第二十五話 別れ

「莫っ迦野郎!」


 後ろからショウジがセレネにタックルで飛びつき、床を転がった。セレネの頭を狙っていた弾丸は床に命中した。うつ伏せのままセレネは叫んだ。


「だからなんでそうなんです! あなたたちは!」涙が混じっている。「ほんのすこし、認めて欲しいだけなんです! 自分たちと違うひとが、同じ星にいるってことを!」


 セレネをかばいつつ反撃の機会をショウジは伺うが、ノリスが突きつける銃口がそれを制した。


「私も、あなた方が天津人と呼ぶ異星の血を引いています」


 顔を上げるセレネ。涙が瞳からあふれ出ていた。


「だったらなんで!」

「さっきも言ったでしょう。復讐する権利は誰にでもある、と。先に私の家族に手を出したのは、あなた達地人でしょう!」


 そうだ。この男の言うとおりだ。天津人を虐げたのは、セレネと同じ地球人だ。国が違うから関係ない、なんて星を開いた国の人間が言っていいはずがない。

 誰かの家族を奪っていい権利なんて、この宇宙に生ける者の誰にも無いし、復讐する権利が誰にも与えられていないなんて、セレネが言える立場にない。

 両親を奪ったあの国を、セレネは断じて赦したわけではない。あの日あの時のカグツチと自分なら、あの国の中枢を破壊し尽くすことぐらい、きっと容易かった。

 それをやらなかった理由は、そんなことで両親との思い出を壊したくなかったから。


「……だったらなんで、自分たちで終わらせよう、と思わないんです」


 けれどそれをやれば、両親や千場の死を穢すことになる。

 だからセレネは火星行きを選んだ。

 地球に居たら、闇色のささやきに負けてしまうから。


「戦勝国のあなた達に言われたくないですよ。そんな言葉」

「あたしだって、両親を戦争で失っています!」

「だからなんだと言うのです。二度も大敗し、それでもなお現実を受け入れようとしない地人など、根こそぎ滅んでしまえばいい!」


 そうなのかも知れない。

 それをやりたくないから、天津人たちは太陽系圏から出て行ったのに。


「天津人(あまつびと)のあんたが復讐をやればな」


 ショウジだ。


「あんたは地人以下に堕ちるんだ」


 ノリスはショウジに銃口を向ける。ショウジは怯まない。


「俺たちはあんたたちと違って何百年も生きられない。死ぬのが恐いんだ。だから正体の分からないものは拒絶し、破壊する。ご先祖もよく受け入れたと思うよ」


 ノリスからすれば無関係のショウジに割り込まれ、さらに説教までされた怒りにかられ、ノリスは撃鉄を起こす。


「……あなたのように!」


 冷たい、焼け付くような痛みがショウジの太ももを貫いた。避ければ、うなだれるセレネに命中したからだ。


「ショウジさん!?」


 銃声に目が覚めたセレネが飛びつくように太ももを押さえる。弾丸は貫通していた。けれど指の隙間から血がどんどん滲み、溢れ、したたり落ち、彼の紺の作務衣を黒く染めていく。


「破ります」


 ショウジのズボンを裂いて傷口を露出させ、ツナギの胸ポケットに入れておいた救急スプレーを傷口に吹きかける。


「火星で、戦争も知らずに、ただのうのうと生きていたあなたに、言われたくは無いですよ。そんな高説など!」


 ショウジの胸元に狙いを定め、再度撃鉄を起こす。

 薬剤が染み込む激痛を堪えながら、ショウジはセレネの肩をどかして言う。


「あのな、生きてりゃ大体みんなどこかしら痛かったり苦しかったりするんだよ。自分ばっかりが悲劇背負ってると思うな!」

「同じ事です! 家族を奪われたから、あなた方の家族を奪うだけ!」


 薬剤が無くなった。傷は塞がったが、激しく動けばまた出血する。セレネが自分の袖を破り取って包帯代わりにした。

 前を見る。ノリスまではあと五歩分の距離。向こうの残弾は最大で四。遮蔽物のない廊下では近づく前に、どちらか一人は確実に撃たれる。

 遠すぎた。もっと近くで呼び止めれば良かった。あまりやりたくなかったけど、ツクヨミに乱入してもらうため、後ろ腰の鉢金に手を伸ばす。


「させません!」


 ノリスはそれを見逃さず、冷静に引き金を引いた。


「っ!!!」


 セレネの左肩が血しぶきをあげる。


「セレネ!」

「だい、じょうぶ、です……っ!」


 もう薬剤は無い。せめて、とショウジが自分の袖を破り取って巻き付けた。


「そこでおとなしく、」


 反撃の手段が無くなったと見てノリスは後ろを向き、一歩踏み出した。そのとき、いままで細かな揺れひとつ無かったイザナミが、ごぐん、と大きく震動した。

 バランスを崩したノリスが、小さくうめきながら壁に手を付いたその時だった。


『ショウジさんとセレネに!』


 ウルの声だった。


『なにするの!!!』


 ノリスが手を付いている壁が突然割れ、中からケーブルの束が鉄砲水のように飛び出し、彼の右腕に絡みつき、つるし上げた。


「な、なにをするのです、ウル!」


 あれほどの狂気に満ちていたノリスの表情が、一転して恐怖一色に彩られた。左手で解こうともがくが、ケーブルはむしろその拘束力を増していく。みし、とノリスの骨が軋む音とすさまじい悲鳴が廊下に響き渡る。


