残酷な世界



 さて、実験体としてちょうどいい個体が目の前に三体もいる。こんな絶好の機会を逃すわけにもいかないよな。

 ゾンビやスケルトンだと、たぶん弱すぎて実験体としては力不足。この『白猿』だからこそできそうな気がするんだよね。


「よーし」


 俺は関節という関節をポキポキ鳴らす。

 準備運動する時間すらなかったし、まあこれくらいはやっておこうかなと。ポキポキすると何か準備運動した気分になるよね。実際は無意味なんだろうけど。


「ねえ、遅刻したの?」


 少しだけ冷静さを取り戻したチビ森の冷たい声が背後から聞こえる。

 ついでに凍えそうな視線がビシビシと伝わってくる。

 俺は無言のバリアを背後に張った。


「…………」


「……ねえ」


「とりあえず、他の奴は待たせたぞチビ森」


「……分かった」


 何とか折れてくれたチビ森が、近くにいる仲間の下へと駆け寄っていく。

 俺はそれを視界の端で捉えつつ……。


「ウギィッ!!」


 やつが動いた。

 俺のクリティカル・ニー・バットをもろに食らった如意棒白猿だ。

 それも俺に向かってではなく、意図して彼女へと一直線に。


「こらっ、無視すんな。もう一回ニー・バット食らわすぞ」


 底冷えするような声で、俺は『白猿』に言い放った。

 それと同時に、俺の足元から地面を伝うように氷の濁流が真っすぐと如意棒白猿に向かう。


 俺から見ればまるで子供のチャンバラのような体感速度。

 しかし、どうやら俺の体感速度ってのは、少し異常なようだ。

 さっきの如意棒攻撃をこの街のサバイバル市民たちが反応できていなかったことで、ようやく理解できた。

 たぶん、これも【氷の魔女】の影響。

 彼女の記憶は思ったよりも、俺という人間に対し大きな影響を与えているようだ。

 いや、記憶というには少しだけ影響力が強すぎる気もする。まあ、この辺りは追々考えて行こうと思ってる。


 要するにだ。

『白猿』の攻撃なんて、ただの子供のライダーごっこと同じような物。

 俺にとっては、片手一本で十分すぎる遊びとそう変わらない。


「ウガァァァァァァ!?」


 突然動かなくなった下半身に目を向ける如意棒猿。

 こんな氷すぐにぶっ壊してやる。と言わんばかりに雄叫びを上げながら、体中の力を振り絞る。

 振り絞る……もがく……焦燥する……現実をようやく受け止める。

 そして、奴は俺を見た。


「そんな怖い顔で見んなよ」


「ゥ……ウキ……」


 やつの顔には恐怖がこびりついていた。

 何度も拭おうとしている様子だが、ただただ奴の体から冷や汗が噴き出す。

 汗が止まらない、恐怖が拭えない……嫌だ。

 そんな風に思っているんだろうなと、手に取るように分かる。


 表情分っかりやすいな。

 でも、それはそれで結構傷つきます。俺は地元のヤンキーでもヤクザ者でもない、ごく普通の元会社員だよ?

 人生で初めてそんな目で見られたよ。


 そんな無言の会話の最中。

 後方からは安堵の声が次々と聞こえてくる。


「生きてる……のか?」

「あれ? 傷がない??」

「白猿を圧倒しているのか? 何者なんだ……」

「こりゃ……もう俺たちに出番はなさそうだね、ヒーローさんのお出ましだ」

「ヒーローさんだ……」


 と、まあ様々な反応だ。

 ただヒーローさんって何?

 俺のことじゃないよね? ね? 違うよね?


 そんな彼らにチビ森が事情を話し、彼らのメンタルケアを始めていた。

 さらに俺の言った通りに、彼らにできるだけ一か所に纏まるように指示を出す…………ように、赤司という人に説明している声も聞こえた。

 チビ森から話を聞くところによると、赤司というリーダーは自分の指示を納得させるようなスキルを有しているらしい。


 そんな洗脳じみたスキルまであるのかと驚いたほどだ。

 正直、俺が一番警戒している人物でもある。

 その強制力次第じゃ、俺だって抗えない可能性があるからだ。


「っと」


 他の二体の白猿も動き出した。

 その内、矛を持つ白猿の下半身を凍らせ、自由を奪う。


「ウギィ!?」


 しかし、鎌を失った白猿は止まらなかった。

 ただ一直線に俺へと向かってくる。


 うーん、仲間ではないのかな?

 なぜ助けない。

 それとも助けなくともいいと考えているのか?


