応援コメント

「没イチ」という呼称」への応援コメント

  • 私の愛した人は数字のイチやニではない。人を数字で語ると心をなくす。私はそう思います。

    作者からの返信

    翼さん

    たかが呼び方、重たいことを敢えて軽やかに……そう思う方々が自分で言うのは別に構わないと思うのです。
    ただ、これが総称になるのは勘弁して欲しいなと。
    わたしはこの名前で呼ばれたくないので。

    >人を数字で語ると心をなくす。

    わたしも、そう思います。

    編集済
  • タイトルを見た瞬間、芸人とかの世界で何かを揶揄するようなコトバがまた出てきたのかな? と思いました。
    まさか、そんな意味だったとは。。。

    漢字の見た目から受けるイメージも、語感も、負の感情しか湧かないですよね。
    この言葉のもとに訴えたい趣旨はいいものなのでしょうけど、
    だったらなおさら、もうちょっと考えてもよかったのでは? と残念に思います。

    これが広まって、初対面の人から「あぁ、没イチですか」とか明るく言われるような場面を想像すると……ゾッとしますね。
    もし自分がそうだったら、悲しいし、腹立たしくも感じると思います。

    そもそも、そのことに一言で言い切る呼称が必要なのでしょうか??
    こういうのは、お一人と知った時に、「亡くされてるんですね」ってことがだんだん遠慮がちにわかっていく類いのデリケートなことですよね(もしくは自分から言うか)

    少なくとも、伴侶を亡くされた方は、それぞれが色んな悲しさの段階にいることを忘れちゃダメですよね。一生、悲しみが拭えない方もいるんですから。

    作者からの返信

    みさえさん、わたしも初めてこのタイトルを見た時(ネット書店で他の本を購入した時に、たまたまお勧め本?的にタイトルデカデカと表紙がでてきました)一瞬、何の事だか、わからなかったんですよね。

    そして、よく見直してみて、本の紹介を読んで、何とも苦いものを飲まされたような気持ちになりました。

    そうなんですよね。
    主催者の方の亡くなった配偶者の分まで楽しく人生を生きていこうという考え方は素敵なことだと思うし、同感もできる、できたと思うんです。
    この「没イチ」なんてデリカシーのない略称さえなければ。
    活動を広げるためにインパクトある呼称を、と考えられたのかなとも思いますが、こういうデリケートな心の問題に対するにしてはあまりに無神経ではないのかなと。

    >伴侶を亡くされた方は、それぞれが色んな悲しさの段階にいることを忘れちゃダメですよね。

    そう思います。
    大切な人を亡くすということには、それぞれの他人には伺いしれない痛みや悲しみがあるから……。

    そんな略称みたいなもので、呼ばれたくないという人の気持ちも尊重していただいて、これを間違っても正式略称なんかにはしないで欲しいと切に思います。

    編集済
  • 言葉の重み、怖さを感じます……。
    パートナーの分まで生きる、という考え方には共感しますし、その方の強い想いがあるのだろうと思うだけに、言葉が独り歩きしてしまわないことを願います。

    作者からの返信

    プラナリアさん、そうなんです。
    この主催者の方も辛い別れを経験されての思い、考えには共感出来るけれど、なぜ没イチなんだろうかと。

    本の表紙に大きく書かれた題名を見た時に、わたしには不快感しかありませんでした。
    どんな前向きで素晴らしいことを提唱されていても、無理でした。
    言葉って難しいと改めて感じる出来事でした。

  • 全く同感です。
    なんかデリカシーの欠片もない言葉ですね。

    タイトルみて??と思ったけれど、読んで尚更、なんでその言葉を使う??って思ってしまいました。

    作者からの返信

    あいるさん

    同感してくださってありがとうございます。

    ほんとにね……なんでわざわざ、この漢字?この言葉?って。
    この呼ばれ方で元気が出るという人もいるんだろうから、完全否定をする気はないけど、この呼称が一般的になるのだけは勘弁して欲しいって思いました。

    この言葉に強い拒否反応を感じる人間もいることをわかって欲しいです。。。