第十六話 自己紹介
カグツチを撃破し、セレネと決別したウルはノリスのトラックに乗って移動していた。
ふたりを乗せたトラックは第三都市を脱出し、それぞれの都市を繋ぐ主要道路をも外れ、いまはどことも知れない荒野を走っている。運転するのはノリス。ウルは助手席でシートベルトもつけずにずっとうつむいている。その横顔をノリスはちらりと見ただけ。
「……しかし、あそこまでなさるとは。セレネさんを守りたかったのでしょう?」
ゴリラもどきを渡す直前、ふたりは約束を交わした。
セレネを倒し、ウルとセレネが無関係であることを証明すること。
徹底的に嫌っていると示すことで、セレネのウルに対する未練の一切を断つこと。
ただ出て行くだけでは、セレネはきっといつまでもウルを追いかけて、その身を危機にさらしてしまうから。
「そうよ。カグツチは重力膜を最大にしてたし、ショウジさんがすぐに飛び込んだわ。だからセレネは生きてる」
セレネが好きだから。
両親を殺したことだって、きっと理由があるんだろう。
それを聞くことは、もう出来ないけれど。
「まあこれで、セレネさんも諦めがついたでしょう。あの国の人間はブシドーなどと戯言を口癖にして、潔さを美徳としていますから」
「あんたなんかに踊士の、武士の気持ちなんて分からないわ」
「そんなことはありません」
ちら、と横目でノリスを見る。ひ弱を絵に描いたようなこいつが、踊士の気持ちを理解できるとは思えなかった。
「無理に話を合わせてくれなくてもいい」
そうですか、とノリスはつぶやき、話題を終わらせた。
窓の外に目をやる。と、ウルは進路に違和感を感じた。
「……ねえ、こっちは西半球に出る道なんだけど。火鋼の鉱山があるだけで民間用の宇宙港はないわ……よ」
口にした直後に後悔した。けれど、誰かに助けてもらえる筈もない。どうにでもなればいい、と思い直した。
確かにウルの言うように、西半球に都市は無い。第四、第五都市も東半球で建造中だ。
西半球は火星の主産物である火鋼の鉱山を始めとして、林業、農業用の山や畑が広がる牧歌的な地域だ。そこで働くひとたちの集落と貨物用の港があるだけで、観光目的以外の一般人はまず立ち寄らない。
「私たちが向かうのは地球ではありません。ウル、『イザナミ』をご存じですか?」
思いがけない向こうからの質問に、ウルはつい真面目に答えてしまった。
「え、えっと、日本の神話で、旦那さんのイザナギと一緒に国を造った女神さま。それがなに?」
乱暴な解釈だが、大筋は合っている。
「正解です。ですがハズレです」
「むぅ、なんでよ」
「火星の都市は本来、日本古来の神々の名前をつける予定でした。第一都市は『アマテラス』、第二都市は『ツクヨミ』、あなたたちが逃げ隠れていた第三都市は『スサノオ』という具合に。ですが、日本人以外の移民から反対意見が出され、結局はいまのように番号だけで呼ぶことになりました」
だからなんだ。火星都市の成り立ちなどいまは関係無いことだろうに。唇を尖らせてノリスを睨んだ。
ウルの威嚇などまるで意に介さず、ノリスは説明を続けた。
「イザナミは言うなれば第零都市。私たちはそこへ向かうのです」
「ふうん。で、どこにあるのよ。あたしだっていま初めてイザナミのこと聞いたのに、地球人のあんたが知ってるの?」
「所在地については問題ありません。そこにある船で地球へ向かうのです」
「なによそれ。あんたの仲間でもいるの?」
「そんなところです」
肩透かしを食らって文句を言いたくなったが、ぐぅ、とお腹が鳴った。
「ねえ、お腹空いた。今日は朝ご飯しか食べてないんだから」
「がまんしてください」
うらめしげな声でウルはつぶやく。
「お腹空いた」
* * *
「ごちそうさまでした」
「おう、おそまつ」
ショウジが用意した朝食は、ほどよい歯応えの白米、残り物の豆腐とナスを使ったみそ汁、絶妙な配合の出汁巻き卵。あとは縁側に吊し干してあった鯵の開きとキュウリのぬか漬けの合計五品。さして珍しくもない献立だが、だからこそ、その実力も如実に現れる。
その味にすごいすごい、と無邪気に感心しながら食べるセレネがくすぐったかった。これぐらいはちゃんとした人のところで修行すればすぐに身につく、と謙遜していた。
「え、ショウジさんって料理人なんですか?」
「昔は憧れた時期もあった。機械闘技をやり始めた頃は金が無くって、長屋の家賃や生活費を稼ぐために道場の近所の料理屋で皿洗いをやったりもした」
「へえ。そうなんですか」
