第十三話 だいっきらい

『ウルっ!』


 工房にウルはいない。なぜかそう思えてならない。自宅に避難しているとか、買い物に出かけたとかそういう類の感覚でなく、はっきりと、「いない」と感じる。

 左。ショウジの助言はもう必要ない。


『邪魔ぁっ!』


 針の穴を通すような狙い澄まされた一撃はフェンリルの胸部装甲を貫通し、操者に切っ先が触れる寸前で止まった。電脳の設置されている胸部を破壊されてフェンリルは沈黙。ぐいっ、と槍を引き抜かれた反動で前のめりに倒れる。これで合計八機目。それを見届けることもせずにセレネは工房へ急いだ。

 工房の雨戸は電波で開錠する。電波の届かない距離から何度も何度も送って、ようやく受信された。蛇腹状に収納される雨戸が開く時間が惜しく、ついに槍で破いてしまった。


『ウルっ!』


 破れた雨戸を掻き分けながら首を突っ込む。やはり「いない」。セレネがこんなことをすればウルは、「ちょっともう、壊さないでよ!」と鼻息荒く怒鳴りつけてくるはずなのに。


『出てきて、ウルっ!』


 返事はない。

 不安は的中した。ここにウルはいない。

 代わりに、

 いや、代わりなんかじゃない。

 ノリスがいた。

 カグツチの足下、冷淡で、漂白されたような顔で、訳の分からない理由を振りかざしてウルの身柄を狙い続けるこの男が。

 反射的に叫ぶ。


『ウルをどこへやったの!』

「私はなにも」

『どこへやったのって訊いてるの!!』


 右手の強重槍で叩き潰したい。だが、ウルの情報を持っている可能性のあるこの男をいま殺すわけにはいかない。最大限の忍耐力を発揮して、切っ先をノリスに向けるだけに留める。


『いま答えれば、腕の一本だけで勘弁してあげる』


 自分でも信じられない脅しを口にした。口調もひどく冷たい。憤怒の炎が燃え上がるほどに、その代償として心は冷たく凍えてしまったかのように。

 ノリスが口を開いたのは、こんなチープな脅しに屈したからでは、無論ない。


「ウルさんは実に聡明でいらっしゃる」


 この男は何がそんなに面白いのだろう。子どもを怯えさせ、武力を人型までをも使って他人から家族を奪うことのどこが。こんな奴が、なんで生きていることを許されているのかがさっぱり分からない。普段ならこんな男のことなんか翌朝にはけろっと忘れているのに、しつこくねちっこく現れるのでそれも出来ない。

 こんなやつのことが、記憶と心の一部を占領していることが何よりも許せない。


 ノリスはセレネの苦悶すらカグツチの装甲越しに読み取っているかのように薄気味の悪い笑みを浮かべ、訳の分からないことを告げる。


天津人あまつびとの柔軟さ、とでも言いましょうか」


 もう、我慢の限界だ。スピーカーの音量を最大にして怒鳴りつける。


『ウルを、返せって言ってるの!!!!』


 落雷のような怒号を浴びても、ノリスは平然としていた。


「ウルさんは私の説得を聞き入れて下さいました」


 ―─ウル、が?


 背筋が凍った。

 ノリスの言葉を飲み込むよりも早く、全身が、ウルを盗られたと理解した。


「……ウルが?」


 最初は小さな輝点だった。

 網膜映像の、ちょうど右目の上隅あたりに投影される、自機を中心とした周辺地図。そこに小さな黄色の輝点がひとつ、明滅する。

 鉢金に警告音が響く。カグツチが正体不明機を危険因子だと判断し、即座に黄色から赤へと輝点の色を変えた。


 ―─なに、こいつ。


 でかい。カグツチの頭のあたりに向こうの腹があり、両腕がまるでゴリラのように異常に太く、地面に付けている拳もまた巨大だ。

 例えそう見えなくても、セレネは出雲機工社の社長だ。ヴァルハラ社はもとより、数十に及ぶ人型メーカー全ての製品は頭の中に入っている。なのに、セレネが知るどの人型とも特徴が一致しない。というよりも天津人の「手」すら入っていない。まるで学生が見よう見まねで図面を引いたような―、通信が入った。あのゴリラもどきからだ。

