第十一話 御影邸の決戦

 セレネたちの自宅に向かっていたのは、ノリスたちだけではない。


「なんだ、あんたたち」


 素足に下駄履き、紺の作務衣をだらしなく纏ったショウジも御影邸の玄関先に訪れていた。到着してすぐにそれまで開いていた鍵がかかり始めたので、何かある、とここでふたりの帰宅を待っていたのだ。


「昨日の踊士ですか。なんの用ですか」


 こいつとは馬が合わない。ショウジはノリスをそう認識した。腐れ縁の切れない悪友にも、初対面の居酒屋で意気投合することもたぶん一生出来ない、最後の最後までただの他人であり続けるのだと。

 がりがりと頭を掻きむしりながら、面倒臭さと鬱陶しさを隠そうともせずショウジは答える。


「スサノオの修繕と調整を頼みに来たんだよ。安くしてくれるっていうからさっそくな」


 ショウジの後ろにはスサノオの姿がある。見た目はあちこちに損傷が見られるが、試合後ショウジの応急処置により取りあえず立ち回りはできるようにしてある。デビューしてからずっと自分でスサノオの調整や修理を行ってきた彼だが、負けた翌日のこんな早朝から参じた理由は下心ばかりでは無い。

 昨日の試合に限らず、ショウジはどんな片田舎で行われる試合であっても、王座戦と名が付くものはすべて目を通している。その中でもセレネとカグツチの動きは群を抜いている、とショウジは思う。

 なぜならば、カグツチの書面上の性能ははっきり言って中の上だからだ。人型は日本刀などと同じく、同銘の機体が存在しない。つまり作成段階で生まれる、小さな部品ひとつひとつの積み重ねによる当たり外れが存在しないと言うこと。そういう宿命を持つ人型の性能を十二分に引き出すには、操者の身体能力を完全に追従するだけの丁寧な仕立てと、無駄なく動かせる繊細な縫製能力が不可欠であり、いくら地方リーグとは言え、通算勝率が七割近いセレネはそれを実現しているということ。


 ショウジも負けた言い訳を機体性能のせいにするつもりは毛頭ないが、勝てる要因を一つでも増やせるのならそれに飛びつくのは踊士ダンサーの本能といえよう。

 

 そんなショウジの動機など一切考慮せず、ノリスは冷徹に言い放つ。


「でしたら今日は諦めなさい」


 当然のようにショウジはノリスを睨み付ける。嫌な予感は当たるものだと思い知らされた不満もたっぷり乗せて。


「あんた、いつから出雲の社員になった。俺はここの美人社長に話があるんだ」

「昨日のようにうまくいくと……」

「は、間諜屋風情が、踊士に勝てると思うなよ!」


 ぶつけられた敵意にしかしノリスはひるまない。眉ひとつ動かさず、


「フェンリルを調べたのですね」


 出場審査が終わったあとショウジは、空いた時間を使って残されたフェンリルを徹底的に調べた。王者では無いが、番付上位者にも軍から官位は与えられ、設備を利用することができる。得られた情報に眉をひそめたが、時間の関係もあってショウジはそれ以上の捜査をやれなかった。


「人型に罪はねえからな。あれを無事に返してやった意味が、本っ当に分からんような莫迦なのか、あんたたち」

「踊士風情がなにを自慢げに語っているのですか」

「あのな、火星じゃ、人型の免許を持つことと軍への入隊は同じ意味がある。番付が上がれば階級も上がる。軍籍だと俺は中佐であの美人社長は大尉扱いなんだよ」


 火星では軍と警察の境界線があいまいで、しかもどちらも人数が足りていない。それを補うための策として、普段から人型を保持している踊士に白羽の矢がたったのだ。その代わり、税金が安くなったり、人型に関する軍の最新設備を利用出来たりするので、踊士側にもメリットはある。


「それは知りませんでした。ではこれは我々から火星への宣戦布告になるのでしょうか」


 ノリスが高らかに指を鳴らすと、トラックからぞろぞろとフェンリルが、合計十着も出てくる。半数は縦長九連のミサイルポッド―─九連砲塔チュウレンポウトウを両肩に装備し、残りの半分は近接戦用の影法刺かげぼうし焼斬剣ショウサンゲンで武装していた。


「あなたに用はないのです。さっさと帰っていただけませんか?」


 上等、とショウジは嗤った。


「三着じゃ負けたから、十着にしてきたのか。面子とか誇りってもんを持てよ」

「そんなものを持つことで目的が果たせるのならば、いくらでも持ちましょう」


 そうかい、とショウジは鼻で笑った。


「それと、もうひとつ教えてやるよ。俺は目隠し鬼で負けたことはないんだ」


 そしてすぐ後ろの愛機―スサノオに手をやってハッチを開ける。手探りで取り出した鉢金を装着して起動命令を、


『そのケンカ、待ったぁっ!』


 セレネの声が玄関先に響き渡った。振り返ればそこにはカグツチの姿がある。ウルは家の中に避難しているのか、姿は見えない。ショウジとノリスが牽制しあっている間に気付かれないよう裏口から帰宅していたのだ。

 一歩、ずしゅんと踏み出し、声高に叫ぶ。


『用があるのはお互いに私のはずです。その当人無視して、暇潰しみたいにあたしの家でケンカしないでください』

「暇潰しってな、お前……」


 ショウジは呆れてしまった。


「私は、あなたよりもあの少女に用があるのですが」

「しつこい男は嫌われる、っていうのはあんたの国じゃ言わないのか?」


 ずしゅんずしゅん、と小走りにセレネはショウジの隣に立つ。右脇には強重槍を、丸太のような大筒の砲身が股関節の向こうに見え隠れしている。


『ウルだっておんなのこです。乱暴なのが嫌いなのはあなただって知ってるでしょう?』


 セレネとて、この男が憎くないわけはない。まだ幼いウルをしつこく追い回し、怯えさせてきたこの男を、許せるはずがない。だが、それでも口をついて出るのはこんな言葉だった。


「戯れ言はもういいでしょう!」


 ノリスはふたりの誘いには乗らなかった。指を鳴らして後ろのフェンリル十着に合図を送ると自分は後ろに下がった。


「我々にはもう時間がありません。実力を行使させていただきます」


 ―─時間?


