第二十話 命を運ぶ船

 第零番都市イザナミ。

 約二十年前、日本人が天津人あまつびとたちとともに火星の開発を始めたとき、その環境を地球と似せるために根を下ろした宇宙船だ。イザナミと名付けたのは勿論、これを譲り受けた日本人だ。

 天津人たちは初進出となる星系へ商売に出る時は必ず、惑星を改造できる船を商船団に組み込んでいる。理由は様々だが、惑星改造の任を受けた船は、三百年をかけてゆっくりと星の環境を変え、終了すると星と融合して一部となり、二度と飛び立つことはない。

 だがそれまでの間なら、条件が揃えば星から飛び立たせ、再び真空の海を翔ることができる。

 イザナミの薄暗い通路の一角で、ウルはノリスから計略を聞かされていた。


「……なにそれ。イザナミを動かしたら、火星に人なんか住めなくなるじゃないの」

「理解しています」

「あのねえ! いま火星で暮らしてるひとが全員死ぬって言ってるの! なに平気な顔してるのよ!」

「事前の通達は行います。それで十分でしょう」

「そんなことで何が変わるのよ!」


 怒りで頬が赤くなったのが、自分でもはっきりと分かった。


「いきなりそんなことを、あんたなんかに言われたって!」がんっ! と壁を叩く。「パニックが起こるか、誰も耳を貸さないかのどっちかじゃない!」

「それは受け取る側の自由です」


 さらりと言ってのけた。

 本気、なのだ。自らの野望の為ならば、無関係な人々の命などこいつは簡単に消し去ってしまう。その片棒を押しつけられている、と察したウルは、


「もう知らない。世界を滅ぼしたいのなら、あんたひとりでやって」


 自分しかイザナミを浮上させられない。ならば、自分がイザナミから降りればこいつの野望は潰えるのだ。

 背を向けて歩き出したウルに、ノリスは動揺した様子はない。


「どこへ行こうというのです」


 ウルは振り返らない。


「あんたの知らないところよ」

「どこへ行こうと同じですよ」


 壁に反響して幾重にも絡みついてくるノリスの声なんかもう聴きたくない。一度立ち止まって大声で怒鳴った。


「あんたには関係ない!」

「大いにあります。こちらにも予算が限られていますから」

「うるさいって言ってるの! ミカエル!」


 着心地は最悪だが、いまはあのゴリラもどきぐらいしか頼れるものはない。あいつは、ばかだけど結構素直だ。野良犬をしつけるよりはきっと楽だろう。用心の為、後ろ腰に付けていた鉢金をたぐり寄せて被り、コマンド!


「壁をぶち破って!」


 壁の向こうにゴリラもどきがやってきた。指示通り拳を振り上げる。


「あなたという人は、世の中をまるで分かっていませんね」


 全く臆した様子のないノリスに、ウルはゴリラもどきを制止した。


「まってミカエル」

「どうしたのです? ここから逃げるのでしょう?」

「どういう意味」

「あなたはまだ幼い。眠る場所はともかく、食事はどうするのです? またどこかに居候するのですか?」


 ノリスが浮かべた、卑屈極まりない笑みを、ウルはきっと一生忘れない。


「あのさあ、なんであんたってそういう言い方しかできないの? 言いたいことがあるならちゃんと言って!」


 いいでしょう、とノリスは目を細める。


「セレネさんのように、強いひとなら良いですね」


 だからそういうのが、と怒鳴ろうとして、本意に気付いた。


「あんたたち、まだ戦争やる気なの!?」


 またあんな思いをしろと言うのか。

 せっかく仲良くなれたのに、肉親以上に大切なひとを裏切って、非道いことを言って逃げ出すような真似をやらせるのか。こいつは。


「ええ。私が必要なのはあなたの身柄なのです。その為に無能の地人たちがどうなろうと、私には関係ありません」

「そこまでして、なんで!」

「子供が知る必要はありません」両手を広げ、「さあ、どこへなりともお逃げなさい。ですがその都度私はあなたを追いつめます。不格好な人型を連れた銀髪の少女はどこか、と尋ねればすぐに足取りは掴めるでしょうね」