 声を聴いて、セレネは愕然とした。


『あたしはここだよ。セレネ』


 ウルの声だった。

 信じられない。信じたくない。だが、これは事実だと脳とカグツチが声を揃えて言う。

 それに突き動かされるように出た言葉がこれだった。


『……なに、やってるの。そんなの、さっさと脱いじゃいなさい』

『……やだ』

『やだじゃないでしょ。人型が危険なものだって、ウルは分かってるよね』

『分かってる! だから、セレネを……っ!』


 ―─あたしを?


 ウルは黙ってしまった。その間にカグツチはゴリラもどきの走査を開始し、どうやれば音便に脱がせられるかを考えている。


「言いにくいようですので、私が代わりに」


 割って入ろうとしたノリスを、セレネは効果が無いと知りつつも怒鳴りつける。


『あんたは黙ってなさい!!!』

「ウルさんはこう仰りたいのです。『両親を殺したような女となど、これ以上一秒たりとも一緒にいたくはない』と」

『……え?』


 つぶやきは同時だった。

 ふたりとも言葉を失い、見たくもないのにノリスを見つめてしまう。勝ち誇ったような笑みがそこにあった。

 先に口を開いたのは、ウルだった。


『……あ、あ、あんたってほんとにバカね! セレネはあたしを助けてくれたの! お父さんとお母さんを殺すはずなんか、無いのよ!』


 ノリスはゴリラもどきを、ウルを見上げ、


「本当にそう言い切れますか? 生存者はセレネさんだけなんですよ? 私がいくら保護します、と申し上げても、セレネさんはあなたを火星くんだりまで連れ回して貧乏暮らしを強要する。いずれ時がくればウルさんを売り飛ばすかも知れませんね。純血の天津人なんて、太陽系ではもう貴重種ですから」

『セレネはそんなことしない!』

「何故、です?」


 あまりにも冷静に返すノリスに、ウルは怯んだ。


『なんでって! セレネはずっと、あたしのこと、考えて……」

「冷たく接して逃げられたら惜しいでしょうからね。見せかけの優しさなど、あの国の人間なら、いくらでも振りまけるのです」

『見せかけ?』

「ええ。日本はかつて、技術を求める我々に対して欠陥品を、法外な値段で売りつけてきました。結果我々は有能な技術者百名余りと、我が国最高の技術施設を失いました」


 嘘ではない。だが随分と偏った見方をしている。

 第二次大戦の引き金となったこの事故は、北米側の解析力不足が原因だ。当時の北米は、第一次大戦の敗戦からまだ復興しておらず、アインシュタインやコンプトンらの優秀な科学者はこぞって日本や天津人側へ亡命していた。

