第十七話 出会いのその後

 翌日。


「おはよ~ございます~」


 セレネの心は比較的安定している。今日の寝坊も、普段の試合での遅刻癖を鑑みれば良い方向に向かっているのだ、とショウジはしばらく見守ることに決めた。


「おう。おはようさん」


 ──本当に猫と大差ないな……。


 呆れるショウジの視線に首を傾げつつ、ねぼけ面でよろよろと居間の奥へ進む。淡い桜色の寝間着もボタンを掛け違えていて、歩く度にすらりとした鎖骨と形のいいヘソが見え隠れしている。目のやり場に困る。


「おいしそうですね~」


 ショウジの前にはつやつやの白米と焼き鮭と白菜の味噌汁がおいしそうな湯気を立てて並んでいた。セレネが起きて来る気配が無いので彼は先に箸をつけていた。


「先に食ってるぞ」

「はい~」


 寝間着から着替えもせず、さらに言えば乱れも一切直さず、おひつの前にぺたりと座り、よいしょ、とふたを開け、ほこほこと上がる湯気を胸一杯に吸い込む。ショウジがわざと付けたお焦げの、ほんのり苦みの混じった香りに一度陶酔し、もったいなく思いつつ肺の空気を吐き出し、新たに湯気を吸い込む。とっくに無くなったはずの、おひつの檜の香りまで蘇ったように感じる。


「よいしょ……っと」


 そしてしゃもじを右手に、左手には力士でも敬遠しそうな丼を握りしめ、そこへめがけ、何の躊躇もなく銀シャリをよそっていく。


「……まあ、いいけどよ」


 昨日はあんな姿を見せた手前遠慮していたが、彼女は大食漢だ。三食これだけ食べてもそのすばらしい体型に破堤がない。ウルも一緒に食事を採るようになった頃はセレネの体質を不思議がっていた。ショウジからすれば見事に食べ尽くしてくれるので作り甲斐はあるが、この会社の経営状態の悪さはむしろ、社長の食費が原因ではないのかと余計な危惧までしてしまう。

 盛りつけがやっと終わった。思わず見上げてしまうほどの山盛りを前にセレネは、えへへ~、とだらしなく笑う。


「なあ、ひとつ確認したいんだが」

「……はい? あ、このご飯は、ちゃぁんと全部食べますよ」両手を合わせ、いただきます、とつぶやく。

「ショウジさんが炊くご飯っておいしいから……」


 箸がすすむんです、と続けようとしたが、普段以上に鋭いショウジの視線に遮られてしまった。


「そうじゃねえ。本当はメシ食ってからにしたかったんだが、いいか?」


 さすがにセレネも口調の厳しさに気付いた。今まさにその頂を昇ろうとしていた箸を机に置き、湯気を昇らせるどんぶりを置いて居住まいを正した。


「? はい。いつでもどうぞ」

「なんで冤罪だと主張しなかった?」


 事情を知っているわけではないが、あのやりとりを見れば大体のことは推察できるし、セレネが人殺しをやれるような性格でないことぐらいも分かる。

 セレネの両肩がぴくり、と動いた。

 また暴れ出すかと覚悟を決めたがそうはならない。視線をさまよわせ、言葉を選び、ようやく告げた。


「なにを、なにをどう言い繕ってもだめなんです。あたしは、ウルの両親が殺される現場にいました。その時もカグツチを着ていたのに、なにもできなかったから。だから、あたしが殺したんです」


     *     *     *


 翔和しょうわ四十年、晩秋。日本。

 小雨は大粒の雨へと勢いを増していた。


「……せんば、さん…………」


 射出された敵弾は一発。だが二段構えの弾だった。着弾や被迎撃後、弾の外装だけが爆発し、すぐさまその内側に控えている重力弾がその牙を剥く仕組みの。

 重力弾は着弾と同時に数秒間の超高重力場となり、その範囲が及ぶすべてを圧壊しつくす。天津人の重力制御技術がもたらした、銀河史上最悪の兵器だ。

 ウルが助かったのは偶然でしかなかった。一度目の爆発時、彼女はバランスを崩して川に落ち、下流に流されたおかげで圧壊の魔の手から逃れられた。

 ウルの両親も、トラックを運転していた千場も直撃を受け、死亡した。動揺しながらもウルを救出したセレネは、一台残った治療機械を厚木の野戦病院に運んだ。


 それからがひどかった。


 当時のウルは世界のすべてに怯えていた。大人は恐いもの。父と母を苦しめ、笑顔を奪う悪いやつ。保護してから数カ月は近寄るものすべてに噛みつき、お前なんか嫌いだ。あっちいけ、と泣きわめいていた。