 悔しい。自分はまだ子どもで、自分一人を食べさせることもできない。

 だからといって大人に頼れば、こいつらはその大人をまた狙うと言う。

 いまさら、どんな顔をして戻れというのか。

 セレネには、もう、嫌われてしまったのだから。

 あの満月のような笑顔に泥を塗りつけて、自分は逃げ出したのだから。


「ひとりで生きていくぐらい、できる!」


 例えボロ布をまとい、貧民街に身を寄せ、食うや食わずの生活をするのだとしても。


「火星を滅ぼすなんて、誰がやると思ってるの!」


 ノリスは薄く笑う。自分が優位なのだと信じて疑わない笑みで。


「セレネさんは所在地も知られ、知名度も高いのですよ」


 もう、我慢の限界だ。


「あんたねえっ!!!」ゴリラもどきに指示。「ミカエル! やっちゃいなさい!」


 直後、耳をつんざくような轟音と共に、ウルの右手側の壁が膨らんだ。あのばかでかい両腕はダテではない。


「わ、私を殺せばセレネさんは射殺されます」


 そんなものは嘘だ。なぜならば、


「ミカエルが全部教えてくれた!」

 続けざま二撃目を指示。

「あんたたちにそんな能力は、無いって!」

 壁のふくらみが、廊下の半分にまで達する。


 もっと冷静になれば良かった。

 御影邸は腐っても人型の工房だ。一着で歩兵一個大隊に相当する人型を多数保有する工房の保安設備は軍のそれと同等以上。例え会社が困窮していても、軍のバックアップは必ずある。

 その警備網をくぐり抜けられるような狙撃手は、北米にはもういない。


「あたしを狙ってるのが、あんただけだってことも!」


 三撃目。壁のふくらみの先端がほつれ、破片がノリスに降り注ぐ。

 なぜ敵の言葉を信じた。

 自分がばかな子どもだからだ。

 なぜセレネから逃げた。

 セレネを守りたかったから。

 セレネは軍人になってまで自分を護ってくれている。負担を少しでも減らしたかった。


「でもそんなこと! あたしが大人になれば良かっただけなの!」


 四撃目。外壁が完全に破れる。空いた穴からゴリラもどきの巨躯がのぞき見える。


「わあああっ!」


 五撃目。空いた穴から、大人の身長ほどもある巨大な拳が、ノリス目がけて、


「止まりなさい! ミカエル!」


 命中しなかった。紙一枚ほどの余白を残し、ゴリラもどきの拳はそこで止まっていた。

 ゴリラもどきになにが起こったか、調べるまでもなかった。


「強制、停止……っ!」


 網膜映像を埋め尽くす、命令拒絶の文字と、呼吸する度にエラーと認識されて噴出される赤い光がウルの瞳を灼いている。


「その通りです。子供に武器を、ただ持たせておくわけはないでしょう」


 いつウルが反抗してもいいように、ノリスは音声入力でゴリラもどきを停止できるように仕組んでいた。このプログラムを削除すれば、ゴリラもどきの電脳に深刻な損害を与える罠まで張って。


「動いて! ミカエル!」


 直接着込めばあるいは、と彼が開けた穴に走り出すウル。ノリスはまだ拳と壁の隙間から抜け出せていない。

 そのはずだった。


「子供は」


 声はすぐ傍で聞こえた。


「黙って大人の言うことを聞いていればいいのです!」


 !? なんで!


 ごっ、と後ろ首に強い衝撃が走り、次の瞬間には視界が暗転していった。


「……レ、……ネ…………っ」


 自分は死ぬのだと、薄れゆく意識の中でウルは理解した。

 セレネをだいっきらいだと言ってしまったのだから。

 これは、その罰だ。


     *     *     *


 ずる、ずる、と重い何かを引きずる音がイザナミの通路に反響する。

 イザナミを動かす条件のひとつ。処女が乗船すること。

 以前ノリスが言ったように、純血の天津人は太陽系にはほとんど残っていない。来訪から今日までの百数十年の間に血は交わり、あるいは彼の国に虐殺され、それを嫌った者たちは太陽系から逃げていったからだ。


「迷路ですね、まるで……」


 気絶したウルを、ノリスは引きずって運んできた。

 イザナミのもう一つの動力炉、融魂炉へと。


「ようやくだ。……もうじき会える……、母さん」


 地球には、彼の母がいる。

 彼の一家は、十三年前―第一次大戦が終結した年に―技術者として地球へやってきた。しかし大気圏突入時に船が事故を起こし、北米に不時着した。そこから全ての不幸が始まった。

 天津人の超技術だけを欲しがる北米政府は、かつての江戸幕府とは真逆の行動に走り、その船の乗員を全て拘束した。

 技術供与を拒否した天津人に対し、逆上した北米軍は大人の男性を全て殺し、女性は慰安婦へ貶めた。ノリスたち少年少女は軍から再教育と言う名の強制労働に就かされ、その過酷さから、ノリス以外の十三人は全員が死亡した。

