第三話 貧乏社長と銀髪の少女

翔和しょうわ四三年。火星。

 開発から二十年が経過した火星は、人々の努力の甲斐あって、現在三つの大都市が根付き、あと数年の内に第四の都市が完成、さらに第五の都市の計画が動き出そうとしている。

 セレネが唯一助けられた少女を連れて火星に避難してきたのが三年前。いまふたりは親類のつてを頼って第三都市のはずれにある出雲機工社の第三都市支社兼工房兼自宅で暮らしている。

 その自宅からは、先ほどから目覚まし時計のベルがけたたましく鳴り続けている。


「ちょっともう、セレネ! はやく起きてよ!」


 ベル音に混じって外にまで聞こえるのは、まだまだ幼さが勝つ少女の声だ。


「だから言ったじゃない! 寝酒は飲んでいいけど少しだけにしてって!」


 畳に膝を付いて少女は銀色の短髪を振り乱しつつ、頭まで布団を被ったセレネを目覚めさせようと必死に呼びかけている。

 ようやく起きる気になったのか、セレネはもぞもぞと顔を出し、


「だって~。ドゴッダさん強そうなんだもん。作戦考えてたら寝れなくなっちゃってさ」


 てへへ、とおどけてみせた。


「セレネとカグツチの方が百万倍強い!」

「ありがと~、ウル」

「だから、こら、起きろ! 貧乏社長!」

「もうちょっと~」


 さっきからこの調子である。

 火星に流れ着いてから三年と少し。気がつけば足音もなく傍らに立っている貧乏神への免罪符としてセレネが選んだのは、人型を使った戦闘競技、機械闘技である。


「今日はトバルさんの試合だって控えてるんだから、待たせるわけにはいかないの!」

「だいじょぶだいじょぶ。ちゃちゃちゃっ、と片付けるから」

「さっきと言ってることが違う!」

「そんなことないよ。あたしの方が百万倍強いんでしょ~?」


 起きてるのか寝惚けてるのか、屁理屈だけはやけに冴えている。もう我慢ができない。ウルはばしばしと布団をたたき出す始末。


「カグツチだって怒ってるよ!」

「カグツチは大人だから、へいきよ~」


 セレネが愛着カグツチと共に連戦連勝を繰り返し、地方リーグながら王者にまで登り詰めたのは半年前。今日は月に一度の防衛戦なのだ。


「そういう問題じゃない!」


 ベルが止んだ。援護を止めた目覚まし時計を怒りを込めて睨めば、針は巳の刻を指し、開始時刻まで一時間を切ったことを告げている。いま家を出ればごめんなさいで済ませられる時間だ。にも関わらずセレネは、


「やっとしずかになった。おやすみ~、ウル」


 やれやれ、と布団を被り、ウルに背を向けてしまう。


「おやすみ、じゃない! 急がないと不戦敗になっちゃうの! そしたら貧乏になってご飯食べられないでしょ!」


 ウルに切り札を切られ、む~、と一度セレネは唸る。と、枕元に置いてある、二つ折りの携帯端末を引き寄せた。


「何やってるの?」

「ちょ、っと待って、ね……」


 かちかち、と端末のボタンを押す音だけが寝室に広がり、まさか、とウルが気づいた時にはもう遅い。


「カグツチに電文でお願いしたから、ふたりで先に行っててい~よ~」


 同じく枕元に置いてある、搬送用トラックの鍵と一緒に携帯端末を投げ渡した。


「わ、わ、ちょっと!」


 どうにか受け止めたが、セレネの度し難い行動にウルは半ば呆れ、半ば幻滅した。


「信じらんない! こんなだらしない社長さんなんて、あたし聞いたこと無いよ!」

「ここにいるじゃない。ウルはまじめさんだねぇ……」

「あっ、こらもう! 貧乏社長!」


 罵声もなんのその。セレネは掛け布団をどかす素振りなど微塵も見せず、すやすやと安らかに寝息を立て始めた。


「もうっ! 知らないからね!」


 ふすまを閉めもせずにウルは足音高く部屋から走り出ていった。

 セレネは、ちょびっとだけ反省した。

 だからといって、布団から飛び起きたりはしないのだが。


    *     *     *


「まったくもう! セレネのばか!」


 コンクリートの床を踏み抜きそうな勢いでウルは工房にやってきた。


「どうなっても知らないんだから!」


 電動式雨戸シャッターを開けて外の光を取り込むとまず目に飛び込んで来るのが、奥に向かってずらりとならぶ人型整備用の衣紋掛け《ハンガー》。人間の手術用ベッドに似たそれは全部で十二基ある。だが、稼働しているのは手前の二つだけ。残りの十基は白い防塵布をかけられ、再び稼働する日を期待せずに待っている。