これはよくある話だ。確かに踊士の勝利報酬は破格だ。が、それは王座戦などの大きな試合に限られている。軍からの給料も下士官であることなどを理由にされてスズメの涙ほど。そのため大半の踊士は副業を持っている。訓練にもなるから、という理由で用心棒をやる者や、機械闘技とは直接関係のない料理屋などで働く者もいる。
「こんな時に役立つとは思わなかったがな」
「じゃあ引退したら料理屋さんでも開きますか?」
セレネの冗談を、ショウジは真剣な面持ちで答えた。
「まさか。どれだけ修行積んでも、俺はあそこまでの腕になれないよ」
「だったら、あの、ウチに来ませんか? 見てのとおりこの家、ウルがいなくなって広くなっちゃったから、不用心ですし、さみしいですし、……その、スサノオだって、あたしは、みてあげられますし、あの……」
ウルの名前を発し、心に生まれた波紋が言葉をブツ切れにさせ、平静と動揺の間で揺れていた心が一気に動揺に傾いだ。
「なんだったら、その、あたし、お背中だって、流しますし、その、よる……」
だんっ! とショウジが湯飲みを叩きつけるように置いたせいで、セレネの言葉はかき消されてしまった。
「そっから先、言ったらひっぱたくからな」
くぅ、と飲み込んだのは息と言葉が一緒くたになったものだ。
「ご、ごめん、なさい」
大切なことを軽々しく口にしたことでショウジはさぞ怒っただろう。枯れ木のようにうつむき、ぐずぐずと思考を巡らせ、横顔にかかった黒髪の隙間からショウジの顔を覗き見れば、不動明王のような鋭い目つきでこちらを睨み付けている。結局彼女が導き出した行動は食器を下げることだった。無言で顔を上げ、まずは自分の茶碗を、
「しばらく世話になる」
声はそれほど怒っていなかった。だから余計に真意を計りかねた。
「……はい?」
呆気にとられているセレネと真っ正面から向かい合い、胡座から正座にきちんと座り直してショウジはこう言った。
「佐倉ショウジだ。軍の階級は中佐、統一超級一位、いや、負けたから五位か。第二都市九号地区出身二一才、独身。よろしく頼む」
「あ、あの……」
「さっきの話だ。用心棒の。おっさんとの負け試合で長屋には帰り辛いんだ」
理由に拍子抜けした。
「え、でもさくら?」
「ああ、本名はな。牙桜は親方が付けたリングネームだ。サクラじゃ弱すぎるとか何とか言ってな」
セレネの記憶が正しければ、火星で佐倉と言えば、御影家と並び称される富豪だ。そうだとしたら何故、野蛮だとも評される機械闘技なんかを、と思ったが、公表していない彼の家族関係と何か繋がりがあるのだろう。それも、あまり幸せでない類の理由が。
頬にかかった黒髪を耳の後ろに追いやると、居住まいを正してショウジに向き直った。
「あ、えっと、御影セレネです。軍の階級は大尉、第三都市上級王者、日本出身の二一才です」
とりあえずショウジに倣って自己紹介をする。敬礼するかどうか迷っていると、唐突にショウジが笑い声を上げた。
「ま、期間はお嬢ちゃんの一件が片付くまで、俺への報酬はスサノオの整備。これでどうだ」
笑いながら報酬の交渉をするなんて初めてだった。そしてその内容も含めて。
「はい。ウチ貧乏なんで、お金は出せないからそれでお願いします」
「よろしく頼む」
最後に一度だけ、机に額が着くぐらいまで頭を下げた。
「はい」
セレネは笑顔だった。
「よし、さっそく修理やるぞ。交換部品の伝票は俺が作って発送してあるから、じきに届くだろ。で、カグツチはどうする?」
「……あ、えっと、本社に送ります。あたしの免許じゃ直せない傷ですから」
カグツチは電脳に達する深い損傷を負った。セレネが持っている整備士免許では扱えない分野なので、本社の職人に任せる以外に無い。これまでの試合で受けた損傷はすべて持っている免許でまかなえるものばかりだった上、身内であってもきちんと費用を請求する本社の商売根性に呆れて本格的な整備をしていなかったから、カグツチにも申し訳が立つ。
自分以外の者がカグツチをいじることにセレネは不満を感じないが、カグツチはどうだろう。出発する前にちゃんと言い含めておいた方がいいかも知れない。
「じゃあ修理品の搬送便が来たら、帰りに持ってってもらうか」
「はい。あたしから連絡しておきます。……あ、じゃあ、スサノオもおじいに見てもらった方が」
「あのな、俺はねえさんに頼みに来たんだ。それにそんなことされたら、俺はタダ飯食らいになっちまう。勘弁してくれ」
「あは。そうですね。ごめんなさい」
やることができた。忙しくなりそうだ。
ウルのことを考える余裕がなくなって、かえってよかったのかも知れない。
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