第二話 ふたりの出会い
ふたりと一着は相模川と中津川の合流地点までやってきた。
「定時報告です。現在、相模川と中津川にかかる瀬尾橋前に到着しました。渡橋後は中津川を超え、厚木市に入ります。野戦病院への到着は十四時頃の模様。以上です」
セレネも出雲機工社も軍属ではないが、任務の内容上、軍部への通信は義務づけられている。
出発前に軍から受けた報告では、この近辺に米兵の姿は確認されていない。護衛がカグツチ一着だけなのは、ふたりの戦闘能力を信じて、ではなく、そういう理由からだ。
現在、北米軍との戦線は硫黄島沿岸に集中している。艦船の数だけを見れば圧倒的な北米軍だが、その性能差は百倍以上。北米艦隊が放つ砲弾や航空爆雷等は全て無効化し、日本軍による電撃的な攻撃は瞬く間に艦を戦闘不能に追い込み、撤退を余儀なくさせている。
敗色濃厚となった北米軍指令部が下した決断は、硫黄島を拠点とした首都江戸への一点突破。それまで誰も目をつけなかった硫黄島への攻撃に日本軍は対応が遅れ、その隙間を縫うようにして北米軍は兵を送り込み、相模湾周辺でゲリラ戦を展開している。
通信を切り、セレネは前を向く。道幅に余裕はあるが、橋の左右には柱も壁も無いので、こんな大きなトラックでは何かあった時大変だな、とセレネは思った。
「じゃ、行きましょうか」
と、橋に足を乗せたそのときだった。
「え、敵影?」
カグツチが拾った情報に、セレネは自分の目を疑った。
網膜映像の右上に表示される、自分を中心とした周辺地図。その右側、相模川の下流から、赤と黄色の輝点が一つずつ川を遡行しながらこちらに迫ってきている様子が映し出された。
「追われてるみたい……」
まだ随分下流だが、この速度ではものの数分で橋の下を通過してしまう。
どうすべきか迷うセレネに、トラックの千場から通信が入る。
「……はい。こっちでも確認しました。米軍所属の攻撃艇が二隻。でも前方の一隻から救難信号も発信されています」
下流に目をやる。最大望遠。間違いない。あの安っぽい造りは米軍艇だ。一体どこから紛れ込んだのか、という嫌悪感と、調査に不備があった事に若干の不満を覚えた。
「どうします? あたしは、助け……たい、です」
無視しろ、と言われることも覚悟した。けれど千場は好きにしろ、と言ってくれた。
セレネは満面の笑顔で答える。
「はいっ!」
カグツチも活躍の場を与えられて喜んでいる。
「行くよっ!」
相手は攻撃艇一隻だ。船首に長大な大筒を乗せているが、あんな小型艇に積んでいるのでは一発撃てればいい方だろう。後ろ腰の大筒を千場のトラックに立てかけ、右手に持っていた三つ叉の槍に電力を供給する。準備完了だ。
二隻がもう、目視出来る距離に来た。
『そこの米軍艇! 止まりなさい!』
川岸から最大音量で怒鳴りつけ、えいっ、と大きくジャンプ。雨の影響なのか、胸元まで水位が上がっていた。飛び込んだ時の波が一丈ほどの高さとなって広がって少し焦る。
逃げていた一隻はどうにか高波を乗り切ってくれた。一安心してセレネは、まだ波に揺られている米軍艇に歩み寄る。
『我々は日本軍の管轄下にあります。発砲すれば……』
セレネの警告も空しく、野戦服と鉄兜を目深にかぶった兵士が小型挺の屋根に据え付けられた機銃に飛びつき、乱射した。だがカグツチには傷ひとつ付けられない。装甲の表面に展開されている重力子皮膜が物理応力を無効化しているのだ。
力を吸収された五寸釘大の弾丸は、ぼろぼろと川に落ち、無数の波紋を作った。
弾丸が当たった時の揺れさえないカグツチの中でセレネはつぶやく。
「すこしは人の話を聞きなさいよ。そんなだから
と、鉢金の中で豪快な笑い声が反響した。誰かを問いたださなくても、すぐに千場のものだと分かる。ぶすっ、と頬を膨らませ、文句をいう。
「もう、なんで聞いてるんですか」
笑いながら千場は謝っているが、まるで誠意を感じない。
「だったら千場さんが説得して下さいよ。あたしと違ってオトナなんですから」
笑い声が小さくなった。たぶんひきつけを起こしてるのだろう。
「ふんだ。あとでひどいですからね」
そこで機銃は弾切れを起こし、乱射が止んだ。厄介なので、間合いを一気に詰めて砲身を握り潰して使用不能にすると、さらに船底を掴み、気合一発。
