第九話 ウルの迷夢

カグツチにはひとりで先に帰ってもらったふたりは、ウィンドウショッピングをしてはしゃいだり、評判の鯛焼き屋でどっさり買った鯛焼きを持って夕焼けに染まる海を眺めたりしてから帰宅した。


 さんまの塩焼きとおみそ汁の夕食を済ませ、ふたりでお風呂で汗を流し、まだ具合の悪そうだったウルを寝かし付けたあと、セレネは録画したショウジの試合を観戦することにした。ウルが起き出してこないように音量を絞って、でも湧き上がる興奮は抑えられず、両手を無意味に上下に振り回したりしてしまう。


『さぁ、大変ながらくお待たせしました!』


 テレビの中で弁士が叫ぶと、うおおおおっ! と大観衆が歓声を上げた。


『まずは挑戦者、牙桜ショウジ踊士の入場です! 皆様、西の花道にご注目下さい!』


 ぱっ、とスポットライトが西の入場口に当てられる。

 そこに佇むのは夜明け前のような薄紫で塗装されたスサノオ。系譜で言えばカグツチの従兄に当たる彼の顔は、猛禽をひと蹴りでなぎ払う龍を想起させる。

 スサノオの中でショウジはゆっくりと一歩を踏み出す。急ぐ様子もなく歩を進め、円形試合場の三分の一ほどで立ち止まり、吠える。


『召喚式武装換装機構、一六番、一七番連続解放!』


 鉢金の中に、「了解。一六番、強重斧(グラビトン・アクス)、一七番燦暗光(サンアンコウ)、連続召喚します」の文字が 踊る。次いで胸元と両肩の上に小さな漆黒の球体が生まれた。胸元に現れた球体から、束がぬっ、と伸び、ショウジは無言で束を握り締め、一気に横へ引き抜いた。


『よし』


 ショウジは右手に握った獲物を何度か振り回し、機能を確認している。その間にスサノオの両肩には燦暗光がしっかりと装備され、丸太のような砲身をさらした。


『牙桜踊士の装備は近接戦用の強重斧と、遠距離用の燦暗光のようです!』


 人型は内包するナノブラックホールを利用して、遠距離間での装備変更を行える。しかしどんな状況でも、というわけではなく、現在地周辺にネットワークの中継施設が存在することが必須条件だ。

 大きな試合の開始前には余興も兼ねて踊士(ダンサー)それぞれの召喚を観客に見せている。セレネはこれがかっこいい、と嬉嬉としてやるが、ショウジにすれば恥ずかしいだけだ。

 これで戦闘準備完了。あとは対戦相手、王者クロス・トバルとその相棒、ハヌマーンの登場を待つばかりとなった。


「……どう? ショウジさんの様子」


 ふすまの向こうからウルの声が聞こえ、セレネは少しびっくりした。思わず停止ボタンを押し、できるだけ落ち着いた口調で答える。


「いま始まったところ。……子どもは早く寝なさい」

「おしっこ、だから」

「もう。寝る前に済ませなさい、って言ってるじゃない」

「……うん。ごめん」


 そう言ったきり、ウルはふすまの向こうから動こうとしない。


「いまどんな状況かだけ、教えてあげる」


 ウルは何も言わない。


「……ショウジさんは強重斧と燦暗光を召還してね」

「待って言わないで。おしっこしてくるから」

「うん」


 とんとんとん、と軽い足音が向かった先は、トイレとは逆方向のウルの部屋だ。


「……無理しちゃって」


 彼女の部屋のふすまが閉まる音が聞こえるまでセレネは待ち、再生ボタンを押した。


『さあ、皆さん、東の花道をご覧ください!』


    *     *     *


 ごろりと布団に寝転がったウルだが、ちっとも眠れずにいた。

 体は倦怠感でいっぱいなのに、頭はショウジの試合のことが気になって。それを打ち消そうと読みかけのまんがに手を伸ばしたり、落語の映像ディスクを手に取ったりした。でも、まんがは二、三頁で手が止まり、落語もデッキにかけることができなかった。どちらも大好きなのに。見るだけでも見ておこうか、と思うがやっぱり襖を開けられなかった。

 恐かった。

 ショウジの召喚した武装が、自分の予想とまったく同じだったから。そして、その結果まで当たりそうで。そんな気持ちがウルの胸を締めつけた。

 こんな夜、早く明けて欲しい。

 ごろり、と布団に転がって天井を見つめる。

 ひとりになるといつも三年前のあの日を思い出す。遺品らしい遺品といえば、まだ生まれたばかりのウルを抱いて穏やかに笑う両親の写真一枚だけ。当初はセレネの勧めもあって額に入れて飾っていたが、やがてそれも止めた。これから先に起こる不幸を知らず、ただゆっくりと笑う両親が哀れで。

 両親との記憶は、暗闇を逃げ回っている映像しかない。写真も、時々机の引き出しから取り出して眺めるぐらいなのに、胸を締めつけるこの感情はなんだ。

 ひとりはイヤだ。

 セレネの満月のような笑顔と一緒なら、そんなこと考えなくてもいいのに。

 机に飾ってあるセレネの写真の笑顔はぎこちなく、三日月ぐらいの効力しかない。写真に撮られることをなぜか嫌う彼女を説得して、『ウルが見るだけならいいよ』と渋々撮ったからだ。


「セレネ……っ」


 あんなに楽しそうなセレネの邪魔をしたくない。

 だから布団を頭からかぶって、ただ時間が過ぎるのを待つことしかできなかった。


    *     *     *


とんとん、と頼りない音のノックをして、セレネはウルに話しかける。


「起きてる?」

「……うん」


 ふすまの向こうでウルが起き上がる音がした。


「えっと、ね」


 言葉に詰まる。下を向いてしまう。

 ウルはひとつ溜め息を吐いて、


「わかってるから」


 勢いよくふすまを開けた。


「大体想像つく。負けたんでしょ。ショウジさんが、四十八分で」


 セレネがわずかに顔をあげる。分数まで言い当てられて、かける言葉を失った。


「いいよ。試合が決まった時からあたし、何回も何回もシミュレートしてたから」


 セレネもこの試合のシミュレートはやっていた。だがそれはあくまで『自分ならこうする』という目線でのものだ。ウルのように客観的な目線ではなかった。


「……おしかったんだよ。でも、トバルさんは最後の最後の最後まで奥の手を隠してて、それでショウジさんは……」

「うん。でもトバルさんは勝ったんだし。それは嬉しい」


 そう。喜んでいいはずなのだ。自分が大好きな踊士が王座を防衛したのだから。なのに。

 悔しかった。

 セレネにしろ、トバルにしろ、自分が応援してきた踊士はいつも勝っていた。ひょっとしたら自分は勝利の女神なんじゃないのか、なんて思って浮かれていた自分をぶん殴ってやりたい。

 セレネが優しく抱き締めてくれた。


「明日あいにいこっか。ショウジさんに」

「…………うん」


 ウルはゆっくりと、でも少し嬉しそうに頷いた。

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