第十二話 甘言
ウルはいま、自宅に隣接する工房にいる。
控えめな速度で自宅近くまで戻ったふたりは、すでに機体を並べ始めていたノリスの目を盗んで裏口から工房に入り、セレネは待ちくたびれていたカグツチを着込み、ウルは工房に隠れている。
工房には整備が終わった機体の動作チェックに使う行うナビシートがある。人型のものと違い座席があり、周囲をモニターがずらりと取り囲んでいる。その左半分をセレネが駆るカグツチの、右半分をショウジが駆るスサノオの取り込んだ映像が写し出されている。なので、見た目には左右同じ映像のように見える。
「ああもう、そっちじゃないよ、セレネ」
やきもきしながらモニターを見つめるウルの指は、あとほんの一押しでカグツチへの通信スイッチを押してしまうほどに力が入っている。
「だめ。がまんするの。セレネだってがんばってるし、ナビはショウジさんがやってくれてるんだから」
ぐっと手を胸に引き寄せて唇をかみしめる。それでも油断すると手はモニター前のスイッチ群に伸びてしまう。つらい。
通信を切っている理由は、傍受される危険性を考慮してのこと。映像を見ていても問題無いのは、カグツチからスサノオに飛ばしている映像データを拾っているから。つまり、やろうと思えばフェンリルたちもセレネたちと視界を共有できる。さらに言えば指揮機を置いてそれをやってナビに徹すれば、ふたりの息を乱すことも出来ただろうが、それをやっている素振りが見えないのは、彼らの練度が低いのか、ただの寄せ集めなのかのどちらかだとウルは予測した。
自らも人型を駆りながらのナビを、ショウジは平然とやっている。
普段の試合ならウルがやっているナビを、ショウジは戦いながらやっている。しかも彼の方が撃墜数が多い。
「あ、五着目」
悔しい。
セレネのサポートは自分の役目なのに。
ご飯を食べさせてもらっているセレネへ出来る唯一の恩返しなのに。
自分とショウジでは踏んできた修羅場の数が違う。昨日今日ナビを始めた八才のコドモと、超級一位の踊士では決定的に。だとすれば自分なんかではなく、きちんと経験を積んだ人が相棒をやれば、もっと上の階級で脚光を浴びれるのではないか。こんな貧乏暮らしなんかせずに都心の一等地で贅沢ができるのではないか―。
「足手まといなんだよね。あたし」
試合のサポートだけではない。三年前セレネに拾われたあの日からずっと、迷惑ばかりかけている。
いまでも地球での日々を夢に見る。追ってくる影にうなされて飛び起きて、隣の部屋で眠っているセレネの顔を見てようやく安心して眠りにつく。
物心つく以前からずっと彼女は両親と一緒に逃げ回っていた。理由は知らない。火星に来てからやっと、安息の日々を得られた。
『次っ!』
叫ぶセレネの声が気持ちよかった。
もっとうまくなりたい。セレネを助けたい。
ずっと、ずっとそばにいたい。
* * *
「次っ!」
残ったフェンリルを探すセレネの瞳が捕らえたのはしかし、見慣れた平屋の工房だった。足どころか戦意まで止めて工房を見つめる。
あそこにウルは隠れている。
間違いはない。
だが去来するのは違和感だった。
―─数が、足りない。……でも何の?
ずんっ! と重い衝撃が左腹部に襲いかかる。たぶん焼斬剣で斬られた。反動でよろける。だが反撃しようとも考えない。右からスサノオが猛スピードで迫ってくる。その加速を生かした飛び膝蹴りを喰らってフェンリルは大きく吹き飛び、地面にくっきりと着地跡を残して機能を停止した。
すかさずショウジは背中合わせになり、
『どうした? 動きを止めるな』
「あ、ごめんなさい。その……、ウルのことが、気になって」
胸の奥底でちろり、と火がついた不安の火種は瞬く間に業火へと変わっていた。
それを感じたショウジは顎で工房を指し、
『じゃあ行け。こっちは俺ひとりで大丈夫だ』
敵機も残り少ない。スサノオの状態が心配だが、彼ならうまく切り抜けると信じよう。
「はい。お願いします」
後ろ腰に搭載していた大筒をショウジに手渡し、工房へ向かった。
* * *
カツン、と硬く乾いた音が工房内に響き渡った。
この家で革靴を履く者はもういない。だからこの主は部外者、それもノリスだと断定したウルは身を堅くし、座席にからだを埋めた。気配なんて簡単に消せるものじゃない。そんなのは達人級の腕前を持ったひとだけだ。息を殺し、じっとセレネが助けに来てくれることを祈る。けれどそれが届かないことはウル自身承知している。
「ここにいましたか。我が同胞、ウル」
見つかった。
「同胞?」
それがノリスの撒いたエサだと気付きつつも、あっさりと食いついてしまった。
どれだけ背伸びしていても、ウルはまだ八才の子どもだから。
「ええ。私も血の本流は天津人のものです」
深く、紳士的にお辞儀するノリス。
「だったらなに。貴方がどこの生まれだろうと、あたしに関係ないわ。バカじゃないの」
その端正な眉を寄せ、ノリスをあしらう。こんな奴と会話なんかしたくはないが、今は時間稼ぎをする時だ。それに、虚勢を張っていれば体の震えもごまかせる。
「いいえ、大いに関係があるのです」
ノリスは顔を上げ、薄く笑う。
その笑顔はあまりにも暗く、卑屈に満ちたものだった。
ウルが怒鳴る。理由の大半は、ノリスの笑顔が恐かったからだ。
「なにワケの分からないこと言ってるのよ! あんたは北米の人で、あたしを殺したがってたんじゃない!!」
暗い記憶がウルの脳を埋め尽くす。こいつらさえ勘違いしなければ、両親はあの写真のように穏やかに笑っていられただろう。自分だってちゃんと学校に行って、同年代のともだちと遊んで、恋だって出来たのに。
ノリスは暗い笑顔を崩さない。
「確かに北米は天津人を不当に恨み、排斥しようと戦争まで起こしました。ですが、少なくとも私は、ウル、あなたを保護するために動いていたのです」
「なによ、それ……」
混乱し、目を伏せたウル。ノリスの笑顔がさらに陰湿になったことに気付いていない。
「さあ、私と共に来てください。セレネさんの身に危険が及ばない内に」
―─セレネの、きけん?
