第十四話 ごめんね
『セレネぇっ!!』
先に咆えたのはウル。セレネも反射的に噛み付いてしまう。
『なによ!』
『大っ嫌いなんだから!』
気迫は互角でも、機体の出力差は違いすぎた。カグツチの踝が地面にめり込む。押しつぶされることを嫌ったセレネは巧みな体捌きで横に逃げ、ウルにたたらを踏ませた。
『わわっ!』
振り下ろしていた掌底で機体をどうにか支え、転倒は免れるウル。からだが開いた左側にセレネが待ちかまえている。
『舌噛むんじゃ、無いわよ!』
カグツチの四本腕による連撃を腹部に叩き込むセレネ。走査の結果、ゴリラもどきの急所も胸腹部に集中している。ならばダメージを集中させて機能不全に追い込めばいい。
『か、硬っ!!』
尋常でない装甲の堅牢さに思わず眉をしかめてしまう。金剛石でも仕込んでるの? それ以上の考察はさせてくれなかった。太く長い影がカグツチに落とされる。バックジャンプで避け、
『っ!?』
ゴリラもどきが地面に拳を叩きつけた衝撃で土砂が巻き上がり、カグツチの視界を塞いだ。もっと距離を、と思う間さえもウルは与えない。まだ落下を始めようとしない土砂の壁をぬっ、と拳が突き破って来る。
『そう何度も!』
腕を交差させてガードし、踏ん張らずに拳の勢いも使って思いっきり後ろに跳んだ。こんな見え透いた手段でウルの目はごまかせないことは分かっているし、カグツチの腕が痺れたように動きが鈍くなったのも事実だ。
『もおっ!』
ゴリラもどきの全身が落下を始めた土砂を突破し、カグツチに迫る。カグツチの倍近いリーチを活かして間合いの外から右拳を放つ。軌道が丸見えなのは避けさせてから左拳を放つため。だがセレネは最小限の動きでかわし、どちらも空を切らせた。やるな、とショウジが感心していたことをふたりは当然知らない。
『当たってよ!』
素人目には、ウルが苛立ちも顕わに左右の拳を豪快に振り回してるように見えるが、実際には細かく攻撃を繋ぐことでセレネを回避と防御に徹させ、徐々に塀へと追い込んでいるのだ。どう攻撃すればセレネが嫌がるのか。回避行動を取るときの、おそらく本人も気付いていない癖。それらを熟知しているウルだからこそ出来る繊細な攻撃だ。
『っ!』
気がつけばカグツチは塀を背にしていた。逃げ場を探して視線をさまよわせるセレネとカグツチふたりの正面から、信じられないほどゆっくりと巨大な拳が迫ってくる。仕方ないなぁ、もうっ!
『カグツチ、踏ん張って!』
四本の腕全てを使って巨大な拳を掴む。カグツチの足が地面にめり込む。これも狙いのひとつ。
『せ、え、のぉっ!』
掴んだ右拳に捻りを加え、肘を肩を極めてバランスを崩させ、仰向けに地面に叩きつけた!
ずずずんっ、と落雷のような轟音が鳴り響き、ゴリラもどきを中心に庭の土が爆発したかのように噴き上がり、あるいは柱のように高く立ち昇った。
『いい加減にしなさいっ!』
ジャンプし、ゴリラもどきの直上に出る。後ろ腰の強重槍を抜き、折りたたんでいた柄をじゃきん、と伸ばし、穂先を三つ叉に展開する。電力、装填っ。腹部の継ぎ目を狙う!
『だったら、ちゃんと説明してよ!』
しかし、虫を払いのけるかのように平手ではじき飛ばされてしまった。叩き付ける威力が弱すぎたな、と飛ばされながら後悔しつつ、
『くっ!』
空中でからだを捻って槍の穂先を地面に突き刺して威力を殺し、四つんばいの姿勢でどうにか着地する。
『セレネぇっ!』
正面。着地際を狙われた。背中からめり込んだ地面からの復帰が早いのはウルだから出来る挙動だ。でも見えている。ゴリラもどきが繰り出した左拳を、
『あああ、もうっ!』
土の付いた槍を繰り出し、拳へ命中させた!
