第二十二話 家族の帰る場所

 セレネは冷静に見えた。

 あらゆる感情が激しく強く渦巻いて、感情がどの方向にも倒れられず、結局透明な表情になっているのだろう。

 感情の奔流にぐるぐる回されて動けなくなるよりはマシだから、とショウジもセレネ自身もそれについては追求しなかった。

 セレネの中心にあるのは、ウルのことだけだ。ウルがいるからセレネは社長をやり、機械闘技に出場している。出発前、ショウジに笑われた。あまり背負い込むな、とも言われた。真剣な顔で。


「ウル……っ!」


 ノリスという男、何があそこまで彼を駆り立てるのだろう。純血の天津人だと言っても、ウルはただのおんなのこだ。将来は第一都市で王座争いをする踊士になるだろうが、地球人でもたまにいる超能力者のような特殊な力は持っていないのに。

 考えても分からないことは、考えないだけだ。

 不要な思考の種を育てるのは、いまは止めておこう。得体の知れないモノを心の内に飼うということは、不安を育てることと同義であり、不安は敗北を不幸を呼び込むのだから。


『見えてきたぞ』

「はい。こちらも光学映像でとらえました」


 人型が全力でダッシュすれば音の壁を容易に越える。西半球に街がないことも手伝ってふたりはほんの数刻でイザナミが埋まる地下空洞に到着できた。


 まだ距離は十二分にあるというのに、視界に収まり切らないほどの巨大な宇宙船イザナミと、その前でひとり立つノリスの姿があった。


「案外、お早い到着でしたね。あれだけ痛めつけられ、拒絶されてもまだ、あなたはウルを守ろうと言うのですか?」

『そうよ。ウルはあたしの大切な家族ですから』

「そんなことを言って、本当は殺しに来たのでは無いですか? 痛めつけられた意趣返しを、火星を守るための大義名分にすり替えて」

『そう思いたいなら、そう思っていてください』

 

 不愉快な会話は強引に打ち切るのが一番いい。まだ何か言いたげなノリスを無視してセレネはイザナミを観察する。

 薄い唸り声をたてるイザナミが宇宙船としての機能を取り戻そうとしているのは、門外漢のふたりにも推察できたし、ツクヨミが走査した結果がそれを裏付けした。本当にウルはイザナミを浮上させる気だ。

 だがそのウルの姿がない。またあの男がなにかやらせているに違いない。武装を強重槍ひと振りだけにしてきたことが悔やまれる。燦暗光か九連砲塔ぐらい担いでくればよかった。

 後悔もそこそこに、セレネはノリスに宣言する。


『ウルを、かえしてください』


 ノリスは冷淡に言い放った。


「ウルはもうあなたの手の届かないところにいます。どの道あなたがたは死ぬのです。でしたらせめて、ウルの手にかかった方が幸せでしょう。……ウル、出番です」


 セレネたちとノリスの間に一抱えもある漆黒の球体が生まれる。ぬっ、と最初に突き出たのは足ではなく異常に太い両腕だった。


 ―─ウル……っ!


 球体が収縮、消滅するとそこに残ったのはあのゴリラもどきだった。

 後ろ腰の強重槍を手に取り、束を伸ばし、構える。隣のスサノオも強重斧を右手に、油断無く構えている。

 

