弔い



 この世界は非道すぎる。

 どこまで私たちを弄ぶ気だ。


 芦名くんは私のグループに来てからは、真面目で努力家で仲間思いで、何も悪いことなんてしていない。

 物に当たることはたまにあるが、誰よりもみんなのことを考えていた。

 子供や老人に「俺はお腹が空いてないから」と言って食料を分け与えられるような青年だ。


 ただ、この世界になって逃げだした時に家族と離れ離れになってしまった。

 彼はそれをずっと悔いていた。

 兄貴を、母さんを、父さんを……見捨てて逃げてしまった、引き返そうと思えばできた、怖くて怖くて保身から逃げてしまった。

 はじめて芦名くんと会ったとき、彼は何度もその言葉を口にした。


 それでもどこかで家族と再会できると信じ、今まで私の下で毎日涙を流しながら頑張っていたのだ。ひたすらに私の言うことを素直に聞き入れ、誰よりも早く成長していた。

 家族を見つけ出すために力がいる、と毎日のようにモンスターを倒していた。


 そんな青年に、この世界はなんて仕打ちをするのだ。


 芦名大地。

 その名を私は彼から聞いている。

 有名な大学の医学部に合格するほどの秀才であり、弟思いの優しい兄であり、二つ年上のお兄さん。


「嘘だろ……おい、嘘だと言ってくれよ! 機械女! 頼むから嘘だと言ってくれ!!」


 芦名くんは何度も何度も地面に自分の拳を叩きつける。

 土埃が舞い、赤い血が地面に滴る。

 正体も分からないアナウンスに向かって、彼は必死に叫び続けた。


「おい……返事をしろよ……頼むから、頼むから……」


 彼の涙が地面にぽつりぽつりと落ちてゆく。


 私は無力だ。

 こんなときどう声を掛けていいのか分からない。

 なんと声を掛ければ正解なのか分からない。

 卑怯な大人だ。

 誰かが声を掛けてくれないかと願っている私がいる。

 誰かが助けてくれないかと考える自分がいる。

 私よりももっと適任がいるはずだと考えてしまう。


 そう私は昔からずっと力のない人間だ。

 何をやろうにも他人任せ、自ら行動を起こしたことなんてほとんどない、ただのサラリーマン。業績も普通、見た目も普通、パートナーだってできなかった。

 ごく普通のどこにでもいる人間。

 この世界で偶然手に入れた【リーダー】はその弱点を補完してくれただけ。今までの自分は自分であっても、本当の自分ではない。

 偽りの赤司総司の姿だ。


 誰か、誰か、誰か……。

 芦名くんを助けてやってくれ。


 私はただひたすらに願った。


「ムキュ?」


 それは天使だった。

 彼の手を優しく包み込むように、一匹の小さな天使が話しかけた。

 それに続くように、ねむが連れてきた外部の人間――逢坂氷一郎が目線を合わせるように目の前にしゃがんだ。


「大丈夫? だってさ」


 その天使の言葉を代弁するかのように、その男は優しい口調で語りかけた。

 思わず、芦名くんの手が止まる。ゆっくりと顔を上げる。

 その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡れていた。


 そして――芦名くんはギリギリと歯を噛み締めた。

 憎しみの表情がそこにはあった。


「お前がっ…………」


 芦名君はそこまで言いかけ、言葉を飲み込んだ。

 握り締められた手には力が入っていたが、徐々に緩んでいく。


 私にはその言葉の続きが分かっていた。


 ――お前が兄貴を殺した。


 こう言いたかったのだろう。

 確かに白猿を殺したのは彼だ。

 しかし、芦名君は白猿の怖さを、今までしてきた行ないを、殺してきた人間たちを、この街の惨状を、よく知っている。


 芦名くんは自らの身であの恐怖を経験している。

 白猿に目の前で仲間を奪われ、嬲り殺されたという、目を逸らしたくなるほどのショックな出来事。

 だから、芦名くんは咄嗟に言葉を飲むことができたのだろう。


 そのやるせない顔が如実に物語っている。


「ムキュ?」


「何で自分を傷つけるの? だってさ」


 その言葉に芦名君は考え込むように自分の拳を見つめる。

 血が流れ土と混ざり合った拳を、芦名くんは適当に払った。


「ムキュムキュ」


「僕の主が治してあげる、だってさ。……って、俺か?」


「ムキュー!」


「はいはい、分かったよ」


 彼――逢坂氷一郎――の手の平に小さな氷が出現した。

 さきほどの戦闘もそうだったが、彼はどうやら氷系の職業かスキルを扱うみたいだ。

 ただ、そのレベルが異次元であるのだけど……その辺は後にしよう。


 その卓球ボール大の氷球がふわりふわりと芦名君の手元へと向かう。

 芦名くんもだんだんと冷静さを取り戻してきたのか、その氷から逃げようとしない。


 氷と傷口が触れる。