ノリスが撒いた、もう一つのエサに、ウルは食いついてしまった。
「なにそれ。なによ、なによそれ!」
もう我慢の限界だった。シートから立ち上がり、すぐ近くのモニターをあらん限りの力で殴りつけて叫ぶ。
「一番危険なのはあんたたちじゃない!! 人型十着も持ち込んで、ショウジさんにまでケンカ売っておいて、なんでそんなことを言えるの!!!」
叩いた右手がじんじんと痛むが、それもノリスへの怒りでどうでもよくなっている。
荒い鼻息を吐くウルを、ノリスは静かに見つめ、
「北米軍、と言っても一枚岩ではありません」
聴いてはいけない、と理性がささやく。これ以上この男に喋らせてはいけない、と。この男は、自分たちを壊すためにここにいるのだから、と。
だが、訊かずにはいられなかった。ひとりぼっちでこの男の前にいる不安に負けてしまったから。
「だからなに」
「貴方の身柄を欲しているのは、私以外にもいる、と言うことです」
「だから、それが」
「セレネさんを、直接狙うような連中がいるのです」
「っ!」
ウルはノリスの言葉を信じかけている。
敵の言葉なのに、いや敵の言葉だからこそ信憑性もある。
「で、でもっ! いままでそんな連中、ひとりだって居なかった!」
「いままでは、でしょう? これから現れる、と言っているのです」
恐怖に負けて泣きわめくほど子どもでもなく、セレネに助けを求められるほどウルは冷静ではなかった。
「本当、なの?」
ウルは、ノリスの言葉を信じてしまった。
「セレネさんとカグツチの戦闘能力は、地方リーグの王者に収まっていて良いような器ではありません。ですが、彼女ひとりならそれは別の話です」
ノリスの声がウルにまとわりつき、ゆっくりと浸食していく。からだの自由は奪われ、耳を塞ぐことも逃げ出すこともできず、ノリスの言葉を聞きつづけてしまった。
「カグツチがなければ、セレネさんは無力です。彼女が独りになったところを狙撃、爆破、毒などを使えば、ウルを守ってくれる存在はいなくなります」
ウルの想像はどんどん膨らんでいく。
例えば買い物の時。自分がトイレに行っている間、そいつは静かにやってきて、セレネを刺すかも知れない。
例えば機械闘技の試合中。カグツチに細工を施し、事故に見せかけてセレネを爆殺するかも知れない。
例えば―─。
自らの想像が起こす恐怖に負け、ウルはノリスの言葉を振り払うことができなかった。
「今回、フェンリルを持ち込んだのは、その連中からあなた方を守る為なのです。あの踊士が浅薄な判断をしたため、戦闘となっていますが」
恐怖、とはすこし違う。
自分が、足手まといなのだ。
自分がここにいたら、大好きなセレネはきっと誰かに殺されてしまう。
両親のように。
二度と穏やかに笑うこともなく。
「あたしが、あんたたちの所へ行けば、セレネは助かるの?」
ノリスは心の震えを、抑えることができなかった。
「ええ、ええ! ウルがここに居ないと知れば、連中はセレネさんから手を引くでしょう」
―─笑うんだ。こんな根暗そうな奴でも。
笑顔の真意を、ウルは探らなかった。こんな男のことなんか、知りたくもなかった。
「……わかったわ。一緒に行ってあげる」
セレネを守る為だ。
そうでなければ、誰がこんな卑屈な奴と一緒に居たいと思うものか。
「聞き入れてくださって、有難うございます」
ふん、とノリスから視線を外し、ウルは、
「さあ、どこへでも連れて行きなさいよ。そこで煮るなり焼くなり、好きにして」
「そんなことはしません。ですが、出発前にやっておくべきことがあります」
「……? なにを?」
「この工房に、人型の召喚設備はありますか?」
ウルは、それがあると、答えてしまった。
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