 その行動が俺には理解できなかった。

 なぜ無謀にも突っ込んでくるのか。奴は見ていたはずだ、俺が他の二体を圧倒しているところを。

 お前は他の二体と変わらない強さしか持たないのは【アラーム】で確認済みだ。


「ウギィィィィィィィィ!!!!」


 分からない。


 なぜ命を捨てるような真似をする。


 なぜ仲間を捨てた。


 なぜ武器もない状態で突進してくる。


 なぜ……なぜ……なぜ……。


 白猿が襲い掛かってくる直前。

 その疑問に答えるかのように、白猿が申し訳なさそうに泣いた。



『頼゛ム…………オレを殺゛ろじテぐれ……もう人゛ヲ殺゛したぐなイ』



 白猿。

 いや、それはモンスターなんかじゃない。

 薄っすらと白猿の顔が……俺には人間の顔に見えた。


 見た目は白猿だ。

 そうなんだが……ほんの一瞬、瞬きほどの刹那の時間だけ。

 優しい面持ちの男が、涙を流しながら俺に死を懇願する姿が見えた。


 幻覚……?


 いや、そんな曖昧なものなんかじゃない。

 もっとずっとはっきりとした、希望だった。


 やっと自分を殺してくれる存在が現れてくれた。

 もう人は殺したくない、殺したくない、殺したくない。

 頼む……俺をこの世から血肉一つ残さずに消してくれ。


 そう心に語り掛けてくるような感覚。


 そして、俺はとある疑問の答えを見つけた。


 この世界には死体がほとんど……というか、一つも見ていない。

 人間も死ねばモンスターのように灰になって消える世界になってしまったのかとも考えたが、それは違うと知っていた。

 最初の山であったゾンビたち。

 やつらはこの世界の服を着ていた。着慣れ、くたびれ、ビリビリに破かれた衣服を纏うモンスターがどこのゲームにある?

 確かにあるかもしれない。それでも違うと分かる。


 その明確な答えを、今目の前で俺に向かって拳を振り上げている『白猿』が教えてくれた。


 ――この世界で死ねば、人はモンスターになる。


 ああ、とことんくそったれな世界になったもんだな。

 だけど……あんたも辛かったんだな。


 人を殺したくなんてなかっただろう。

 人が泣き叫び、生を懇願する顔なんて見たくもなかっただろう。

 人を辞めたくはなかっただろう。


 ……その望み、俺が叶えてやる。

 よく今まで頑張ったな。

 すぐに楽にしてやるよ。


「ゼロエリア」


 その瞬間、俺の周囲の空間だけが地獄の冷気に包まれた。

 即死の絶対エリア、そこに踏み入った者は痛みを感じることなくこの世から去る。




『ありがとう』




 そこには晴れた表情をした男の天へと昇る姿があった。

 悔いはある。

 それでも止められない暴走を止めてくれてありがとう。


 俺にはそんな笑顔に見えた。



 そして――。




≪ネームドモンスター:芦名大地【極零の孫悟空】の討伐を確認いたしました≫


≪エリアを日本地区山梨県富士山周辺と断定……これより討伐参加者の検索を始めます≫


≪……………………参加者を確定しました≫


≪討伐参加者:青樹エイジ、逢坂氷一郎、赤司総司、あかねるい、芦名旬、鬼木えるむ、風間かさまアキラ、和葉芽衣、加藤秋菜、高城淳史、湊快、向井小次郎、紫森ねむ、渡辺純、渡辺岳――以上、15名≫


≪報酬の内容を確定しました≫


≪努力賞:青樹エイジ、スキル【友情】を獲得しました≫


≪最多戦闘賞:風間明、スキル【自己再生】を獲得しました≫


≪家族賞:芦名旬、EX武器【極零の如意棒】を獲得しました≫


≪MVP:逢坂氷一郎、……測定不能……再検索します……エラーを確認……代替案を提示……認証されました、スキル【適応】を獲得しました≫


≪日本地区のネームドモンスター残数:15体≫


≪レベルが上がりました≫

≪職業:黒煙魔術師のレベルが上がりました≫


≪レベルが上がりました≫

≪職業:黒煙魔術師のレベルが上がりました≫


≪レベルが上がりました≫

≪職業:黒煙魔術師のレベルが上がりました≫


≪スキル:怪人七面相セットのレベルが上がりました≫


 そこで怒涛のアナウンスが終わった。

 周りを見渡すと全員が同じようなアナウンスを聞いた様子だ。


 情報が多すぎる。

 だが、そんなことよりも――。


「……兄貴?」


 大型スーパー組の一人、芦名旬が膝から崩れ落ちるように地面に手を着いた。


 その手には――白猿の如意棒が握られていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る