直後、激しい光とエネルギーが衝撃波となって衝突点から噴き出し、二着を襲う。軽いカグツチは堪えきれずに吹っ飛び、ゴリラもどきはその場に仰向けに倒れた。
『このっ!』
槍の石突き部分を地面に突き刺し、束を両手で掴んで曲芸師のようにぐるりと一回転。慣性を上方向に逃がしてどうにか着地。大きく息を吐き、槍を引き抜いて切っ先をウルへと向ける。
『怒るわよウル! さっさと脱ぎなさい!』
『やだぁっ!』
『言うことを聞きなさい!』
凄まれて、ウルは半歩下がった。
『……や、だっ。説明、してくれなきゃ、脱がない!』
三年前に一緒に火星に来てから一度もウルはあの日のことを口にすることは無かった。
セレネも、ウルの両親と千場を守れなかった負い目から説明することを避けていた。
……、なんで、今になって……。
それしか方法が無いのだ。自分の心が傷つくぐらい、とセレネは覚悟を決め、
『……言えば、脱いでくれるのね』
強重槍を折りたたみ、後ろ腰に戻した。危険だ、とカグツチは警告する。
「分かってる。でもカグツチ、お願い」
ばしゅん、とカグツチは渋々圧搾空気を吐き出し、ハッチを開けて上体を反らした。
「ありがと」
セレネは鉢金を外し、カグツチの拡声器を通さない生の声でウルに語ろうと口を開く。
「ウル。あなたの大切なご両親を殺した者の言葉になど耳を傾けてはいけません。きっと虚言と甘言を並べ立ててまたも懐柔するつもりでしょう」
割って入ったのはノリスだ。ふたりの大げんかを間近で見ていながら、この男のスーツには埃ひとつ付いていない。
「うるさいっ!」
『あんたは黙ってなさい!』
ふたりの怒号にもノリスは平然としている。こいつの耳と心はどうかしている。ふたりはそう決めつけた。
『ノリス! これ以上セレネの邪魔をするなら、ミカエルで殴るからね!』
脅されたから、ではないのだろうが、ノリスは一歩下がった。彼にすれば茶番をゆっくり見物しようと言うのか、それともセレネが真実を語らないと見くびっているのか。
あいつはもう無視しておこう。そう決めてセレネはウルへ向き直る。
「あのね、ウル。あたしは、あの日……」
そこで言葉に詰まった。
ただありのままを語ればいいのに、脳も口もそれを拒否した。ただぐずぐずと思考を巡らせ、ついにウルから視線を外してしまった。
『なんでいってくれないの』
平坦な、少なくとも表面上は感情の乗っていない声色だった。
しかしその言葉は、いままで受けたどんな攻撃よりも、セレネの心と記憶に突き刺さった。刀身で顎を持ち上げられたようにセレネは顔を上げ、怯えたような目でウルを見た。
『何よその目!!』
そんなにも弱々しい目をしないで欲しい。ウルは、セレネの満月のような笑顔を見たかったのに。
セレネがどんな過去を語ろうと、あの笑顔を最後の思い出にしたかったのに。
「……、…………、」
なんで言えないのか自分でも分からない。
嫌われるだろうことを苦悶しているのではない、と思う。
心の奥底に封じ込めたつもりなのに、ふとしたきっかけで浮上してくるあの忌々しい記憶の箱に手をかけることを強く拒絶してしまう。
そうか。
この記憶を呼び戻せば、ウルはきっと自分の前から居なくなる。
あの日の無力な自分がウルを危めてしまう。
そう直感したから、何も喋れないのだ。
喋ることを、セレネは諦めてしまった。
「いいよ。ウルのしたいようにして」
セレネが浮かべた笑顔は、新月のように透明なものだった。
『っ! もういいっ!!』
ゴリラもどきがダッシュ。セレネは動かない。いけない、とカグツチが上体を戻して覆い被さる。ゴリラもどきが迫る。セレネは何もしようとしない。カグツチが強引に操作を、
『セレネの、ばかぁっ!!!』
ショルダータックルをまともに食らい、カグツチは大きく吹っ飛ばされる。反動で後ろ腰に戻していた強重槍のフックが外れ、地面に転がる。突進しながらゴリラもどきが槍を拾い上げ、展開し、狙いを定める。カグツチが壁に衝突。
『だいっきらい!!!』
強重槍を、投げつけた。
「待って、カグツチ!」
カグツチは、最後まで主人を守ろうとした。
セレネの制止命令を無視し、全力で右へ回避しようと、
『ああああああっ!』
全てが遅かった。
槍が腹部に命中した。