 しかしセレネにだけは、助けてもらったことの恩義を感じていたのか、彼女の足下をくっついて離れようとはしなかった。

 時期が重なったのは全くの偶然だが、この事故から数日の後、体勢を整えた日本軍は硫黄島沖に展開していた米艦隊を徹底的に叩き、一夜にして撤退させた。

 これで北米軍に残された戦力は本土防衛に残された僅かな量と、孤立無援となりながらも相模湾周辺でゲリラ活動を行っている数隊だけとなった。

 日本政府は協力関係にある東アジア各国と連名で降伏勧告を北米政府に提出し、二度目の世界大戦は終結を迎えた。


 戦況は落ち着いたがゲリラの影響が色濃く残っていて火星行きの船はまだ出せない。そんな状況下で、セレネは帰投しそこなった米兵の探索を手伝うことになった。

 敵地で行うゲリラ戦とはつまり捨て駒と同義であり、司令部も戦果を期待してはいなかった。そのため通信機など持たされてはおらず、捜索は人海戦術に頼るほか無い。

 発見したら投降を呼びかけ、攻撃を受けたら可能な限り無力化し、捕虜にする。不可能なら発信器だけは取り付け、最悪の場合は反撃の許可も受けている。逃亡されたら軍に報告し、あとの処置は丸投げしていいと言われている。

 じっとしていると罪悪感から脳が破裂しそうになってしまうセレネにとってはありがたかった。

 初日の今日はカグツチと共に軍から割り当てられた中津川周辺を、あの事故のあった周辺を見回っている。この場所を命じられたのは運命のいたずらとしか言いようがない。せめて場所の変更を申し出ようとしたが、出来なかった。

 忙しさからどこにも預けられないウルをずっと連れ歩いていたことがすべての要因だった。


「ほら、もう帰るよ」

「やだ! お父さんとお母さんと一緒にいる!」


 さっきからずっとこの調子だ。川岸にしゃがみ込んで半球状にえぐられた爆心地をじっと見つめているだけで、ちっとも動こうとしない。

 捜索場所の変更を許さなかったのは、ウルのわがままだった。

 カグツチの上半身は後ろに逸らし、自分の足を突っ込んだだけの、いわゆる半脱ぎの状態でセレネは歩き出す。


「はいはい。分かった分かった」


 ウルの首根っこを補助腕で子猫のように掴み上げる。懸命に踏ん張る小さな踵をずるずると引きずって川岸から引き剥がした。


「やだ! やだ!」


 暴れるウルはいまのセレネの心だ。セレネだって本当は千場を亡くしたショックで心がねじ曲がって砕けそうなのだ。


「あーもう、うるさいっ!」


 だからウルに冷たく当たってしまう。


「離してよ!」

「はいはい」


 ぽいっ、とウルをトラックの助手席目がけて放り投げた。その行方を視線で追うこともせずに無線でドアに鍵をかける。ウルは窓ガラスを激しく叩きながらセレネに抗議している。


「お姉さんには関係ないでしょ! ほっといてよ!」

『うるさいって言ってるでしょ!』


 外部音声も使って大声で怒鳴りつける。ドアも窓もトラックもびりびりと震えた。予想もしていなかった反撃にウルはついに泣き出してしまった。


「だって、だって、だって……」


 五才のおんなのこにやり過ぎた、と反省したが、あやすような心の余裕もなく、セレネは放置することにした。

 心が裂けるような痛みを受けると分かっていても、セレネはここに来たかった。振り返って爆心地へ手を合わせる。


「……千場さん……」


 千場たちへの追悼と、もうひとつ。

 懐に忍ばせていた短刀を取り出す。


「……」


 一度深く息を吐いて、短刀を抜く。柄を口で咥えると腰まである黒髪をうなじのあたりで束ねた。

 目を閉じ、束ねた根本に刃を当てる。


「っ」


 自慢だった。髪は奇麗なんだよな、と千場も褒めてくれた。

 刃を真横に滑らせ、セレネは黒髪を切り落とした。

 自分が無能なせいで尊い命を失った。

 自分もここで一度死ぬのだ。

 けれど、まだ本当に死ぬ訳にはいかない。

 せめてあの子が成人するまで守る為に。

 切り落とした髪は意外と重かった。カグツチに手伝ってもらいながら一重に結び、足下に穴を掘って髪を埋めた。


「いってきます」


 千場たちの遺体は発見されていない。だが、セレネが死の現場を目撃している以上、行方不明にはならない。千場は青森へ疎開している彼の家族へは出雲機工社と軍の両方から連絡がいった。面会したい、とセレネは申し出たが、返事はまだない。

 カグツチの上体を戻して袖を通し、胸腹部を閉じる。レーダー。半径十町圏内に機影及び敵影、火薬の反応無し。次はもっと下流へ移動する。


『ほら、シートベルト締めて』


 トラックの運転はカグツチから無線で行い、ウルには運転できないようにしてある。涙で顔がべしゃべしゃになっているのは、さすがにかわいそうだと思った。


 セレネは走り出した。

 ここへはもう、自分ひとりでは絶対に来ないと決めた。

 泣き崩れるに決まっているから。

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