第四話 ちょっぴりのうそ
流星のような加速で外周道路を駆け抜け、セレネは三十分と経たずに試合会場へ到着した。
試合会場は
「ふう。とうちゃーくっ」
鮮やかなハンドル捌きでセレネはバイクを選手専用の駐輪場に停め、ヘルメットを脱いでシートの下にしまう。バイクスーツの胸元を少し開けて空気を通し、バックミラーを利用して髪の乱れを手櫛で整える。肩口に揃えた髪が、汗でほんのり輝いた。
と、機闘場から大歓声が起こる。
「ほぉら、やっぱり前の試合長引いてるじゃない」
それが分かれば足取りにさらに余裕が出る。例えいま試合が終わったのだとしても、次に控える自分の試合開始までは準備などを含めて一時間はかかる。
「ウルに何か買ってってあげよっかな~」
どうせ今日の試合で賞金が出るのだ。負けてもそれなりの報酬は出る。前祝いにウルの好きな濡れせんべいでも買っていこう。そう決めるとセレネは選手専用の出入り口ではなく、一般観覧用の出入り口に足を向けて颯爽と歩き出す。
「えーっと、売店はどっちだったっけ……」
試合中のいまは、通路にもロビーにも人影はまばらだ。そこかしこに設置された小型モニターには現在行われている試合の様子が映し出されているが、セレネが興味を示すことは無い。
それよりも彼女が気にしたのは、柱や壁に貼られている、大きく引き延ばされた今日の試合の看板だ。
『王座戦二試合連続開催!!』
『御影
『激闘必至!
などと綴られた派手なあおり文句はまだいいとして、
「写真撮り直したいよぅ……」
この看板写真というものはどうにかならないものか。きっちりお化粧していても、こんなに引き延ばされたら毛穴だって丸見えだ。
ちなみに踊士、とは機械闘技に参加する選手の総称で、踊るように戦う彼らを賞賛して付けられた呼び名でもある。
げんなりしながらも売店を見つけたセレネは慌てず騒がず歩み寄っていく。観戦のお供に、とお菓子や飲み物や雑誌が並べられ、それ以外にも、今日行われる試合の取組表がまだ数部だけだが残っていた。
「おばちゃん、濡れせんべいちょーだいっ」
売店のおばちゃんは目を丸くしていた。まさか試合を直前に控えた踊士が、こんなところをうろうろしているとは夢にも思わないのだろう。
驚いてるおばちゃんから濡れせんべい十枚入りを一袋買い、セレネは控え室へ、
―─カグツチ?
視界の隅をかすめたのは、カグツチだった。
ばっ、と反射的に、売店の片隅に置かれた小型モニターを両手で掴み、凝視する。
『いやぁ、どうしたことでしょう。今日の御影踊士、動きに全く生彩さが見られません』
弁士の声にも耳を疑った。
「なんでなんでどうして! あたしがここにいるのに、なんでカグツチが戦ってるのよ!」
相手は、深紅の塗装が目に鮮やかなサルタヒコ。これを駆るドゴッダとは今日が初顔合わせだから、この映像がいま現在行われている試合なのは事実だ。
「ばか、そっちに避けたら!」
そう。避けた地点に次の一発が迫っている。二発目に気付いた時には完全に回避のタイミングを失っていた。咄嗟に出した右腕に命中し、激しい爆発がカグツチを包む。爆煙が試合場に溢れ、全員の視界を奪った。しかし、爆煙をかき分けるようにしてサルタヒコがダッシュ。完全に後手に回ったカグツチへ向けて幅広の大刀、
「なにやってるのよ! 誰が着てるのよ! あんな見え透いたフェイントに引っかかるなんて!」
思わず叫んでしまうセレネに、売店のおばちゃんが声をかける。
「あら、あなたやっぱりセレネちゃんなの? おばちゃんてっきりそっくりさんかな、って思ったわ」
「ど、どういうことですか!」
* * *
試合場へ続く花道は薄暗く、足音を何重にも反響させる。
普段の試合ならこの反響する足音に耳を澄ませて雑念を払っているセレネだが、いま彼女の心を支配するのは、噴煙を上げる火山よりも激しい怒りだった。
『おかしいと思ったのよ。いつものセレネちゃんなら、ささささって避けて、ずばばばばって攻撃するのに、今日は全然だめだもん。風邪でも引いてるのかなって。おばちゃん心配しちゃったわ』
売店のおばちゃんの声が脳裏に反響する。
『それに普段なら、テレビにセレネちゃんたちの顔も一緒に流すのに、あれもやらないから、変だね、ってみんなで話してたの』
いまカグツチを着てドゴッダと戦っているのはあの子だ。
驚きよりもまず怒りが強く沸き立った。
観客を事故から守るために張られた重力膜に穴を開けさせ、右手に館内放送用のマイクを、左手に濡れせんべいの袋を握りしめ、いま、鋼鉄の巨人が死闘を繰り広げる試合場へ足を踏み入れる。
カグツチは先ほどの交錯で右手首を落とされ、すっかり怯えた様子で壁際に追いつめられていた。この勝機を逃すまいとサルタヒコが焼散剣を腰溜めに構え、カグツチへ猛然とダッシュする!
