第七話 ショウジ

「ウル・ネージュさん、いらっしゃいますか?」


 聞こえた声にふたりは聞き覚えがあった。セレネは素早くドアへ背中を寄せ、チェーンロックをかけてドアを薄く開ける。

 そこから見えたのは、黒のサングラスと黒のスーツをまとった細身の男だった。名はノリス。生まれてから一度も太陽に当たったことがないかのように肌が白い。最初に会った時、セレネは思わず彼の体調を心配してしまったほどだ。


「はい。なんでしょう」


 ノリスから視線を外さずに彼の後方を探る。同行者がいるかと思ったが、この隙間からでは見当たらない。今までもひとりで来た事は無いので、きっとここからでは見えない位置にいるのだろう。


「失礼ですが御影セレネさん。あなたに、ではなく、ウル・ネージュさんに用があるのですが」


やっぱりそれか。セレネは強気の口調で返した。


「えーっと、ですから、何回もいってるじゃないですか。ウルは悪いことなんかしてませんって。大体この子まだ八才ですよ? あなたたちに追われるようなこと、できるはずが無い、って分かりませんか?」

「年齢が幼いからこそ、なにより天津人であるからこそ、我々北米が保護すると言っているのです」

「結構です。遠慮します。百歩譲って日本政府ならともかく、あなた方に預けるなんて最悪な決断はしません。だからウルはあたしが守ります。今までも、これからもずっと」

「いくら出雲機工社が各都市に名を馳せていると言っても、所詮は一企業。有事の際にどれほどの権力と戦力が確保できるか、貴方に想像できますか?」


疲れもあった。だがこいつのこの言葉はセレネの逆鱗に激しく触れた。


「起こさなくてもいい有事を二度も起こして、天津人たちに地球を見限らせたのは、あなた方北米でしょうが!」


怒りにまみれた拳を壁に叩きつける。その音にウルの肩がびくん、と震えた。小声でごめん、と謝って言葉を続ける。


「あのひとたちはただ商売をやりに来ただけですよ?! 持っていた技術を理解できないと突き放しておいて、理解できるようになったら今度は一番頭の悪い手法で奪い取ろうとして、罪のない人たちを殺し続けて! そんな人たちを信用できると思わないでください!」


 ノリスはふう、と溜め息を吐いた。戦争も何もかも自分とは無関係だと言わんばかりだ。


「これ以上は並行線ですね。ですが警告もしておきます。我々は国軍です。これから先、何が起きるかを想像なさったらどうです?」

「そんな脅しをするから、地球から天津人がいなくなったんです!」

「脅しではありません。これは警告です」

「あたし、腐っても超級の王者です。そんな警告が通じると思わないでください」


 人型の戦闘能力は着装者の身体能力に比例する。そして王者には軍から官位が与えられ、書類上は現役の軍人となっている。火星政府が樹立して間もない

横柄な客が来たとき以外は笑顔を絶やさないセレネだが、いまばかりは違った。ウルが見上げた彼女の顔は、般若も裸足で逃げ出すほどの怒りで彩られていた。


「いくら憎むべき日本人とはいえ、女性を傷つけるのは忍びないです」


その声には憎悪が塗り込められていた。


「だったら、ウルを諦めてください」

「保護だと言っているでしょう。あなたこそ、理解してください」


会話の不毛さに辟易し、舌打ちしたセレネの耳に人型の足音が滑り込んでくる。わざわざ聞こえるようにやるなんて。警備のひと、しっかりして欲しいな。


「警備のひとを呼びますね」


 備え付けの電話を指差してウルに守衛室へ連絡するようアイコンタクトをする。うん、と頷いて小走りに向かう。頼りなくても来てもらう。ウルに降りかかる危険を少しでも減らしたいから。


