第二十三話 決戦
『ウルになにするの!』
強重槍の穂先を前に、地面すれすれまで下げ、ノリスへ爆発的な加速をかける。あんなひ弱な男に負けるはずがない。滑らかな挙動で、あのゴリラもどきの喉元へこの切っ先を突き入れる。セレネはもうそれだけを考え、実行する機械へと自らの意識を塗り替えた。
『遅いんですよ!』
右手の動きが見えなかった。肩口が動いたところまではセレネも視認していた。だがあいつがなにをしようとこっちの攻撃が絶対に速い、と踏んで加速を止めなかった。
『なんで!』
命中する寸前、束の先を握り止められてしまった。
『動くなよ、セレネ!』
三時から声。ショウジが大筒を構えていた。セレネはショウジを信じ、ショウジは迷いなく引き金を引いた。砲口から解き放たれた金色の大蛇が、獲物を求めて一直線に突き進む。
「えっ」
束に別の力が加わった。盾にされる、と判断した瞬間、セレネは槍の電源を落として手を離し、バックダッシュで逃げた。ノリスは槍を地面に突き刺し、避雷針に変えた。
『ちぃっ!』
素人かと思っていたが、違う。この判断力は、多数で一つと考える軍の訓練で身につくものでもない。踊士だ。そこでやっと合点がいく。機闘場に逃げ込んだあの日、踊士登録していなければ開かないドアをこいつはくぐっていた。こいつが踊士だったのだ。
『ショウジさん』
『俺がどうにかする。お前はイザナミに行け。行ってウルを……』
『させると思いますか?』
顔面を殴られた。視界が縦にひしゃげ、直後、地面が猛スピードで迫る。叩き付けられる寸前、両手をついて激突を防ぎ、間合いを取りながら立ち上がる。カグツチの目もまだやられていない。あいつは―いた!
『せえのっ!』
ダッシュ。ジグザグに、時折残像を落としながらノリスに迫る。横移動の振り幅はランダムに。現れては消えるこちらに目を回しているうちに速度を上げ、やがて音の壁を突破する。その衝撃波とヴェイパートレイルをめくらましに使い、一気にジャンプ。
―─いけるっ!
向こうは完全にこっちを見失った。あとは大上段に振り上げたこの右かかとを、ゴリラもどきの脳天に叩き落とすだけ!
『せえっ!』
命中!
『いまさらなにをしようと!』
だがゴリラもどきの足はわずかに沈んだだけ。
『なんでっ!』
ムリな態勢からセレネは左で回し蹴りを打つ。一瞬のうちに間合いを詰めたショウジが、それにタイミングを合わせ、ゴリラの左腕を影法刺で切り付ける。それも効果がなかった。
まだ空中にあるツクヨミの左足を無造作に掴み、
『うそっ!』
そのままツクヨミを、スサノオを巻き込むように投げつけた!
『きゃあっ!』
『うおおっ!』
それでもツクヨミを受け止められたのは、ショウジの反応速度が成せる技だろう。二着は地面を抉りながら大きく吹き飛び、強重槍の近くでようやく止まった。
両腕に抱きとめていたツクヨミを地面に下ろし、無線を使ってショウジは静かにいう。『見たな。あいつの装甲』
低く、確かな決意に満ちた声がセレネの鉢金の中に響く。それしか方法がないのですか―─問おうとしたが、止めた。それしかないのだ。
『……はい』
『やるぞ』
『はい』
あんなにも硬い金属をふたりは知らない。だが硬いだけだ。陶磁器のように粘りのない金属の破壊は、実は簡単だ。限界硬度を越える応力を一点に受ければ、その結晶構造はあっさりと崩壊する。ツクヨミの走査もそれを裏付けてくれた。その応力を生む連携もふたりなら作り出せる。
『どうです! 地人如きにこの装甲は破れません!』
高らかに宣言するノリスの背後ではイザナミが浮上を続けている。地面から完全に浮き上がり、もうセレネの身長ぐらいの高さまで上昇していた。小石程度だった落壁の大きさも、岩と呼べるほどの大きさになってきている。
鉢金に情報が踊る。『火星重力バランスに異常発生。大気密度、太陽光度ともに一厘減少』。―─急がないと。