槍はカグツチの左脇腹の装甲を貫通。セレネの左わき腹を切り裂き、ふたりを塀に磔にしてようやく勢いを止めた。
腹部から大量に血が吹き出し、カグツチの内部を赤く染めた。さらに口に逆流してきた血液を堪え切ることが出来ず、吐き出してしまった。
―─カグツチ、ごめん……っ!。
鉢金からの網膜映像も警告の赤一色に染まる。カグツチからもたらされる報告はノイズ混じりでどれもこれも絶望的なもので、何より深刻だったのは、電脳。直撃だけは辛うじて避けたが、歩行系を司る個所に損傷を受け、完全に歩けなくなったと言うものだ。
セレネは激痛から指一本も動かせない。呼吸するたびに血と一緒に意識のかけらがこぼれ落ちていく感覚さえある。
ノイズまみれの網膜映像の片隅に、カグツチからある提案が表示される。
どうせ指一本動かせないのだから、と承諾するセレネ。
返事を待ってカグツチがどうにか動く腕を使って慎重に槍を引き抜く。
『あああああっ!』
指一本動かせない、と思っていたのは甘えだった。槍を抜いた痛みで大きく仰け反る。脇腹からはさらに血が勢いよく流れ出す。間髪入れずにカグツチは傷口へ傷薬を吹き掛ける。血と消毒液の強いアルコール臭がカグツチの中に飽和し、吐き気もこみ上げてくる。出血は一向に止まりそうにない。傷薬はまさに焼け石に水だった。
「……もういいよ、カグツチ……、あたしを、捨てて……、逃げなさい……」
主人のつぶやきをカグツチは無視した。
初めてのことだ。
まだなにかやるつもりだ。
「知らない、からね……」
まだ笑う余裕はあった。わずかに唇を上げるとふらつく手を袖通す。なぜそうしたのか分からない。磔の姿勢で前を見つめた。
「ウル……」
ゴリラもどきはウルを腹に収めたまま、じっとこちらを見ている。その子をかえして。
通信が、最終宣告がきた。
『まだ生きてるよね、セレネ!』
ウルの絶叫の後、カグツチに一通の電文が届いた。差出人の欄は無記名。厳重に厳重に封を施された電文が。
「……カグツチ?」
しかしカグツチはセレネに注意を促しただけで何も言わなかった。
ゴリラもどきが突き出した右の掌にぽっかりと穴が空き、そこから砲口が姿を表した。
砲口はぴたりとカグツチを捉えている。彼の走査で重力弾を打ち出す大筒だと判明した。よりによって―─セレネは自嘲した。
覚悟を決めた。
『……わかったわ。あたしを、殺したいんでしょ。はやく、やりなさい』
これ以上長引けば出血で意識を失ってしまう。ああ、そうか。最期の一瞬までウルを見ていたいから、カグツチに袖を通したんだ。
『……セレネぇっ!』
『っの、莫迦野郎!』
ふたりが叫んだのは同時だったが、先に動いたのは静観していたショウジの方だった。
だましだましやっていたスサノオの踝はこの加速でついに爆発し、足首から下がちぎれ落ちてしまう。それでも構わずにショウジは走り続け、カグツチへ飛びついた。損傷した左わき腹には触れず、右から肩を入れて、
『逃げるぞ!』
射軸から遠ざけようとするが、びくともしない。
『なにやってんだ!』
『だめ、なんです。さっきので、歩け……、くふっ!』
咳き込むと同時に血も一緒に吐き出される。カグツチの努力もあってようやく腹部の出血は止まった。が、失った量はあまりにも多い。顔は青ざめ、口から下は赤く染まっていた。
『くそったれ!』
ならばせめて自分が盾となるしかない。カグツチの前に立ちふさがった。
『ショウジさん。やめて、下さい……』
『俺ももう動けん』
『だから、無茶しないでって、言ったんです……』
『もういい、喋るな』
途切れ途切れになる意識の中、セレネは僅かに笑った。
『カグツチぃっ!』
ウルが絶叫し、引き金を、引いた。
ゴリラもどきの右手から撃ち出された漆黒の球体は、ミサイルより速く、弾丸より遅いスピードで真っ直にセレネとショウジへ突き進んでいく。
『いいな、スサノオっ!』
ショウジの指示でスサノオは重力膜の出力をあげる。カグツチの重力膜もそれに同調するように出力を上げる。重力弾を防ぐには、同じ性質を持つ重力膜で中和するしか方法は無い。二着とも深い損傷で出力がおぼつかないが、あるいはこれで防げるかも知れない。
球体はもう目の前。セレネがやれることは、たった一つしかなかった。
―─カグツチ、お願いっ!