 手駒にできると思ったのか、軍上層部はノリスへさらなる過酷な任務を与え続け、火星に戦局を打破できるイザナミがあると知ると奪取命令を下した。

 唯一生き残っていた母を人質にしてまで。


「見ていろ……、無能の地人ども……っ!」


 イザナミと言う戦力があれば、ひとりで国を滅ぼすぐらいは簡単なことだ。母を助けたあと、じっくりと、同胞の恨み全てを晴らし、ついでにあの小国も消し去っておこう。あんな幼稚で低脳で野蛮な連中が宇宙にいるなんて、不愉快極まりない。

 イザナミの最深部にある融魂炉の前でノリスは一度立ち止まり、ウルから手を離した。


「裸体でなければ、受け付けないのでしたね……」


 融魂炉は命そのものを糧とする。血の通っていない衣類や装飾品は受け付けない。

 まだ気を失っているウルから衣服を乱暴にはぎ取り、ノリスはドアを開ける。

 その部屋は薄暗く、案外広かった。

 手前にスイッチが整然とならぶ操作盤があり、その奥にもう一つ、球形の部屋がある。その部屋は壁が白一色で統一され、暗がりの中でもぼんやりと光っているように見える。

 イザナミを動かす条件のもうひとつ。

 乗船した処女の命をひとつ捧げること。

 イザナミは日本人が天津人の組合に加盟する以前に建造された船なので、地球人の血が入った者ではイザナミの融魂炉は受け付けない。


「あそこか」


 ウルを引きずろうとしたが、乾いた床に肌が引っかかってうまく運べない。仕方なく肩に担ぎ上げ、最奥の白い部屋に放り込んだ。


「……ぅ……」


 呻き声と共に、ウルが目を覚ました。出てこられてはまずい、とノリスは操作盤を叩き、鍵をかけてしまう。施錠の音でウルは完全に目を覚まし、立ち上がった。


「あんたねぇっ!」


 ばんっ! とドアを窓を叩き、ウルがノリスに牙を剥く。自分が裸にされていることなど、もはやどうでも良かった。


「静かになさい」


 ウルを見ることもせず、ノリスは操作盤を叩く。直後、


『!!!』


ウルの未成熟な裸身が反り返り、髪を振り乱し、声にならない悲鳴を上げる。はいつくばり、せめてもの反撃として顔にかかった銀髪越しにノリスを睨み付ける。


『あんたなんか……っ! あんたさえ、来なきゃ……っ!!』


 セレネと一緒に平穏な日々を過ごしていただろうに。自分は機械闘技に赴くカグツチの調整をやり、セレネは連戦連勝を重ねて暦は予約の印で埋め尽くされるような、忙しいだろうけど充実した毎日を。


「もう逃げられません。ウル、今からあなたはイザナミを起動させるための礎となってもらいます」


 ノリスは冷淡だった。

 ウルは、獣のように吼えた。


『……誰が、そんなことを!』

「あなたの意思は関係ありません」


 操作盤を叩く。融魂炉の白い壁が輝きを増す。激痛が再度、ウルを襲う。


『ああああっ!!!』


 激痛の中、少し分かった。

 イザナミの構造と、どこをどうすればあいつに反撃できるかを。強くイメージすればいい。あいつを、やっつけると!


『あんたなんかぁっ!』


 壁に埋め込んである拡声器を使い、ノリスに超音波と高周波をぶつける。


「ぐあああっ!」


 脳を直接かき回されるような激しい頭痛と、体液全てが沸騰する高温が体内から湧き上がる。

発狂寸前の激痛にノリスは床をのたうち回り、嘔吐した。吐瀉物が周囲に散らばり、胃酸と血のにおいが混じった異臭が触媒となってさらなる吐き気を呼び起こし、胃の中の物全てを戻し続けてもまだ収まらなかった。


「子供がぁっ!」


 口元に胃液を滴らせながら反撃を試みるノリス。だが防ぎようの無い攻撃に立ち上がることもままならない。

 ウルはウルで、この部屋の鍵は開けられないことも理解した。ぺたりとその場に座り込み、壁に頭を何度もぶつけた。


 ―─セレネ、セレネぇ……っ。


 絶望の中ウルは、暖かな声を聞いたような気がした。

 大丈夫だと、怖がらなくていい、とその声は言っていた。

 ウルは、その言葉を受け入れた。

 セレネに似ているような気がしたから。

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