


「もう、用済み、ということか……。だから、待てと言ったのに。ようやく、イザナミが手に入ったと言うのに……っ」


 はっと我に返った。


「母さんは、母さんはどうなった!?」


 北米軍に人質となっていた母の安否を確認しようと、携帯端末を操作する。


「……………………」


 かぁん、と乾いた音を立てて、彼の携帯端末が床に落ちた。

 母は一年前に、殺されていた。

 ノリスが地球を発った、翌日だった。


「……なんと、いう……ことを…………っ!!!」


 この怒りを、憤りを、どこにぶつければいい?

 母を助け出し、あの国を滅ぼすためだけに辛酸を舐めてきたというのに。

 その母も、彼の国も、全てを失った。

 またも、あの、忌むべき国によって。


「ふふ、はは、ははは…………」


 笑うしかなかった。


「どこまでも……、地人どもは……っ!!」


 哄笑はやがて憤怒に満ち、脳裏に全ての元凶の姿が映し出される。


「あの女が……、あの女がぁっ!!!」


 復讐の刃を向けるべき者が見つかった。ノリスの顔に醜悪な笑みが浮かぶ。


「ウル! あの女を、火星ごと吹き飛ばしてしまいなさい!」


 ノリスは融魂炉へと向かった。

 イザナミを、自爆させるために。




 地球での事件はふたりの携帯端末にも電文の形で届いていた。


『ショウジさん……』

『ああ。本当に連中、莫迦だったらしい』


 よりによってクーデターを起こすなんて。これ以上ない愚行だ。ただ認めればいいだけなのに。自分たちとは違う存在がいる、ということを。

 自分たちが一番偉い、とかの妄執を固持して全てを失うなんて。それが同じ星の人間の行為なのがひどく哀しい


『それより、いまはウルだ』


 政治はお偉方にやらせておけばいい。火星は地球と無関係ではないが、北米という国がどうなろうと、火星に影響はほとんど無いのだから。


『は、はい』鉢金に、イザナミの走査終了の文字が躍る。『ありがと。……ショウジさん』結果をショウジに送る。

『おう。俺が先行する。ねえさんは反対側から来てくれ』


 はい、とセレネの返事を待ってショウジはイザナミへとジャンプ。船底にしがみついた。ショウジが乗り込むのを待って、セレネは反対側へと回り込む。

 きっ、とイザナミを見上げ、決意の吐息をひとつ。


『ウルを、かえして!』


 思いっきりジャンプして、ぎりぎりイザナミの船底に手が届いた。補助腕も使って器用に外壁にしがみつき、ハッチを開けた。人ひとり分のスペース。ツクヨミは入ってこれそうにない。無人のはずの船内は、何故か人の気配で満ちていた。危険だ、とツクヨミが忠告する。無視して胸腹部のハッチを開いた。


「ちょ、こら、閉めないで」


 ツクヨミは主人を守るためにハッチを閉じてしまう。もう、と荒く鼻息を吐いて、


「あのねツクヨミ。このままじゃあイザナミは火星から出て行っちゃうのよ? あなたの中に居ればすぐには死なないけど、ツクヨミは地球まで行けないでしょ? そうなったらあたしは餓死しちゃうの。それでもいいの?」


 セレネの説得に、ツクヨミは渋々ハッチを開けてくれた。鉢金は―迷った末、後ろ腰のベルト穴に引っかけた。よいしょ、とツクヨミの太ももから自分の足を引き抜いて、船内に飛び移った。

 ツクヨミにハッチを閉めさせ、走りだそうとして、二歩目で止まった。まだしがみついていたツクヨミを振り返ってこう言った。


「いろいろありがと。ヤバそうなら、ひとりで逃げてね。……おじいとカグツチによろしく言っておいて」


 返事を待たず、セレネは走り出した。

 ウルのいる場所へ。


         *     *     *


 天津人の船は全て、動力源にブラックホールを使っている。

 ひとつの都市に相当するイザナミのそれが自爆すれば、火星はおろか地球や木星までも引きずり込む巨大な重力場になってしまう。そうなれば、互いの星の引力で絶妙に取られている軌道バランスも崩れ、太陽系そのものが崩壊してしまう。後に残るのは従来の軌道を外れたいくつかの惑星だけ。

 地球と火星はそこに暮らす無限の命と共に消滅する。

 そんなこと、誰がどんな理由をもってしてもやっちゃいけない。


「……ウルっ!」


 大丈夫。ウルの居場所なら分かる。

 この先の角を右に曲がって、そのふたつ先の角を左に曲がってまっすぐ先。そこにウルはいる。三年前の土砂降りの家出の時もそうだった。ウルがいなくなった、と気付いた時、セレネはすぐに宇宙港へバイクを走らせ、迷子センターへ駆け込んでいた。

 だから、きっと大丈夫。

 ウルは返してもらう。

 返しなさいっ!


「ノリス!」


 全ては、こいつの勘違いから始まったのだ。

 角を曲がろうとしていたノリスにセレネは問いかける。


「もういいでしょう? 何が不満なんですか」


 振り返ったノリスは、怒りと哀しみに包まれていた。


「あなたには分かりませんよ。生まれた星が違う、というだけで迫害され、虐げられ、家族を惨殺さ

れた者の苦しみなど」


 分かりたくもない、そんなもの──セレネはノリスを見据える。


「ええ。分かりません。でも、自分ひとりだけが不幸なんだっていう勘違いで、他人の家族を奪う権利も、誰かに与えられてる筈はないです」


 ノリスは目を細める。


「ない、のでしょうね。ですが、復讐する権利さえもないなんて、貴方達には言わせません」

「そういう思いがあるからだめなんです。百五十年も経ってるんですよ? 天津人が商売やりにきてから。なのに、あたしたちはナワバリを荒らされたくないとか、生まれた土地が違うとか、信じてる神さまが違うとかのちっちゃい理由で殺し合って! こんなんじゃ、いつまで経っても……」


 言葉に詰まったのは泣きたくなったから。

 父も母もそう言う理由で起こった戦争で殺された。両親が何をしたと言うのだ。ただただ純粋に商売をやっていただけではないか。

 セレネがやれたのは頭を下げることだった。


「お願いです。ウルを、かえしてください。あの子、あたしの家族なんです。ウルがなんて思っていようと、血の繋がりなんかなくっても、たった三年ちょっとの付き合いでも、あたしはウルを家族と思ってます。ウルが憎くないなら、かえしてください」


 あれだけ息巻いていたのに。一時は殺そうとそたくせに。都合のいい頼みだとは分かっている。で

も、力づくで奪うことが、どうしてもできない。

 ノリスが後ろ腰に手を伸ばす。頭を下げていても、踊士の本能が視界の隅でその動きを捕らえている。かちり、と撃鉄をあげる音がイザナミの冷たい廊下に響き渡る。

 セレネは動かなかった。


「もう遅いんですよ!」


 ノリスは引き金を引いた。

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