最後の力を振り絞ってセレネは、スサノオの肩を掴み、
『おい、こら、やめろ莫迦!』
ぐいっ、と左へ投げ飛ばした!
「死ぬのは、あたしひとりで、いいんです」
庇おうと、守ろうとショウジが手を伸ばすが、もう全てが遅かった。
漆黒の球体が、差し出したカグツチの右手に命中する。手首が、肘が飲み込まれ、その装甲を浸食し、ひしゃげさせ、次々と圧壊させていった。このままでは、セレネの右腕も飲み込まれてしまう。
突然、ずずんっ! とカグツチの右腕が爆発し、重力弾は蒸発した。
「カグツチ?」
ボロボロの精神状態でも、いまの爆発が機械闘技で使う演出用の爆薬によるものだと分かる。
全てカグツチがやったことだ。
中和するだけで良いはずなのに、爆発まで行ったのか分からない。
分からないが、考える時間をウルは与えてくれなかった。
『セレネぇっ!』
爆発が収まるのと同時にウルはダッシュ。足が動かないカグツチではどこへも逃げられず、セレネは最初から反撃する気力が無い。
『わあああああっ!』
ウルの泣き声がセレネの五感を埋める。
火星に来てからの三年間がセレネの意識を埋め尽くす。すごい土砂降りの中ウルが家出したこと。セレネがウルのおやつをこっそり食べて、くどくどと怒られたこと。全ての社員が異動を終えたふたり暮らしの初日、広くなった家でしんみり夜を明かしたこと─―。
―─ごめんね。
『これで、終わりぃっ!』
セレネとの思い出の全てを右拳に乗せ、土柱が上がるほどに強く左足を踏み込む。真下から、地面を抉りながらそれでも微塵も威力を失うことはなく、まっすぐにカグツチの腹部を狙い打った!
おもい。
腹に食らった一撃は、とてつもなくおもかった。
―─こんな遠くまで連れてきて。
痛みをどこか他人事のように感じながら、それでもウルを見ようと、
下からの一撃に浮き上がったカグツチの顔を、ウルは全力で殴りつけた。その破壊力はカグツチの顔をひしゃげさせ、叩きつけられた塀を破壊してもなお相殺されず、外周道路を転がって、ガードレールごと崖から海へ落ちるまで消えることはなかった。
『セレネの、セレネのばかぁっ!』
ゴリラもどきの中でウルは泣いていた。理由はいっぱいありすぎて、よく分からない。拭っても拭っても涙が流れ落ちていく。
『頼むぞ、スサノオっ!』
ショウジは両足首を地面に突き刺して立ち上がり、もつれさせながら走りだし、海へ飛び込んだ。
『だ、だいっ、だいっきらい、なん、だ、からぁ……っ!』
泣き続けるウルの前に、ノリスが恭しくお辞儀した。
「私と来ていただけますね。ウル」
涙でべしゃべしゃになった顔を拭いもせずにウルはきっぱりと言った。
『どこへでもいってやるわ』
ノリスが運転するトラックに乗り込み、ふたりと一着は御影邸をあとにした。
ウルがこの家に帰ってくることは、二度となかった。
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