第六話 ひとやすみ
機闘場の地下には踊士用の控え室が東西に配置され、主に試合前の集中力を高める場所として利用されている。
試合場での勝利者インタビューと、試合後の身体検査と、各メディア向けの合同取材を終えたセレネとウルは、しばし休息を取るために西側の控え室にやってきた。
重厚な鉄製のドアが閉まる音を背中で聞きながら、ふたりはあてがわれた控え室を探す。通路には合計十部屋が並び、ふたりの部屋は一番奥だった。
「あーもう、記者のひとってなんであんな当たり前のこと聞くんだろ。勝ったんだから嬉しいに決まってるのに、何が『いまのお気持ちは?』よっ!」
憤然と怒りを振りまいているのはウルだ。セレネの手前、記者連中に囲まれているときは我慢していたが、質問内容の稚拙さに何度も大声を上げそうになっていた。
「まあまあ、向こうだってお仕事なんだから。嬉しいです、だけじゃあちゃんとした記事にできないのよ」
「だったらちょっとは想像して書けばいいじゃないのっ!」
「想像で書いたらもっとダメでしょ。あたしの言葉が重要なの」
たしなめるセレネの言葉も、怒りに暴れるウルには届かない。
「大体、そんなに女の人が踊士やってるのが珍しいなら、第一都市に行けばいいのよ! そうすればセレネだって試合にだけ集中できるのにぃっ!」
第三都市は完成してから日も浅く、他の都市からすればまだまだ田舎だ。人気競技の機械闘技でも、女性踊士はセレネだけ。加えてこのおおっぴらな性格が彼女を自然と花形に仕立てている。さらに言えば、容姿はともかくとして、だらしない性格と猫と大差ない暮らしぶりが幸いしてか、野暮で下世話な雑誌からの張り込み取材は一切無い。
「気にしない、気にしない。記者さんたちがいろんな視点で記事にしてくれれば、試合を見に来てくれるひとが増えるかも知れないんだから、ね」
ぽんぽん、とセレネが頭を撫でてくれなかったら、ウルは湧き上がる怒りでどうにかなっていたに違いない。
「ほら、ウル。控え室でちょっとお茶飲んで行こ」
気がつけばふたりは自分たちの名前が書かれた控え室の前に居た。
「う、うん……」
優しく微笑まれ、ウルは怒りをどうにか引っ込めた。
「おじゃましまーす」
控室は土間のある畳張り。部屋の角にひっそりと置かれた照明は、四角い行灯型のデザイン。中央には丸いちゃぶ台まで置かれていて、戦いを控えた踊士の控室というよりは温泉宿のような雰囲気を醸し出している。
カグツチは一足先に搬送用トラックに乗り込んでいる。左手の修理は帰ってから自宅の工房でやるつもりだ。
「ええ、はい。カグツチの左手のパーツ一式、できれば今日中に届けてください。じゃ、お願いしまーす」
セレネが携帯端末を使って話しているのは、出雲機工社の部品製造工房。今日の試合が決まった日に、カグツチ一着分のパーツを確保してもらっている。
「今日中に届くって?」
「うん。だから気にしなくていいよ」
搬入を今日中、としたのは、ウルがあまりにもカグツチを心配していたからだ。普段なら試合の翌日以降に搬入させているので、電話口の担当者も驚いていた。
「だって、あたしがへたくそだから……」
ぴし、とウルのおでこをはじき、
「初めてカグツチを着て、初めて実戦やったのに左手壊しただけで済ませたんだから、胸を張っていいよ。あたしだってデビュー戦はもっといっぱい壊したんだから」
「……うん。ごめんね。勝手なことして」
「だからもういいって。お客さん喜んでたんだから、あれ以上のことを望んじゃだめ」
「うん。わかった」
安心したウルが壁にもたれてずるずると座り込んでしまった。
「あー、疲れた……」
「はい、お疲れ様」
清流のせせらぎのように澄んだセレネの声を聞くだけで、ウルの心から疲労の二文字は消えてしまう。それをもっと聞きたくて、ウルはいつも何でもないことでもどんどんセレネに話しかけている。
セレネは頭に巻いていた手ぬぐいを外す。衣擦れの音が耳に心地好い。汗で蒸れた髪を二、三度振って風を送る。肩口で切りそろえられた黒髪はその度に輝き、磨き上げた漆器のように美しい。
「ほんと、きれいだよね。セレネの髪って」
「えへへ~」
「もう伸ばしたりしないの?」
「うん。お手入れとか結構面倒だし」
これで遅刻ばかりする無精な性格さえ改めれば、求婚者は後を絶たないだろうな、とウルはいつも思う。
「よいしょ」
ウルの視線の意味に気付かないセレネは、そそくさとお茶の用意をする。
ちゃぶ台には茶葉と急須と湯飲みのセット。ポットにはお湯が、冷蔵庫にはよく冷えた緑茶などの飲み物と、お茶請けのお菓子が差し入れとして用意してあるからだ。やった。今日のお茶請けは「猫屋」の羊羹だ。自分の好物が用意されていて、セレネは嬉々として取り出す。
「なに飲む?」
「うん。冷たい緑茶がいい。砂糖とハチミツたっぷりのヤツ」
「その邪道な飲み方やめなさいって」
苦笑いを浮かべながらセレネは手近な湯飲みを手に取る。
「違うよ。あんなに苦いのに、ストレートで飲めるセレネたちの舌の方がおかしいの」
「そんなことないよ。ウルも大人になればわかるって。苦いのや辛いのもおいしいって」
しゃべりながらセレネは手早くお茶の支度を終えた。ウルには要望通りに甘くした緑茶、自分には温めの緑茶を湯飲みに注いだ。
―─うん。変なにおい。
悪いにおいではないが、緑茶から漂うこの甘苦い香りは紅茶のものとは別種だ。多分味はもっと違うだろう。想像を裏切る形で。
「はい、緑茶だったもの」
「そんな顔しないでよ。大体紅茶は甘くするのに、緑茶や麦茶はなんで甘くしないのよ」
ふむ、と腕組みをして考え込む。
「そういえばそうね」
確かに謎ではある。だが舌がそれを拒否する以上、セレネはそれ以上考えなかった。
「まあいいや、ショウジさんの試合まで時間あるから、あたしお手洗い行ってくるね」
ぐい、と自分の緑茶を飲み干して立ち上がった。
「うん。でも楽しみだな。トバルさんとショウジさんの試合」
ふたりはこの後行われる試合の観戦を約束していた。王者の特権を使えば機闘場の三階にある豪奢な特別席も手配できたのだが、ウルがもっと近くで見たい、と珍しくわがままを言ったので、ふたりは一般席の最前列で観戦する。
だがウルが立ち上がった直後、ノックの音が部屋に響いた。
「ウル・ネージュさん、いらっしゃいますか?」
ドア越しの慇懃な男の声に、ウルは自分でも気付かないうちに身を固くしていた。
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