「さあウル。今こそご両親の仇を撃つ時です」


 だがウルは動かない。


『ウル?』


 セレネの声に、ウルが反応した。


『……なんで来たの』


 冷たい声だった。


『なんでもなにもないよ。そんなの脱いでさ、一緒に帰ろう』

『来ちゃだめだって、言ったじゃない!』


 ゴリラもどきが動く。見かけを裏切る速度で間合いを詰め、右拳を振りかぶる。拳の向かう真っ正面に立つセレネに迷いはない。

 別れたあの日から、ずっと考えていた。

 もう一度会えたら何て言おうって。

 色々考えて考えて、出てきた言葉はたった一つだった。

 すぅ、と大きく息を吸い込んで、その一言にありったけの気持ちを込めてぶつける。


『いい加減に、しなさいっ!』


 たったそれだけの言葉で寸前まで迫っていた拳はぴたりと静止し、次の瞬間には全身から力が抜けてその場に立ち尽くしてしまう。


「何をしているのです、ウル! 早く攻撃を!」

『うるさい、黙れ!』


 ふたりの怒号がノリスを貫く。多分初めて、怒号に怯んだ。

 ばしゅん、とツクヨミのハッチが開く。あの時と同じに、鉢金も外した。


「ごめんね、ウル。電文、読んだよ」

『え、カグツチっ!』


 セレネはゆっくりと首を横に振る。


「あたしが勝手に見たの。カグツチは何も悪く無いよ」

『……そう……。なんで、見るのよ』

「見て、欲しかったんでしょ?」

『そんなこと、無い』


 意地を張るウルがかわいかった。セレネは笑顔を浮かべ、言葉を続ける。


「……ウル。確かにあたしは、あなたのご両親が殺される現場にいました」

『待って』

「あたしはその時もカグツチを着ていたのに、何もできなかった。だから、ウルのご両親を殺したって言われてるの。これが全部。……ごめんね。いままで黙ってて」


 やっと言えた。


『なんで、いまさら……っ』


 うなだれ、肩を落とすウルに、優しく声をかける。


「ごめんね。気付いてあげられなくて。でも大丈夫だよ。ウルが心配するような連中が来ても、あたし、全部ぶっ飛ばしてみせるから」


 もう大丈夫。ちゃんと笑顔になれる。


「だからさ。あたしの家にいたくないなら、出てっていいよ。ちゃんとした大人のひとにお願いする。代わりにっていうんじゃないけどさ、イザナミ、止めてくれると嬉しい」


 これで全部だ。言い残すことはない。

 満月のような笑顔でウルを見つめた。


『やだああああっ……』


 泣き声とともに、ばしゅん、とゴリラもどきが圧搾空気を吐き出し、ハッチを開いた。


『セレネのところが、いい……っ』

「なんで」


 だがそこにいるはずのウルの姿がない。


 ―遠隔操作? だからあんな単純な……違う、そうじゃない!


「どこから動かしてるの! ウル!」


 ツクヨミに、イザナミ内部を含めた地下空洞全体の生体反応を走査してもらい、セレネの網膜に投影させる。数は―三?


「数が違うじゃない! 四つはなきゃいけないのに!」


 何度再調査を実行しても、その数に変更はなかった。


「ウルなら、この船の中です。しかし、もう遅い!」


 本当に遅かった。イザナミはエンジンを完全に起動させてしまった。低い唸り声が徐々に大きくなり、やがて地響きへとその姿を変えた。天井の照明が明滅し、同時にぱらぱらと土が落下してくる。

 まずい。

 イザナミが浮上してしまう。

 危機を察知したツクヨミが自動的にハッチを閉める。


『ウル、やめなさい!』


 目の前のゴリラもどきのハッチも閉じた。


「ふふふ、は、ははは……」


 念願が叶う。この瞬間のためにノリスは生きてきたのだ。その喜びは狂喜となり、彼を哄笑へと導いた。


「ふふ、御影セレネ、あなたにはここで消えてもらいましょう。ウルが余計な未練を持たぬように!」


 無人のままゴリラもどきはノリスの元へダッシュ。彼の前に立つと恭しく膝を折り、ハッチを開いた。


『なにするのよ! 入ってこないで!』


 音声だけのウルが金切り声を上げる。


「ウル。あなたはイザナミを浮上させることだけを考えて下さい」足をハッチにかけ、そのままゴリラもどきを羽織る。「ウルに迷いを生むあの女は、私が消してさしあげます」

『やだやだやだ気持ち悪い! 入ってこないで! あんたなんか……!』


 ハッチが閉じる。


『助けてセレネ! こんなのやだぁっ!』

『ウル、あなたはイザナミをお願いします』

『セレネぇ……っ』

『ウルになにするの!』

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