 本当に一瞬のことだった。

 キラリと氷の粉が舞い、芦名くんの傷口はいつの間にか塞がっていたのだ。


 回復能力。

 私の脳裏にはこの言葉がよぎっていた。

 特に私自身がゲームに詳しいわけではないが、もうこの世にはいないあの子から知識を授かった。だから、そういう約束も何となくだが知っている。


 そうか、私はあの時死んだと思った。

 だけど、彼がこの能力で治してくれたのかもしれない。

 あとでちゃんとお礼を言わなければ。


「あ、ありがとうございます。その……すいません、少し取り乱してしまいました」


「気にするな若人よ」


 芦名くんは完全に頭を冷静に出来た様子で、立ち上がった。

 そして、徐に彼へと手を差し出した。

 彼もそれを優しく握り返す。


 というか、私から見れば二人とも若人に見えるよ。

 妙に堂に入っているというか、落ち着いた人だ。


「赤司さん」


 すると、突然芦名君が私の名前を呼んできた。

 その顔を見て、私は彼が何を言いたいのかを察した。


「うん、君は少し時間が必要そうだね。私たちは一度、帰るとするよ」


「ありがとうございます」


 芦名君は丁寧に私たちに向かって頭を下げた。


「それじゃあ、一度みんなで私たちの住処に行こうか。積もる話もあるしね」


 その言葉に全員が無言で首を縦に振ってくれた。


 こう改めて思うと考え深い光景だ。

 今まで反発組織のリーダーをしていた高城くん、我を通しているといった印象の青樹エイジくん、それに恐らく『カード持ち』であろう四名の子ら。

 そして、未だに謎が多い異次元な強さを持つ、逢坂氷一郎という男。


 これほどの戦力が一堂に会し、話し合いをしようとしてくれている。

 それだけでも私は嬉しく思うよ。

 例え、意見が一致しなくとも。


「弔いは誰がやります?」


 青樹エイジくんが静かな声でそう言った。


 弔い。

 この世界において、これ以上のモンスターを出さないための行為。

 人をモンスターに変えないために必要な工程。


「そうだね、数も多い。みんなでやろうか。それぐらいいいよね? 芦名くん」


 私はこの場で一人になりたいと願った芦名くんに、最初に尋ねた。

 すぐに芦名くんは了承してくれた。


 そして、私たちは弔いを始める。

 周りに転がっている死体を一か所に集める。死体を雑に扱ってはいけないということは分かっている。だけど、弔いはこれ以上の犠牲を出さないためにも絶対に必要なこと。


「許してくれよ」


 私はぐちゃぐちゃに潰れかけている死体を引きずりながら、いつの間にかその言葉を呟いていた。

 周りを見渡す。

 全員が無言で、吐しゃ物を吐くことなく黙々と作業を続けている。

 それを見て、私は思ってしまった。


 ああ、こんなにも若い子らがこの世界に慣れてきてしまっている、と。


 ダメなことだとは分かっている。

 普通、高校生くらいの青少年が無残な死体を見て吐かないわけがない。嫌な顔せずに、死体を運ぶことすらできないこと。

 しかし、こんな世界になった今、モンスターに成り果ててしまう人間の死体は処理しなければ、自分たちの命が危ないのだ。


 そう分かっているものの、自分の中でのやるせない気持ちが膨れ上がっていく。


 いつの間にか公園の中心には、さきの戦いで死んだホームセンター組の死体が積み上げられていた。

 そこに青樹エイジくんともう一人の青年が近づく。


「向井、あれを出してくれないか?」


 エイジくんがそう言って、隣にいる青年に手を差し出す。

 それを見て、青年――向井小次郎――が困った表情を浮かべた。


「またエイジがやるのか?」


「もちろんだよ、これは俺が責任を持つべき死だ」


 エイジくんは即答した。

 そして、向井くんは自分の影に手を伸ばし、何かを取り出した。

 赤いポリタンク。

 それがエイジくんに手渡され、すぐに中の液体を死体の山に振りかけていった。


「俺も計画に参加した一人だ。俺も背負うよ」


 エイジくんの虚しい後姿を見て、向井君も動き出した。

 二人で黙々と液体を振りまいて行く。


 そこにマッチを一本。


 ボゥと、もの凄い熱量で死体の山が燃えていく。

 それを見て全員が目を瞑り、黙祷をささげた。


「そろそろ行こうか」


 そうして弔いを終えた私たちは大型ショッピングモールへと向かい始めた。

 その数十人……一人少ない?


 私は慌てて周りを見渡す。


「か、彼は……?」


 そこにはあの男、逢坂氷一郎という名の人物がいなくなっていた。

 しかし、すぐに紫森ねむの口から返事が返ってきた。


「氷一郎は弔いの前にはいなくなっていたよ」

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