 大型ディーゼルエンジンの量産が出来る程度の科学力と、ただひとりの天才もいない状況でブラックホールの取扱いをやって、事故が起きない方がおかしい。

 だがウルは戦争をやった大人たちの事情など、一切興味が湧かなかった。セレネへの疑惑が膨らみ、ノリスの言葉を信じかけている。いけない。こいつの言葉を聞かせすぎた。


『だからそれは、あなたたちにも責任がある、と何度も!』


 セレネがやっと反論する。


「戦争責任は、いまはどうでもいいことです。私は例えとして申し上げただけ、ですから。それよりも、貴方は弁明をしなくても良いのですか?」

『する必要なんて、ないわ』

「おや、その発言は殺害を自供したようにもとれますね」

『うるさい、黙れ!!』


 こいつに怒号は通じない。だが叫ばずにはいられない。いっそもう槍で突き刺してやろうか、とも思うが、ウルに血を見せたくない。


『さっさとあたしたちの前から消えて!』

「そうはいきません。ウルさんは私と共に来ていただくことになっていますから」

『っ! ばかを言わないで!!! ウル、早くそれを……!』


 殴られた。

 カグツチの脳天を、ゴリラもどきの右拳が直撃した。

 セレネは指一本も動かさない。受け身を取ったのはカグツチだ。動かなければ次が来る、とカグツチが激しく警告しても、セレネは動こうとしない。

 動かないセレネの背中に向け、ウルが言葉を投げかける。


『お願いセレネ』


 泣き出しそうな声だった。


『ひとつだけ訊かせて』


 やっとセレネが顔を上げる。


『……早くそれを、脱ぎなさい』

『ごまかさないで答えて。さっきノリスが言ったことは、本当なの?』

『いいからさっさと脱ぎなさい!』

『なんで答えてくれないの!』


 ほんの一瞬だけ逡巡があった。そして発した声は、セレネ自身も驚くほど低く、押し殺したものだった。


『答える必要がないからよ。こどものウルには、まだ早いの』


 ウルは、信じたかった。


『そんなの!』まだ這い蹲っているカグツチの両肩を、がしっ、と掴みあげ、『殺したって言ってるようなものじゃない!』破れて収納できずにぶら下がっている雨戸へと押しつける。


 セレネはうなだれたまま、反論しなかった。


『そう思いたいなら、そう思っても、いいよ』


 肩にかかる力が一瞬弱まり、だが次の瞬間には握りつぶされるほどに強くなった。


『……セレネの、セレネの、ばかぁっ!!!』


 一気に力を込め、カグツチで雨戸を押し破り、そこから外へ投げ飛ばした!


『大っ嫌いなんだからぁっ!』


 ウルの泣き声が耳に痛い。


『セレネ!』


 耳をかすめたのはショウジの声だった。彼は残っている二着と同時に戦っているところだ。間もなく終わるだろう。自分には地面が迫っている。今度は自分で受け身を取って着地。すぐ起き上がる。ウルを捜す。後ろからフェンリル。右手の強重槍を半回転させて振り返りもせずに胸の辺りを貫く。手応えとともにフェンリルの姿が出現する。槍を引き抜き、束で仰向けに倒れるように押した。

 その一瞬だった。

 顔をぶん殴られた。

 上から、カグツチの左こめかみを正確に狙い打たれた。強烈な衝撃に一瞬セレネの視界は縦に歪み、次の瞬間には地面を跳ねていた。


『うあああっ!』


 ウルの泣き声だけは、いつもどんな時もはっきりと認識できる。

 地面にバウンドしたカグツチの腹部をゴリラもどきは爪先で蹴り上げ、自分の胸元まで浮き上がらせると両手で横凪ぎに殴り飛ばした。十メートルほど飛ばされ、肩から地面に落ち、二、三度跳ねた後、地面を抉りながらようやく止まった。


「……、なんで、あいつが……っ」


 ノリスが口にしたこと。あれは嘘ではない。罪は罪として、セレネはいつでも贖罪を果たすつもりでいる。それがいまだっただけだ。

 でも、こんな形でだなんて、予想もしていなかった。


 ―─だから、贖罪になるのね。


『だからって!!』


 ノリスと一緒に行くだなんて、絶対に納得できない。多少乱暴してでもこのゴリラもどきからウルを引き離さないといけない。

 さっきの一撃であいつの攻撃能力は分かった。あの図体だが多分小回りも利く。そして袖を通しているのはウルだ。


 ―─ウルは?


 横向きの視界の中でウルを探す。いない。即座に立ち上がって―今度は見えた。右後ろ。振り返らずにダッシュ。背中をゴリラもどきの拳が掠める。距離を十分にとってから振り返る。正面っ。生身ならすっぽりと隠れてしまうほどの掌底が迫る。セレネは腰を落とし、腹部に帯のように張り付いている補助腕を起動。合計四本の腕でゴリラもどきの掌底を、真っ正面から受け止めた!


『セレネぇっ!!』


 先に咆えたのはウル。セレネも反射的に噛み付いてしまう。


『なによ!』

『だいっきらいなんだから!』

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