『せ、え、のぉっ!』
なんと艇を担ぎ上げた。
乗組員たちは甲板や天井にしがみついて落下を免れた。船体はできるだけ水平に保つようにしているが、やはり重いし重心がうまく取れない。よろけながら、足を波に取られながら外部音声を使っていう。
『投げ飛ばしたりはしませんから、安心してください』
宣言通りセレネは艇を担ぎ上げたまま岸まで歩いていって、ずしん、と置いた。一応後部に回ってスクリューを壊しておく。
『日本軍のえらいひとに話をつけておきますから、抵抗とか自殺とかしないでください。あなたたちの情報なんかいらないですから』
意味は通じたと思う。えっちら水をかきわけながら岸へ上がり、追われていた方の艇を目指す。軍人たちは、殺さないのか、とかわめいている。あまりにしつこいので顔だけ振り返って、
『あなたたちの国に帰るのが恐いなら日本にいてください。そんなに悪い国じゃないと思います。手前味噌ですけど』
そういった。それでおとなしくなった。前を向いて、
『もう大丈夫です。追っ手はなんとかしましたから』
五里ほど上流で様子を伺っていた艇も、しずしずと岸に船体を寄せた。乗っていたのは地球人でいえば三十才ぐらいの夫婦と、五才ぐらいの少女だった。三人とも銀色の髪が雨露にそぼ濡れて輝いていて、セレネは思わず見惚れてしまった。天津人だ。多分亡命してきたのだろう。夫婦は鳶色の作業服と作業帽に、少女は黒のオーバーオールと黄色のセーターに身を包んでいた。
千場のトラックに無線をつなぐ。
「ええっと、空いてる方のトラックに乗ってもらうってことでいいですか? 荷物を先に届けないと」
おう、と千場は快諾してくれた。
『じゃあ、とりあえずトラックに乗ってもらって。えっと、亡命の手続きとかは、あたしたちが配達を済ませるまで待ってください』
千場がトラックを先行させて親子に近付ける。セレネも道路に置いた武器を手にとる。
……え、敵弾?
鉢金に警告音が鳴り響き、同じく警告の赤い光が広がった。
反射的に強重槍の束を握り締める。網膜映像には敵弾の発射予想地点が六尺後方、あの北米兵が携帯していた大筒から発射されたものであると報らせている。だが、誰が撃ったか、なんて関係ない。カグツチのからだを思いっ切り開いて槍を構える。
「当たれぇっ!」
敵弾の予想着弾地点は―親子が乗っているあの船!
槍を思いっ切り前方へとぶん投げる。高い風切音。直後に稲光に似た強い光が一帯を包む。一瞬遅れて轟音が鳴り響き、爆風が樹々や草花を猛烈な勢いで揺さぶった。親子と千場は無事だった。
「よかった……」
ふう、と安堵の溜め息をこぼす。
鉢金の中で赤の光が消えていないのに。
なんで?
爆発は遅れてもう一回あった。
漆黒の光が視界すべてを埋め尽くし、その圧壊の魔の手は千場の乗るトラックと、小型艇を無残に握り潰した。
セレネが助けられたのはオーバーオールの少女だけだった。
今から三年前の秋のことだった。
セレネはこの年の冬、火星へと向かった。
* * *
彼らは混迷極まる幕末にやってきた。
目的はあくまでも商売。火星などの惑星資源を、ほかの恒星系や銀河に売買する行商人として。だが電気さえ珍しいあの時代に彼らを受け入れたのは日本だけだった。どうせ国を開くのだから、その相手は大きいほうがいい。十四代将軍家定はそう判断した。
もちろん日本とて彼ら―天津人との交流がスムーズに進んだわけではない。それに国内の混乱や、国を開け開けとせかす北米との交渉もあったから、すべてが落ち着くには一○年の歳月が必要になった。その間天津人は辛抱強く、時に助言をしながら待ち続けた。なにしろほかの国々にはすべて拒絶され、日本は最後の望みだったから。
勝手に開発をすればよいだろう、と問いかければ、『せっかく仲良くなったのだから、一緒にやりましょうよ』と答えた。
宇宙開発を始めたのはいまから百三十年前。西暦で言えば一八八七年。元号ならば
地球では二度の世界大戦が勃発し、多くの難民や商人が火星に流れた。
二度目の世界大戦が終結して三年後の翔和四三年の夏。火星。
ふたりとひとりは第三都市で出会った。
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