『それは認めてやるよ。だがな、他人を認めようとしないヤツを、他人は認めてはくれんぞ。独りよがりで、頭でっかちになって、自分を認めない世界を呪いながら死ぬのが関の山だ』
ずぼっ、と地面に突き刺さっていた槍を抜く。まだ使えることを確認し、セレネに投げ渡す。
『踊士風情が!』
『もう戦争は終わったんです』
セレネの瞳に込められていたのは、殺意でも敵意でもなかった。渡された強重槍に電圧をかける。開け放たれたハッチから見た限り、でかいだけで操縦方法はツクヨミたちと大差ない。ならば、胸を貫けば動かなくなる。
『ウルを、かえしてもらいます』
前に出たショウジは囮だ。影法刺を腰溜めに構え、腰を落としてまっすぐに走る。フェイントもめくらましもなし。あるとすれば音の壁を越えた衝撃波ぐらい。今度の速度はさっきの五倍。視認できる速さと距離ではない。
『くっ!』
ノリスは反射的に両腕を交差。反撃ではなく防御を選んだ。左腕が前に出たのは好都合だった。狙いすました一撃は、さっき自身が切りつけた個所を鮮やかに切り裂いた。
『そんなもので!』
しかしダメージはまだ浅い。装甲に傷は付けられたが、破壊には至っていない。後一押し。それもあの加速あっての物種だ。スサノオに二撃目はない。そう判断し、反撃に出ようとしたノリスが見たもの。しまった、こいつがまだ!
『ウルを、かえしてぇっ!』
一直線に、槍を低く、穂先が地面すれすれを走るツクヨミの姿だった。反射的にダメージを負った左腕を前にして交差させる。
『わああああっ!』
まず左腕が、部品を花火のように撒き散らしながら粉砕された。だがその奥には無傷の右腕が残っている。穂先が当たる。出力、最大!
『ばかなっ!』
穂先に集中させた重力刃は、硬いだけの結晶構造をきれいに引き裂く。その中にある内部骨格など物の数ではない。勢いは微塵も衰えない。あとは胸部装甲。胸部の電脳へ―─、絶対、貫いてみせる。そうしないと、ウルは永遠にかえってこない!
『終わりですっ!』
穂先の角度をあげ、前のめりになっている胸部へ、下から突き上げるような一撃を!
『なぜです! この鋼材は、絶対に打ち破れるはずがないのに!』
『そんなものはねえよ。家族の絆を引き裂いた時に、あんたは負けたんだ』
『地人がぁっ!』
冷徹なノリスの表情に、醜悪なまでの憎悪が滲み出る。だがそれも、装甲の下だ。ふたりが目にすることはなかった。
『うるさいっ! 他人に責任をなすりつけるばかりのあなたたちに、ウルは渡さない!』
流す涙は誰に向けられたものだったのか。同情はきらいなのに。ゴリラもどきの胸部装甲にヒビが入る。次の瞬間には、装甲は凄まじい断裂音を発して穂先の貫通を許した。
この期に及んで、ノリスはまだ諦めていなかった。
穂先が自分へ届く寸前、背中のハッチを解放し、そこから脱出した。あと数秒でもタイミングがずれていたら、彼の胸もまた貫かれていただろう。そのまま、振り返らずに天井近くまで浮上したイザナミに走っていく。
ショウジが追いかけるが、先行しているはずのセレネの姿がない。まさか、と思って振り返る。
ゴリラもどきの全身が小刻みに震え始めた。動力源であるナノブラックホールが、電脳を破壊されたことで制御できなくなっている。
『はやく離れろ、セレネ!』
ツクヨミに、助けを求めるように被さるゴリラもどきの姿は哀れでしかなかった。
「ごめんね。あなたはなにも悪くないのに」
死にゆくこの人型になにも手向けられるものがない。支えになっていた強重槍を抜き、バックダッシュで離れる。両腕を失ったゴリラもどきは、前のめりに地面に倒れた。
黒い光があふれだし、次の瞬間に自らを動かしていた、微細な漆黒の光粒、ナノブラックホールに全身を食い尽され、圧壊。光粒もまた次々と蒸発していく。
あとには、なにも残らなかった。
ふたりは走り出した。
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