「や、やめなさい、ウル! わたしを殺しても、どうにもなりません!」


 ウルは、ノリスの悲鳴など意に介さず、ただ哀しそうな声で言葉を絞り出した。


『……ごめん、……セレネ』

「ウル?」

「や、止め……っ!」


 ケーブルの束はゆっくりとノリスを持ち上げると、槌を打ち下ろすかのように彼を床に叩きつけた!


「がっ!」


 ノリスの悲鳴も終わらぬ内にケーブルの束は彼を引きずり、床や壁や天井に叩きつける。それもただ叩きつけるのではなく、痛みの波が去ってから、一回一回の衝撃をしっかりと感じられるように。人外の力で振り回されるノリスは、犬に弄ばれる人形のように破れ、変形し、全身から出血した。


「や、止めなさい! ウル!」


 ぴたりとケーブルの動きが止まった。


「もう止めて。あたしたち、もう怒ってないから。そんなこと、しないで」

『……ごめん。……ごめんね、セレネ』


 泣き声でウルは何度もごめんねを繰り返すだけ。


「……っ、離せ……っ!」


 腫れ上がってどこが口かも分からないノリスが、息も絶え絶えに命令する。ケーブルの束は煩そうにノリスの体を引きずる。


「止めて! ウル!」


 セレネの言葉も、今度はウルは聞き入れなかった。血痕を床に刻みながらノリスを引きずっていく。

 角を曲がったその先にあるのは、


「や、止めろ……っ! そこは……っ!」


 きしゅ、と扉が開く。眩いばかりの光に包まれた丸い部屋がそこにある。


『あんたなんかと、ひとつになんか、なりたくないけどね……っ!』


 壁や床にしがみつこうと手足を伸ばすが、それも突起物のない壁や床では空を切り、あるいは床を叩いて赤い手形を付けていくだけだった。


『セレネが生きてる世界を、壊したくなんか、ないの!』


 融魂炉が発する光は暖かく穏やかだった。ゆっくりと引きずられてきたノリスの右足が光に触れると、光に溶かされるようにつま先から消えていく。


「! 止めて! ウル!」

「止めろ、止めろ、止めろ!」


 ふたりの制止もウルは聞き入れない。


『からだも、意識も、記憶も、魂も! 一気に全部、取り込んでやる……っ!!』


 ノリスの両足が、胴が、胸が、左腕が。次々と光に飲み込まれ、消滅していく。

 全てが、彼が残した血痕までが光に飲み込まれ、消滅した。

 融魂炉の光もゆっくりと鎮まっていく。


「……ウル……っ!」


 残ったのは、静寂と、彼が纏っていた白のスーツ一式だけだった。


「……………………っ」


 一度、目を伏せ、口にした言葉は、彼女の予想とは違っていた。


「ウル、出てきて。あたしたち、もう、怒ってないから」


 声は聞こえるのに。ウルのことを、はっきりと感じられるのに。

 ウルが、どこにも、いない。

 あんな形だったけれど、全てが終わったはずなのに。

 ウルが痛い思いをする必要なんて、無くなったのに。


『……ごめんね。セレネ。あたしは、もう。帰れないの』


 いたたまれなくなってセレネは駆け出す。


『来ないで!』


 扉が閉まる。飛びつくようにセレネはドアを乱暴に叩く。


「開けて! ウル!」

『……だめ。あたし、もう。イザナミとひとつになっちゃったから』

「そんなこと知らない! 一緒に帰ろう。今日の晩ご飯は、ウルの好きなのつくるから。そうだ、帰りに濡れせんべい、いっぱい買っていこ。緑茶にお砂糖入れても嫌な顔しないからさ。ね。だから、出てきて、ウル」

『あたしがコドモでばかだから、セレネを守る方法、あれしか思いつけなかった』

「そんなのもういいから! お願いだから、出てきて!」


 ウルは目を伏せた。姿は見えないけれど、セレネはそう感じた。


『あのね』


 ウルの口調は冷静だった。


『あのね。星の海を渡るのに一番必要なのって、人の意思なんだって』

「聞きたくない、そんな話」


 セレネが嫌がってもウルは言葉を続ける。


『どれだけ凄いエンジンを積んでも、いっぱいたくさん食べ物を乗せてても、誰かひとりが「いきたくない」、「もうやめよう」って思った瞬間に船は止まるか、取り返しのつかない航路を選んじゃうんだって。人が星の子なのは絶対に曲げられないから』