『あーっと、このまま為す術無く王座から陥落してしまうのか!?』
弁士を含めた会場の誰もがドゴッダの勝利を疑わない。
セレネが叫ぶべき言葉はただひとつ。
『なぁにやってるの! ウル!』
瞬間、時間が止まった。
念願の王座に手を乗せていたドゴッダでさえ、サルタヒコに急ブレーキをかけ、生身で立つ今日の対戦相手を凝視した。
『だ、だっ、て、セレネ、遅、い、から……!』
カグツチから聞こえてきたのは、泣きじゃくるおんなのこの声だった。よほど怖かったのだろう。涙と鼻水で顔も声もべしゃべしゃだ。
『だっても何もない!』
『セレ、ネが、セレネが悪いんだ、もん! みん、ないつ、ものこ、とだって、笑ってるし、社長さん、が、時間に遅れる、なんていけない、こ、とだし!』
『だからってウルが試合やる必要なんて無いでしょ!』
ずかずかと、砂埃舞う試合場の中央へ進むセレネ。
状況を理解した観客たちがざわつき始めた。弁士もいま口を挟むのは野暮と判断し、成り行きを見守ることに決めた。
『だって、だって……』
『うるさい! さっさと脱ぎなさい!』
『やだ!』
『やだじゃない! カグツチ!』
ウルが意地を張っても、カグツチがハッチを開けてしまえばすべてが終わる。しかしカグツチはぴくりとも反応しない。
「ウルの気持ちも察してやれ、ってなによ。カグツチまで……」
これではこっちが悪者ではないか。
『もう、遅刻、しない?』
ウルの提案に、セレネは言葉に詰まった。
『そ、それは……』
『やくそく、して!』
五万人近い観客たちが固唾を飲む。セレネの遅刻癖は観客にもしっかり浸透している。いつものことだ、と観客たちも気にしないのでファンの数が減ったりはしない。
『でも、さ』
この期に及んでセレネは食い下がる。試合に勝って賞金をもらうことも大事だが、惰眠をむさぼることも譲れない。火星に来てから続く貧乏暮らしでいろいろな楽しみを失ったが、これだけは何があろうと手放さなかった。
いくらウルの頼みであっても、だ。
ウルもセレネが何を迷っているのか、手に取るように読み取っている。だがここで引き下がっては、無理を付き合わせたカグツチに仁義が通らない。言うまいと思っていた言葉を、思いっきりぶつけた。
『だったらあたしがこっから逆転するんだから! そんでカグツチと一緒に、ずっとずっとずっと勝ち続ける! セレネなんかどうにかなっちゃえばいいの!』
ウルの覚悟と決意に観客たちが、おお、とどよめく。目の肥えた客なら、この試合で見せた活躍から、有望な将来を予想するのは簡単なことだ。
そしてウルはやると言ったらやる子だ。
ウルを危険にさらすことだけは、絶対にしてはいけない。それは三年前のあの日から自分に課してきた責任だ。
『ああもう。分かったわよ。次は遅刻しない。約束する』
『ほんと?』
『あたしは、嘘は言わない』
『……絶対、だからね』
『分かった、ってば』
『……わかった』
その一言で観客たちも安堵のため息を吐いた。
『カグツチごめんね。あたしがへたくそだから、いっぱい壊しちゃった』
構わない、と返事をしてカグツチはハッチを開放した。
「セレネぇっ!」
袖から腕を抜く時間も惜しむようにウルは飛び出し、セレネへと抱きついた。
「ったくもう。怖かったでしょ」
「こわくなんか、ないもん!」
「強がっちゃって。こんなに鼻水流してるじゃない」
「カグツチが、いっぱい励ましてくれたの! セレネだって、絶対来てくれるって分かってたもん!」
はいはい、と優しく頭を撫でながらカグツチを労う。
「ありがとね、カグツチ。かっこいいよ」
大歓声があがる。
『さぁ、感動の再会を果たした御影踊士ですが、試合はまだ継続中です!』
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