 太陽系全土に名を馳せ、各惑星に支社を持つ出雲機工社だが、火星第三都市支社だけは例外だ。

 社員は社長のセレネだけ。それでも問題なく依頼がこなせているのだから、客の入りは想像して欲しい。


「だから機械闘技に出て賞金もらわないといけないのに!」


 ぷんすか怒りを振りまきながら、壁にぶら下げてある鉢金を取り、稼働しているハンガーのひとつの前にウルは立つ。


「ひどいと思わない? カグツチ」


 そこに仰向けの状態で固定されているのはセレネの愛着あいきカグツチだ。漆黒の装甲は昨日ふたりがかりで丁寧に磨いてぴかぴかだ。ウルは慣れた手つきで操作盤を叩く。重い音を立てながらゆっくりとベッド部分が起きあがり、カグツチを起立させる。完全に起きあがるのを待ってカグツチに掛けられた両肩と腰回りのロックを解放する。

 緩く被った鉢金に、カグツチからの返信が踊る。


「え、いつものことだ、って? カグツチ甘すぎるよ」


 解き放たれてずしゅん、と一歩を踏みだしたカグツチは、そのまま雨戸をくぐって外に出て、庭先に待機している搬送用トラックまで歩き出す。

 カグツチだけに限ったことでは無く、人型はある程度の自律稼働が可能だ。カグツチのように明確な自我を持ち、意志の疎通ができるようになるまで深く長く接する者はもうずいぶんと少なくなったが。


「あ、ちょっと待って。いまコンテナ開けるから」


 壁に掛けてある鉢金ヘッドギアを取り、小走りで雨戸をくぐってトラックへ駆け寄る。外は快晴。少しぬるい潮風は、夏の到来が近いことを教えてくれた。


「うん。いい風」


 心地よさに目を細めつつ、雨戸を閉じて鍵をかける。この三年間、毎日潮風にあおられ続けているのにサビ一つ無いのは、天津人あまつびとの技術が取り込まれているから。


「戸締まりよし、っと。カグツチ、いいよ」


 振り返ってカグツチを誘導。カグツチも慣れた様子で雲海を昇る朝日が家紋として大きくあしらわれた鉄製コンテナに入っていく。

 ウルも助手席に座り、鉢金とダッシュボード上のモニター両方の映像でカグツチが仰向けに固定されたことを確認する。


「じゃあごめん、カグツチ、運転お願いね」


 了解、と鉢金にカグツチからの返信があり、直後、トラックのエンジンが始動。細かな振動がおしりに気持ちいい。誰も足を乗せていないアクセルが踏み込まれ、誰も触っていないハンドルがゆっくりと動く。


「ほんとに行くからね! セレネ!」


 窓を開けて大声で叫ぶ。

 返事があるはずは無かった。


「もうっ、一回本当にどうにかなっちゃえばいいんだ」


 ウルも腹をくくった。

 大人のカグツチは最初から涼しい顔だ。

 窓からの潮風が、ウルの気持ちをはやらせていた。


    *     *     *


「よぉし。たっぷり寝たし、寝覚めもばっちり。今日も快勝楽勝っ」


 ウルたちが出発してからずいぶん経過してようやく、セレネは布団から起きあがった。

 試合開始まであといくらも無いと言うのに、やはりセレネはゆったりとした動作で寝間着から革製のバイクスーツに着替え、猫のような足取りで無人の工房にやってきた。


「うん。ちゃんと鉢金も持って行ってる。さすがウルね」


 鉢金と携帯端末があればカグツチの規約検査は行える。試合で使う人型には細かい規約が定められていて、それらの確認は試合直前に行われる。仮に違反するような改造をし、それが発覚しても、仕立て直す猶予を与えず失格とするためだ。

 逆に操者への検査内容は健康状態だけなので、あとはセレネさえ時間に間に合えば試合を始められる。


「早く着いたって待たされるだけだなんだもん」


 鼻歌交じりに雨戸を開けつつ、セレネは工房の片隅に置かれた黒の大型バイクを外に押し出す。

 ここから試合会場までは、第三都市の外周を通る環状道路を百キロほど西へ走らせればいい。試合会場は外周道路に面した海上に建設されているので道に迷う心配も無い。


「さて」黒のフルフェイスヘルメットを被り、「今日の晩ご飯のため」エンジンスタート。「いざ、しゅっぱーつ!」一気にフルスロットル。


 セレネのバイクには、人型と同じナノブラックホールエンジンを乗せてある。その理由は見ての通り寝坊対策だ。ついでに載せた重力膜発生機関により、空気抵抗と衝撃波はほぼゼロに押さえられている。

 つまり、


「せえのっ!」


 いま、音の壁を越えた。

 試合場でなにが起こっているのか、全く予想さえせずに。

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