「おい、あんたたち、なにやってるんだ?」


ウルが受話器を手に取ったその時、聞き知った若い男の声がセレネの耳に届いた。


「誰です、あなたは」

「牙桜(きばざくら)ショウジだ。あんたたちこそフェンリルなんざ持ち出してなにやってるんだ? そいつは機械闘技じゃあ使えない機体だぞ」


聞こえた名前にウルは小さく歓喜した。間もなく行われる試合で王座を狙う踊士だ。


「あんた、見たことないヤツだな。初めて参加するのか? だったら教えてやるよ。ここは踊士の控室で、人型を持ち込むのは禁止なんだ」


ノリスの様子に怪訝なものを感じながらも、まだ口調は柔らかだ。素姓の怪しい踊士など山ほどいるからだ。


「踊士風情が出しゃばる必要はありません。ここで見たことは忘れて、自分の控室に戻ることをお勧めします」


 そうかい、とショウジは呟く。


「風情って言えるってことは、あんたら部外者なんだな。どうやって登録チェックくぐり抜けたのかは知らんが、さっさと出ていってくれ。部外者立入禁止の看板見ただろ?」

「部外者はあなたのほうです。痛い目にあいたくなければ……」


ドアの隙間からのぞくセレネの姿を見て取り、ショウジは状況を理解した。


「は、人型三着も持ち出してまでオンナ脅すような連中が、俺に痛い目見せるって? 甘く見るなよ」


ショウジの視線には、野獣でさえ射殺せそうな圧力が込められていた。連中がひるんだスキにさらに一歩踏み出す。


「おい、ねえさん。こいつらは借金取りとかじゃねえな?」


一瞬セレネは迷ったが、藁をもつかむ思いでうなずいた。


「次だ。あんた実は極悪非道な犯罪者か?」


自分のことを正義の使者だとは思っていないが、かといって悪人になった覚えもない。セレネは首を横に振った。


「じゃあ俺がこいつらになにやっても恨まれねえな。すこし待っててくれ」

「あ、あの、待つって、なにするつもりなんですか!」

「心配するなって!」


まさか素手で人型とやりあう気なのだろうか。だとしたら危険だ。止めようと思い、チェーンロックを外す。そこには、手近な一機に飛びかかる、紺の作務衣を着たショウジの姿があった。連中もまさか本当に素手で立ち向かってくるとは思っておらず、動揺しているようだ。


『ま、まて! お前なにを……わぁっ!』


ひらり、と飛びかかった機体の背中に張りつき、機体のうなじにあるダイヤル式のロックを開け、中にあるレバーを限界まで引き出す。直後、圧搾空気とともに胸腹部のハッチが開き、搭乗者が情け無い悲鳴を上げながら弾き出されてきた。


「そうか。緊急脱出用のレバーを使えば……」


セレネがつぶやく間にショウジは残る二機へと向き直る。搭乗者を弾き出した人型はハッチを再度閉じると両手と両膝を床に付き、頭部をうなだれて沈黙した。

残った二着は動揺しつつも自機の姿を消した。動力源のナノブラックホールを利用して自機に当たる光を屈折させ、放出する音を閉じ込めているのだが、その場で行ったのではショウジの目から逃れられるはずはない。


「同じだよ、消えても」


手前の一着がいた位置にショウジは、半歩で近付き、手をのばす―やはりそこにいた。

 廊下の中という狭い空間の中では前後以外に動きようがなく、近くに生身の味方がいれば殴り飛ばすか、掴むかの二択になる。手の形が違うだけならどちらの手が来るか、だ。それも相手の立ち方で予想はついている。


「左だろ!」断定して跳躍した。


 ふわりとした跳躍は一足で天井まで届き、対応できていないフェンリルの背後にしがみつくと躊躇無く強制排出レバーを引っ張る。


「おらっ!」


 ばしゅん、と猛烈な勢いで圧搾空気が放出され、左側の一着は姿を晒した。ショウジは三機目へと飛びかかる。すっかり混乱した三着目の操者も、成す術もなくショウジにより外に弾き出されてしまった。

一分もかからない間にショウジは、生身で人型三機を沈黙させてしまった。


「さて、どうする?」


 弾き出された搭乗者たちはその場にしゃがみ込み、ショウジを畏怖に満ちた目つきで見ている。

ノリスは搭乗者たちに溜め息をついただけ。またショウジに向きなおり、


「たかが踊士が、いい気にならないことです」

「ああ。俺は、たかが踊士だ。だがあんたたちのように、人型使って脅すような連中よりはまともな神経してるつもりだ。ケンカならいつでも買うが、用心棒の依頼なら金塊山積みされたって受けねえからな」


猛禽類を思わせる鋭い眼光でドアの前のノリスを睨み付ける。


「……くっ。いつか後悔しますよ」

「上等だ」


捨て台詞を吐いて連中はすごすごと出口へと向かった。ショウジは連中がドアを潜るのを待ってからセレネに声をかけた。


「もう出てきて大丈夫だ」


 

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