 だが疑問を口にする猶予は与えてもらえなかった。フェンリルたちが臨戦態勢に入ってしまった。手にした焼斬剣に鈍く煌めく、重力刃の黒い光をふたりは見逃さなかった。


『ショウジさん、下がってください。これは私のケンカです』


 スサノオを起動させていたショウジは笑って言った。


「ばーか。いまさら後に引けるか。こいつらは俺にもケンカを売ってきたんだぞ」


 ふふ、とセレネは笑った。


『そうでしたか。じゃあ一緒にやりましょう。でも、あまり無茶はしないでくださいね。スサノオ、ちゃんと走れないの、分かります』


 さすがに分かるか―ショウジは感嘆した。


「分かってるよ。あんたこそしっかりな」


 スサノオのハッチが閉じる。セレネも気持ちを切り替える。一対十が二対十になった。随分楽になった。いけない。スサノオの識別信号を味方のものに切り替えておかなければ。いちいち照準を切り替えている余裕など、たぶんないだろうから。

 どくん、と自分でもはっきりと分かるぐらいに心臓が鼓動を打った。

 覚悟も決まった。彼への説得はきっと、セレネが一生をかけてやってもたぶん通じない。諦めたくはないけど、まだ幼いウルを欲しがっている。いまどんな状況なのか分からない地球に逃げるのはあまりにも危険だ。

 だからこそ火星にくる時にカグツチを連れてきたのだから。


『いきますっ!』

 

    *


 確かに姿を消せる点は特筆すべき性能だが、フェンリルは決して戦闘能力の高い機体ではない。

 可視光及び電波への迷彩技術の試験機としてヴァルハラ社が設計したフェンリルは、ベースとなる機体がかなりの旧式を使っていて、さらにその運用試験で踊士に大敗し、軍からも注文が付かなかった欠陥品でもある。

 それを裏付けるかのように、昨日の試合のダメージでスサノオは性能の三割も発揮できていない。にも関わらずフェンリルたちはショウジとセレネに圧倒されている。


『遅い遅い遅いっ! おっさんの方が万倍速いぞ!』


 スサノオを縦横無尽に走らせながらショウジが吠える。地面についた足跡の処理を考えると頭が痛くなるがそれはあとで弁償してもらえばいい。彼はセレネよりも稼ぎがいいのだから。


『おらぁっ!』


 影法刺をショウジは逆手に持ち替え、何も見えないそこへ右上から左下へ一閃する!


『自分たちが見えないって思ってるから、丸見えなんだよっ!』


 ぎぃいいんっ! と金属同士がこすれ合う高音が鳴り響き、直後に隠匿機能が停止したフェンリルの全身が姿を現した。


『ほらな! 機能に頼るから!』


 フェンリルの頭部を鷲掴みにし、うなじの緊急脱出用レバーを引っ張り出す。


『実家へ帰れ!』


 弾き出された乗り手の首根っこを摘んでぽい、と放り投げた。

 機能を停止したフェンリルが邪魔だが、それを無視してショウジは次の獲物を捜す。


『おら、次!』


 始まって十分でセレネは一着を、ショウジは三着を行動不能に追い込んだ。フェンリルを操っているのは軍人らしいが、踊士に圧されているのでは修練の度合いがまるで足りないのではないか、とセレネはいらぬ心配をしてしまう。


『そっちじゃねえ、右だ! あと……三、二、一、来るぞ!』


 セレネの鉢金に響くショウジの助言は適切だ。彼の鉢金にはカグツチが捕らえている映像も送られている。戦いながらこっちのフォローしているのだからすごい。それにセレネも、王座に座る踊士だ。コツさえ掴めばなるほど見えない相手の動きを見切るのは、舞台で黒子を捜すぐらいに他易いことだった。

 カグツチの右方向から放出された雷撃を、左腕の重力膜の出力をあげて防御する。耳をつんざくような雷鳴が装甲越しにセレネの全身に響く。損傷ゼロ。


『ほら、あれだ、見えるな!』

「は、はい!」


 直後、雷撃の放出地点から続く足跡をしっかり目線で追い続ける。右から左へ走りながらじわじわとセレネへと近付いてくる。槍を握る力を強める。まだだ。まだ遠い。焦るな―間合いに入った。いまだ!


「せ、え、のぉっ!」


 頭の上で槍を一回転、さらに右手側でもう一回転させた必殺の一撃でフェンリルの両すねを凪ぎ払った。手応えは機械のものだけ。ずずん、と重い地響きを立てて、フェンリルの機体がうつ伏せに倒れ込んだ。直後に隠匿機能も停止し、その姿を現した。セレネは返す刃でフェンリルの両肘を叩き折って次の獲物を捜す。


「おとなしく、していてくださいね」


 あと五つ。

 ノリスの姿がないことに、セレネはまだ気付いていなかった。

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