「星の、子ども……」

『だから、人の心がいつそうなってもいいように、船には惑星を改造できる能力を持たせてあるの。イザナミがそう。人の命を使って、無機物の宇宙船と、有機物の惑星をつなぐの。星の海で命が果てることのないように』

「そんなこと知らない」

『だから、融魂炉は人柱じゃないし、あたしがこうなったのは罰なの。セレネにひどいことして、火星のひとたちに、ものすごい迷惑かけたから』

「だってウルまだ八才じゃない!」

『違う。あたしが百才でも、やったことはやったこと。セレネだっていつもいってるじゃない。知らなかったじゃ済まないって』

「そうだけど、ウルは、あいつに……」

『きっかけは、ね。でも、セレネに嫌われた世界を、あたしは壊したかった』

「あたしは一度だってウルを嫌いになったことなんかない!」


 これがウルに課せられた罰だとしたら、自分はなんなんだ。ウルの両親を殺し、まだ八才のおんなのこにこんな辛い思いをさせて。罰を受けるのは自分の方だ。


『だからもういいよ。セレネが生きてるなら、あたしもイザナミの中でちゃんと生きていけるからさ』

「そんなのやだぁっ!」


 セレネが手近な操作盤を叩く。


『やっちゃだめ!』

「だまってなさいっ」


 ウルの制止を無視してセレネが適当なスイッチを入れると、ぱっ、と部屋に照明が灯された。


『……だから、だめだっていったのに』


 そこには、何も残されていなかった。

 髪の毛の一本も、涙の一滴も、何一つ無かった。


『ね? あたしの肉体も遺伝子もイザナミに全部丸ごと、魂も記憶だって全部取り込まれて分離できないしさ。いまはこうやって話ができるけど、明日になれば「ウル」の意識もイザナミに取り込まれるの』


 それでも諦め切れない。哀願するようにセレネは叫ぶ。


「あたしは、あたしはウルがいないとだめなの。そばにいて、一緒にご飯食べて、機械闘技でナビやってくれないと、あたし、全然だめなの!」

『ありがと。嬉しいけど、ホントにね、そっちに帰る方法、ないの。あたしだって、セレネと一緒に生きて、いっぱいご飯食べたいけど、だめなの』

「そんなこと知らない!」


 ちっとも言うことを聞いてくれないセレネに、ついにウルは強硬手段に出た。


『もお~~っ、方法が無いって言ってるじゃない! それともなに? ほとんど地球人のセレネがイザナミと一つになろうっての? そんなことやったら絶対確実に死ぬんだからね? イザナミに取り込まれずに、ただ苦しみ抜いて死ぬだけなんだから!』

「……そんなの、やだ」

『セレネだけで機械闘技やって、統一王者になって、ショウジさんとかと結婚して、幸せに暮らせばいいじゃない! あたしなんかいない方がセレネ……』

「お嬢ちゃん。そこまでだ」

『……、でも……』

「大体な、とかってなんだ。それに統一王者になるのは俺だ」

『ご、ごめんなさい。でも、あたし……』


 いいさ、と首を振って、辛そうに問いかける。


「本当に帰る方法、ないのか」

『はい』

「やだ、あたしはウルと帰る!」


 いいかげんにしてほしい。

 叩き出さない限り、ずっとセレネはここでぐずり続けるに決まっている。やっとの思いで自分はイザナミと同化する覚悟を決めたのに。

 我慢の限界だ。


『無理だって言ってるの! さっさと帰ってよ!』


 ウルが叫ぶとセレネとショウジふたりにコードが柔らかく、決して傷つけることのないように優しくからみつく。


「まってウル!」


 ウルは答えず、ふたりを融魂炉から放り出してしまう。着地地点にはコードが束になってクッションの代わりをしてくれた。

 セレネが立ち上がるのと同時に、きしゅっ、と隔壁が閉じ、完全に途絶されてしまった。


『あのね。あたしは死ぬわけじゃないの。イザナミとひとつになるってことは、星とひとつになるってことなの。だから、ね。……帰って。お願いだから』


 音声だけでウルが告げるとイザナミは沈黙してしまった。再度星とひとつになるため、ゆっくりと降下を開始し始めた。


『いままでありがと。……元気でね』


 そこでスピーカーは完全に沈黙した。


「……ウルを、かえして…………っ!」


 がんっ! と閉じてしまった隔壁を殴りつけた。

 返事は、もうなかった。

 イザナミはただ黙々と着地作業をすすめていた。

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